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(回答先: 太田龍の時事寸評〜岡 潔先生記念文集・「聴雨録」を読む。(週間日本新聞) 投稿者 中央線 日時 2003 年 2 月 11 日 00:23:23)
「岡潔」で検索してみたら以下の文章があった。かなり長いですがいいこと言ってます。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/6251/oka.html
情緒と幼児教育
岡潔博士の憂国の書を読み返す=植田義弘
*引用文の文末の( )内の数字は、文献番号を表しています。
〈日本への熱い思い〉
岡潔(おか・きよし)の名を、いまも覚えている人はどれほどいるだろうか。まして著書を読んだことのある人はごく僅かにちがいない。いまは亡き数学者・岡潔博士(1901〜1978)は、30年前の1960年代(昭和37〜44年)、戦後の教育のあり方について憂国の書を次々と世に問うたのだが、博士の提唱した情緒を中心とする教育論が読み継がれることなく、現在に至るまでほとんど復刊されていないことを残念に思わずにはいられない。日本の伝統から大脳生理学までを視野に入れて、独特の表現で情操教育の必要を説いた風変わりな数学者というだけで忘れ去られるのは惜しまれてならない。
イジメや不登校、さらには学級崩壊などが蔓延する教育の現状をみるとき、また神戸で起こった中三少年による連続殺傷事件(1997)、栃木県黒磯市の中学一年生による女性教師刺殺事件(1998)などの原因を見すえるとき、いまこそ岡潔博士の教育論が見直されることを切望するものである。
私は30代の半ば頃、岡潔博士の著書を読んで深く感ずるところがあり、止むにやまれぬ気持ちから、先生(と呼ぶことを了解ねがいたい)の最晩年のある日とつぜん奈良市にあるお宅を訪ねたことがある。名も知らぬ若輩の失礼な振舞いにもかかわらず、先生は快く私を居間へ招じ入れ、ひとときの談話を拝聴した。語気を強めて熱弁をふるう先生に対して、口をはさんで質問しようものなら一喝されそうな真剣さに接してタジタジとなった思い出がある。その発想は極端といえる部分があったにせよ、古代から未来にかけて日本への熱い思いをひしひしと感じた強烈な印象が今も残っている。その後、数年ののち新聞で逝去の記事を読み、惜しんでも余りある人を失ったことを悲しんだ。
先生の没後、私の知るかぎりでは、1970年以後に再刊された著書はないに等しい。一般の市立図書館にも殆ど蔵書はない。ただ、先生は奈良市の名誉市民であったから、奈良県立図書館には著書が揃っている。その蔵書をいま一度読み返し、教育論に焦点を絞って先生の思想のエッセンスを解読してみることにしたい。
『私の人生観』には、昭和の始めパリに留学していた頃の思い出を語りながら、「日本の歩き方」についての次のような一節がある。すこし読んでみよう。『どういう歩き方かとひと口にいうと、日本は危険な方から危険な方へとだんだん歩き続け、その歩みを止めない。それは今日もなお続いているのです』
『そこで私が見るに、この先日本が立ち直るのに、じゅうぶん百年はかかります。それから国内を整備するのにもう百年、残る百年で生物の絶滅を救わなければならない。ところがあと三百年、生物が絶滅せずにどうにか持ちこたえてくれるかどうか、……』(1)
このように、地球環境の汚染が殆ど関心を呼んでいなかった当時、すでに百年の計を立てる必要を説き、日本の将来を真剣に憂慮されていたことがわかる。
『六十年後の日本』と題する文章は、次のように書き出されている。少し長くなるが引用しておきたい。
『私は人というものが何より大切だと思っている。私たちの国というのは、この、人とい う水滴を集めた水槽のようなもので、水は絶えず流れ入り流れ出ている。これが国の本体といえる。ここに澄んだ水が流れ込めば、水槽の水は段々と澄み、濁った水が流れ込めば、全体が段々に濁っていく。それで、どんな人が生まれるかということと、それをどう育てるかということが、何より重大な問題になる。人という存在の内容が心であり、こころが幼いころに育てられるとすれば、とりわけ義務教育が大切であることはいうまでもない。
ただ、どう育てるかが問題だといっても、教育でどんな子でも作れるというのではい。本当は人が生まれるのは大自然が人をして生ましめているのであって、各人はそれを自分の子と思っているが、正しくは大自然の子である。それを育てるのも大自然であって、人をしてそれを手伝わしめているのが教育なのである。それを思い上がって、人造りとか人間形成とかいって、まるで人造人間か何かのように、教育者の欲するとおりの人が作れるように思っているらしいが、無知もはなはだしい。無知無能であることをすら知らないのではないか。
教育は、生まれた子が、天分がそこなわれないように育て上げるのが限度であってそれ以上によくすることはできない。これに反して、悪くする方ならいくらでもできる。だから教育は恐ろしいのである。しかし、恐ろしいものだとよく知った上で謙虚に幼な児に向かうならば、やはり教育は大切なことなのである』(2)
〈数学者としての業績と発想〉
先生は1901年和歌山県に生まれた。『春宵十話』その他の著書に書かれている先生自身の回想によれば、県立中学(旧制)に落第、高等小学校に1年通って、二度目に粉河中学に入り、その1年目の代数の平均点は68点であったという。旧制高校3年のとき、アインシュタインが来日するというので大騒ぎになり、その影響で京都大学理学部に入学したが、物理は好きになれなかった。大学3年のとき「ぼくは計算も論理もない数学をしてみたいと思っている」と発言し、級友の失笑を買った。
卒業後、1929年からフランスへ留学、その2年後に満州事変が勃発、外国にあって日本への轟々たる非難にさらされた若き日の先生は日本の将来に暗い影を感じた。のちに、太平洋戦争が始まったとき、その知らせを北海道にいて聞いた先生は、とっさに日本が滅びると思った。戦争中は数学の研究に閉じこもり、多変数解析函数の研究で世界的権威と認められた。長年にわたり奈良女子大で教鞭をとり、のち名誉教授となり、学士院賞・朝日文化賞・文化勲章などを受賞した。
数学は農業のごとく種をまいて育てるのが仕事ということで、2年ごとにレポート用紙 2千頁ほどに書いた下書きを20頁ほどの論文にまとめて発表しつづけた。先生にとって数学の研究は「発見の鋭い悦び」を味わうことであり、芸術の創造や宗教的直観にも通じる経験にほかならなかった。先生の奇人ぶりを示す逸話は数々あるが、その一つ──ある日、近くの農家へ鶏卵を買いに出掛けたところ、まだ鶏が卵を産んでいないと言われ、「それなら卵を産むまでここで待ちましょう」と、その場に坐り込んだ。先生は身なりを 構わず、ヨレヨレの背広にいつも雨靴をはいていた。ズボンも脱がず寝床に入って思索を続けるのが常であったという。
エッセイの筆者として岡潔の名が新聞に載り、単行本が出版されたのは60歳を過ぎてからであり、逝去するまでの10年足らずの間に教育論を主とする著作が次々に発表された。戦後、国が滅びるという予感は当たらなかったけれども、人の心がすさみ果てた姿をどうしても見ていられなくなり、研究に閉じこもって逃避することもできず、「生きるに生きられず、死ぬに死ねないという気持だった」と回想している。こうした切羽詰まった気持から、先生はペンを取らずにいられなかったのに違いない。
ところで、先生の著作が没後に復刊されることがないのは、それなりの理由がある。と いうのは、晩年になるにつれて、憂国の情に駆られるあまり極端な発言が目につくようになったからである。例えば、入試競争の弊害を防ぐために、大学は卒業証書を出すことを法律で禁止せよ、と提言している。国語・国字問題のあり方に激怒して上京し、時の政府 官庁に直訴して回り、胃病を悪化させて吐血している。(それ以前から、情感のある漢字を殆ど削除した当用漢字の規制に憤慨していた)坂田文相(当時)に提出した『教育の原 理』(3)と題する論文は、とても具体的な政策になりそうもない難解な内容で、政治家には理解不能にちがいない。『大東亜戦争肯定論』の著者・林房雄との対談集『心の対話』(4)の中では「神風攻撃は日本人にしかできない創造行為」という意味の発言がある。その真意は、経済成長を唯一の目標として欲望追求に汚されていく日本の将来を憂慮するあまり、自己犠牲の極致といえる特攻隊員の純粋さの中に、桜の花が散るような美を強調したかったに違いない。しかし、いかに利害打算を捨てた崇高な行為であっても、正しい目的に向かって遂行されなければ悲劇的な破局に終わるしかない。愛国心とは同胞愛と同義であって、愛国心のもととなる日本民族の歴史を懐かしむ情緒教育が欠けているとの指摘もある。
じつは先生ほど政治の権謀術数から遠い人はなく、そうした発言の数々は権力の構造に対する無知が言わしめたに違いないのだが、結果として大衆やマスコミの反感を買うことになったのではないかと思う。それでも先生は「警鐘を乱打した」と自らを振り返っているように、将来を憂慮して発言せずにはいられなかったのであろう。 先生の思想に私が関心をもつわけは、私もまた戦後日本の方向に疑問を抱きつづけてきた者であり、経済発展に背を向けて生きてきたからである。二十八歳で大学に編入学したのは決して就職のためではなく、当時、世界的に学問の主流となっていたパブロフの「条件反射」を基礎とする心理学の唯物的な風潮に疑問を抱き、真実を突き止めたかったからであった。その後も私は、大学で図書館司書を勤めながら、日本科学哲学会員として意識と脳の関係を模索しつづけ、研究論文を発表したものであった。そして今日に至るまで、最後に信じ得るものは何かを求めつづけている。
〈『春宵十話』の警告が現実に〉
初めて刊行された著書『春宵十話』は、毎日新聞に連載された随想をまとめたものだが、その中には次のような一節が見える。
『戦後、義務教育は延長されたのに女性の初潮は平均して戦前より三年も早くなっているという。これは大変なことではあるまいか。人間性をおさえて動物性を伸ばした結果にほかならないという気がする。たとえば、牛や馬なら生まれ落ちてすぐ歩けるが、人の子は生まれて一年間ぐらいは歩けない。そしてその1年間にこそ大切なことを準備している。とすれば、成熟が3年も早くなったのは、人の人たるゆえんのこころを育てるのをおろそかにしたからではあるまいか。ではその人たるゆえんはどこにあるのか。私は一にこれは人間の思いやりの感情にあると思う。人がけものから人間になったというのは、とりもなおさず人の感情がわかるようになったということだが、この、人の感情がわかるというのが実にむずかしい』
『どうもいまの教育は思いやりの心を育てるのを抜いているのではあるまいか。そう思ってみると、最近の青少年の犯罪の特徴がいかにも無慈悲であることに気づく。これはやはり動物性の芽を早く伸ばしたせいだと思う。学問にしても、そんな頭は決して学問には向かない』(5)
この30数年前の先生の憂慮は、平成6年の12月、明るみに出た「自殺した中学2年生、いじめ苦の遺書」の事件で現実となった。愛知県の大河内清輝君が同じ中学の生徒から合計百万円以上もお金をおどし取られたあげくの自殺であった。11人の生徒が関与し、脅し取ったお金で遊んでいたという。グループの一人が「みんながやったので、見ていて面白かった」と、いじめの実態を白状したという記事もあった。この事件には、人の気持ちに対する「思いやり」のひとかけらも見られない。その後もいじめ事件が頻発するたびに、先生が念願してやまなかった「きれいな情緒」の発育とは裏腹に、中学生がすでに目先の欲望や衝動に支配されていることを認めざるを得ない。
〈情緒の目覚めの季節〉
岡潔博士の教育論の独創性は、自らの人生経験の内省と二人の幼い孫の発育ぶりの観察に裏打ちされた数学者らしい明晰さにみられる。子どもの内面的な生い立ちには、年齢に応じて「情緒の目覚めの季節」があり、その季節に適した種を蒔かないと発育しないのは植物の発芽・成長に等しいという。以下『風蘭』の内「教育はどうすればよいのだろう」と『昭和への遺書』に収められた「光の陣備え」と題する教育論の要点を述べれば、道義教育は数え年五つから始めるべきである。人の人たるゆえんは、自他の区別がわかり他人の感情がわかることにある。その頃から自分だけでなく人を喜ばせることができるようになる。一方、喜怒哀楽の感情を子どもの人権や自由と錯覚して放置すると、自分本位の衝動的判断しかできない人間に育ってしまう。人らしくない感情・我欲を恥ずかしいと感じるしつけが欠かせない。人の悲しみがわかるのは小学三、四年生頃からで、人が悲しむような行為をにくむ気持ちが正義心の始まりとなる。とにかく小学生の頃までは、情緒のできあがる時期であることを重視しなければならない。
幼い頃からの男女の違いも無視できない。女の子はお人形やままごと遊びに見られるように、坐って空想あるいは情緒の世界に浸るのが好きである。それに比べて、男の子は乗物のおもちゃや棒きれで運動に身を任せるのが好きで、それぞれの特性が歴然としている。
数え年五、六才頃は文字を機械的に覚える時期であり、六つの頃から集団的に遊ぶようになり社会性が芽生える。とともに、知的興味が最初に出てくるので、その芽を摘み取らないことが大切である。努力して記憶できるようになるのは小学五年からで、その頃から歴史・地理・理科などを教え始めればよい。但し、小学校で社会科を教えるのは無茶である。自己批判力ができる前に社会や歴史を批判することを教えるのは、他人がみな悪いと思い込むような冷たい心に育つ恐れがある。
『教育は何よりも人の子の心の底を温かく保つことに留意しなければならぬ。そうしないと、人の子は人もものも愛せなくなってしまうのである。人を愛せなければ人でないし、学を愛せなければ学は教えられない。後々創造が起こるのは、そのものを愛するからである。歴史家も日本民族の歴史は日本民族を愛するが故に調べるというのでなければならぬ』(6)
〈情緒教育の大切さ〉
先生の思想の核心は「情緒」を中心とする教育論にある。但し、先生のいう「情緒」という言葉には独特の幅広い意味があり、心の中心的なはたらきを表している。つまり、情緒は知情意の各分野にわたる正常な発達を促すもとになるという。小学校三、四年までの最も大事な教育のあり方として、『情操教育』の中から一節を次に引用すれば、
『情緒が人そのものだから、これを十分に清く、豊かに、深く育てなければいけない。しかし、今は、情緒中心に育てるということを忘れている。つまり、感情、本能を抑止することを教えないから、情緒がでてくるはずがないのです。戦後、日本が取り入れたデューイの教育学にそんなものはありはしない。
欲情本能を抑えること、そして、情緒を大切に育てるということが大事です。特に、お母さん方は、その情緒を清く豊かに教育することです。そうすれば情緒の現われとして出てくる知情意は、全面にわたって間違いなく発育する。……』(7)
言い換えれば、先生のいう情緒には本能的自我を抑止した知情意のすべてが含まれていて、利害打算の入らない知は純粋な直観となり、情は心の悦びであり、意は強靱な自由意志を意味している。真善美の価値につながる情緒を重視する教育こそが真の教育であり、その目的は、いかに情緒を濁らせず純粋に育てるかにあることを、先生は強調して止まなかったのである。本能の濁りが混じらない情緒は、太陽の光にも似てあたたかい慈悲の心となる。刹那的な刺激による感覚を悦びと錯覚してはならない。それは次第に刺激を強くしていかないと満足できなくなる肉体的な感情に過ぎないからである。
なぜ本能的自我を抑止しなければならないかといえば、人間の場合、自我を放置すれば、意識の拡大とともに本能的な欲望も拡大され、止まるところを知らない闘争と破壊をもたらすからだ。所有欲、名誉欲、権力欲、その象徴としての金銭欲の際限のない膨張は、まさに先生のいう「情緒の濁り」に由来している。そうした状況では、意識が欲望に占領され、純粋な情緒、自由な意志、創造的な思考は育ちようがないのだ。
先生の言葉によれば、人には「生きようとする盲目的な意志」があり、その本能を先生は仏教の言葉を借りて「無明」(むみょう)と表現している。心理学では情動またはエゴと呼ばれる概念がそれに当たる。先生の「無明」についての見方は次のように要約できる。
──自分の無明は見えないし、無明は知性をダメにする。知性が働かない以上は正しく物事を判断することができない。無明はまた本能的な満足を求め、他者を無視して自分の意志を通そうとして行動する。無明を放置すれば、真善美の価値に対して無関心となり無知となる。しかも人間は無明を自分と錯覚し、無明を満足させることを「生きる」ことと錯覚している。無明の恐ろしさに全く警戒を忘れているのが戦後の日本の状況である。無明を生み出す本能が本当の自分ではない。無明を退けて進むところに人間として「生きる」価値がある。純粋な情緒を濁すのも無明にほかならない。──このように先生は力説するのである。(8)さらに『自己と情緒』の一節を読んでみれば、
『もし人がその自我本能を全然抑止しなかったならば、欲情や本能がその人を支配してしまう。しかも節度がないから、獣類よりも一層悪いものになる。今しているように、自我はお前の主人公だから、大切にして、そのいうとおりにせよ、と教えていると、百八煩悩や五情五欲がいくらでもはいりこんで、その自我をふくらませるから、際限なく悪いものになり得るわけである』(9)
戦後、家庭教育や義務教育が自我本能の抑止を教えなかったことは否定できない。その理由の一つは、憲法の前文において「基本的人権の尊重」がうたわれていることにあると先生は指摘する。法律では欲望や自我本能(無明)を含めたものが人権と解釈されているが、本来はいかなる人もいのちを守る権利を尊重されるという意味であろう。
ところが現実の社会や家庭では、子どもの人権と自由、個性を大切にするという名のも とに、親は子どもの言うなりに育て、好きなことは何をしてもいい、嫌いなことは我慢できない自分第一の子どもになった。学校では教師の権威と指導力が弱められた。その結果、三十年前に著者が憂慮していたような状況が現出している。99年2月に刊行され反響を呼んだ『学校崩壊』(河上亮一著)には、現場の教師の目で小中学校の危機的状況が報告されている。普通の生徒が自分のしたいことを抑えられ気分を害した場合、衝動的にいつ何をするかわからない状況に陥っているという。文部省の調査によれば、98年度の小中高校における校内暴力は前年度より25・5%増の約3万件に達している。(読売新聞99・8・14付)しかも、同じ99年7月下旬の一週間ほどの間に、一流大学を卒業した青年が全日空機をハイジャックして機長を刺殺した事件、二つの大学の医学部学生による集団婦女暴行事件が相次いで報道された。いずれも自分の欲望を達するためには何でもする点で、小中学生がそのまま生長した時の恐るべき姿を予見するような事件である。そうした日本人の姿は、人だけに進化した大脳前頭葉が本来の働きを失って欲望をコントロールできない状態であり、獣類以下の行為といわざるを得ないであろう。
あらゆる人権が抑圧されていた戦前・戦中の時代には、自我とともに自由な思考や意志までが圧殺されていたことは事実である。戦後は無明を含む自我が解放されたのは確かだが、法律は最低の規範であって、個人の欲望すべてを尊重し保障することが正当であるはずはない。心を育てるための教育とは、偏差値を重視する能力主義に偏ることなく、真善美の価値が分かる情緒を育てることに第一の目標を置くべきである。義務教育の目的は「道義的センスを身につけることの一語につきる」そして「道義の根本は人の悲しみがわかるということにある」(10)と先生は言い切っている。よりよい民主主義の国をつくるためには、国民一人ひとりがより高い情操や道義を身につけることが不可欠なのだ。重ねていえば人権や自由の尊重とは、個人が無責任に何でもしたいことをしてもいいというのではない。それでは学校どころか社会の秩序が崩壊するほかはない。
〈喜怒哀楽とEQの意味〉
このような教育論に対して、自然な喜怒哀楽の感情を抑圧することは人間の本性を無視 することになるのではないかという反論が予想される。たしかに自我本能や感情の「抑止」という表現は、親や教師による強制的な禁止と受け取られかねない。フロイドの学説にかかわらず、抑圧されたエネルギーは消えることなく、いつか歪んだかたちで報復するからである。自然な喜怒哀楽の感情を自由に発散することは、心が成長していく過程でむしろ好ましい傾向ではないかと考えるのは当然であろう。もしそれがいけないのであれば、流行歌や演歌も禁止の対象となるかも知れない。ロック音楽やジャズの類も(全部ではないが)本能的なパッションの表現にほかならない。
じつは、子どもの教育に必要な「抑止」は、決して感情を失うことではなく、よりゆたかな情緒を育むことが目的でなければならない。無表情・無感動・無関心は感性を喪失した状態である。しかし、他者の感情を無視して自分だけの喜怒哀楽に閉じこもることは、決して美しい情緒とは言えない。さらに、拡大された欲望と結びついて追求される感情的満足は、種々の闘争・犯罪・葛藤の原因となる。そうした感情と情緒の違いに自ら気づくように教育することが自我本能の抑止にほかならない。
喜怒哀楽の「喜」とは、人とともに喜び、人に喜んでもらうことであり、「怒」は不正や邪悪に対して怒ることであり、「哀」は人の哀しみを感じること、「楽」は人と共に楽しみ、人に楽しみを与えることであろう。そのとき、同時に自らが最高の感動と湧き上がる情緒を実感することができるであろう。
数年前になるが、アメリカの翻訳書を通して“EQ”という言葉が反響を呼んだことがある。著者はIQよりEQの方が大切であることを提唱している。EQ?(Emotional Quotient)?の直訳は「情緒指数」である。著者のダニエル・ゴールマンによれば、EQの高い人とは自分の気持ちを自覚し制御できる人、他人の気持ちを推察し対応できる人、と定義されている。自他の情動を認識し意識化することが自制するための前提とされている。そのためには情動の自己認識、あるいは他者の感情を共感する能力が基本となる。感情を表現することができないのは、自己認識できない状態を意味するという。
親が子どもに容赦ない懲罰を与えて育てるのは真の意味での抑止ではない。その場合、子どもは他者への共感どころか情緒不安定で暴力的な人間を育てる結果となるにちがいない。他者と理解し合えるコミュニケーション、心のふれ合いがなければEQが高まらないことはいうまでもない。要するに、EQを高める人格的基盤は自制と共感にあるとする点で、EQを重視する考え方は岡潔の情緒教育論と異なるところはない。
昨年(1999)11月に出版された沢口俊之(北海道大学医学部教授)著『幼児教育と脳』によれば、EQよりも“PQ” (Personal Quotion)?教育がもっと大事と説かれている。
〈発見と創造に伴う悦び〉
情緒教育を重視する根拠として、岡潔博士は大脳生理学の科学的な知見をもとに教育論を進めている。先生が自説の根拠としている脳生理学者・時実利彦氏(故人)の著書によれば、人間だけにある大脳前頭葉は情緒・意欲・直観・創造などの働きをもつソフトウェアの場であり、また時間・空間の意識や個性の座でもあるという。一方、側頭葉は後頭部の認知機能とともに記憶と理解のための情報処理を行なう領野である。但し、前頭葉のコントロールがなければ、側頭葉だけでは衝動的判断になるという。
最近の脳生理学は、右脳と左脳にアナログとデジタルの違いがあることを明らかにして いる。但し、これらの大脳の各領野は、意識を持続するための入力があって初めて活動する「場」であることを確認しておかなければならない。時実氏自身も「ソフトウェアの場」「個性の座」という表現を使っている。その時実氏もまた岡先生と同様に、戦後日本の教育が側頭葉を中心とする詰め込み主義を重視するあまり、創造性を伸ばす前頭葉の発育を抑える結果となっていることを憂慮していた一人であった。
日進月歩といわれる脳の研究は、各種の情動と脳内物質の関係など分子生物学による物質的な現象は解明されたが、大脳新皮質の構造と機能の生理学的知見が初等教育に幅広く応用されていない現状に疑問を呈したくなるのは私だけだろうか。
先生によれば、一瞬にしてパッと全体がわかる直観(仏教でいう無差別智・真智)による発明・発見は、頭頂葉に働きの座があると仮定されている。しかし、心に「無明」という垢や錆が付いていれば情緒が濁り、純粋な直観が働かなくなることはいうまでもない。例えば大脳前頭葉が動物性本能(私利私欲)に占領されてしまうと、いわば鏡がくもってしまうように自由に使えなくなってしまう、と先生は述べている。自我本能を抑止するのは自由意志であり、自由意志は大脳前頭葉を発動の場としているからである。情緒を無視した偏差値重視の教育は「物まね指数」にすぎないとの指摘もある。ふたたび『日本的情緒』と題するエッセイの一節には、
『動物性の侵入を食いとめようと思えば、情緒をきれいにするのが何よりも大切で、それには他のこころをよく汲むように導き、いろんな美しい話を聞かせ、なつかしさその他の情操を養い、正義や羞恥のセンスを育てる必要がある』(11)
意識の場に欲望が拡大され侵入すると、本来は無色透明な意識が欲望に色づけされたイメージに変化することは明らかだ。先生が説こうとしているのは、意識を純粋に保つために、本能の侵入と拡大を抑止するべきであるということにほかならない。また純粋な情緒は純粋な意識(本能と切り離された意識)に伴って生まれるのであって、本能の満足による快楽と区別しなければならないことも明らかである。この情緒を「心の彩り」「悦び」と表現しているのは、決して本能に伴う快楽や喜怒哀楽の感情を意味するのではない。
この「きれいな情緒」の概念について先生は、すみれの花を例えとして説明している。『たとえば、すみれの花を見るとき、あれはすみれの花だと見るのは理性的、知的な見方です。むらさき色だと見るのは、理性の世界での感覚的な見方です。そして、それはじっさいにあると見るのは実在感として見る見方です。
これらに対して、すみれの花はいいなあと見るのが情緒です。これが情緒と見る見方です。情緒として見たばあい、すみれの花はいいなあと思います』(12)
したがって、情緒は生理的現象として説明できない価値判断の基準である。「生きる」とは心臓の鼓動や脈拍ではなく、情緒が生きている主体である。ましてホルモンなどの生化学物質の分子構造や作用機序がいかに精細に解明されようとも、意識の根元が明らかになったわけではない。脳の細胞から意識が分泌されるわけではない。それらの生理現象は「生命に随伴した物質現象にすぎない」と先生も明言している。
「きれいだなぁ、いいなぁ」と直観するのは物質ではなく心なのである。また先生のいう「心の悦び」とは、決して本能的な快・不快の感情ではなく、生命の充実感であり、真善美の発見や創造に伴う「悦び」にほかならない。
〈物質主義に偏した自然科学への疑問〉
明治以後、自然科学一辺倒になった教育への批判は、最後の著書となった講演集『葦牙よ萌えあがれ』の中にも繰り返して主張されている。自身科学者であった先生の主張は、決して軽視されるべきではない。つまり、日本は明治維新の頃、西洋の侵略を恐れ、それを防ぐために西洋文明とともに物質主義を取り入れた。戦後、そのイズムが一層強化されて社会通念となり、教育に反映されて今日に至っている。それ故に、
『今日の日本人は、大抵、みな物質主義者です。物質主義者はこんなふうに考えます。
はじめに、時間、空間というものがある。その中に、自然というものがある。自然は物質である。その一部分が自分の肉体である。その肉体と機能とが自分である。だから、すべて大切なものは、みな物質によって言い表すことができるのだから、説明も又、物質を基礎にしているところまでゆくのでなければ、完全な説明とはみなすことができない。こんなふうにしか考えられないのです。
今日の日本人は、みなそうだと思われるが、物質によって説明しなければ納得しない。でなければ、架空のものとしてしまうようです』
『身辺のことのうち、一番手近かなことからはじめると、私、今、眼を開いています。そしてみなさんが見える。眼をふさげば見えない。眼をふさげば見えないというのは、物質現象です。しかし、眼を開けると見えるというのは、これは生きているから見えるのであって、生命現象です。
この眼を開ければ何故見えるのか、ということについて、西洋の学問は何一つ教えてくれていない。西洋の学問のうち、この方面を受け持っているのは、自然科学、さらに詳しくいえば医学です。
医学は、見るということについて、どう言っているかというと、視覚器官とか、視神経とか視覚中枢とか、そういった道具があって、この道具のどこかに故障があると、見えない、そこまでは言っている。
しかし、故障がなければ、何故見えるのかということについては、一言半句も言っていない。即ち、これも物質現象の説明にとどまる。眼をふさぐと見えないというのと同じことです』(13)
先生の言わんとするところは、いのちの原点を注目せよということである。人のいのちについていえば、母親の胎内で数億年の進化の歴史を繰り返して誕生する胎児のもとは受精した一つの卵子である。その後もオトナに成熟するまで心身が発達していく。自然環境や人為的な環境がいのちを支えていることはいうまでもない。他の動植物についても同様に、元は一つの種からいのちが発育し、ふたたび種となって受け継がれていく。こうしたいのちの神秘を、一つの種に含まれる遺伝子という物質のみに還元できるだろうか。じつは人の遺伝子や脳細胞にしても、それらを構成する生化学物質はいのちが働くための道具(場)であり、いのちの随伴現象に他ならない。しかも、いのちの働きは本能の発現に止まらない。
たしかに真善美を求めるのは脳の神経細胞そのものではない。理想を実現しようとする意志は、決して体内の生化学物質から生まれるわけではない。純粋な意識に伴う情緒によってのみ真善美の価値がわかるのだ。すべてを物質や本能に還元する見方は、ゆたかな情緒の発育よりも、よりゆたかで便利な経済生活のみに価値を置き、限りなく拡大された欲望の満足を追い求めるばかりである。
因みに、ノーベル賞を受賞した脳生理学者・エックルスとペンフィールドは二人とも、最後には、大脳前頭領は意識がはたらく場ではあっても、意識を生じる原因ではないとする心身二元論を信じるに至っている。
ここで「わかる」ということにも様々なレベルがあると先生は指摘している。感覚的・形式的にわかることから、意味が理解できる段階を経て、全体の中における個の位置と存在意義がわからなければ、何一つ本当にはわからないという。そのためには無私無欲になって純粋意識のパラダイムを拡大する必要があることはいうまでもない。しかも他の哀しみがわかるには、感覚や知性ではなく他者と同じ情緒を共感できなければならない。前述したように、他者の感情がわかること、すなわち思いやりの情緒こそは道義の基礎であるとするのが先生の思想の核心である。
さらに生命の本質については、『物質的自然を調べてわかるものは大体無生物までであって、生命のことはとうていわからない』(14)との指摘もある。物質的自然を研究するのが近代科学の特質であり、科学は心と自然を切り離して分析することから出発している。そうした物質主義に偏った自然観が科学技術の進歩をもたらしたことは事実であるが、その代わり無生物の世界しか分からないという限界を超えることはできない。心身の中に自然が含まれているというのが先生の思想であって、その証拠に、情緒のはたらきである純粋直観(仏教でいう無差別智)がはたらけば、パッと一瞬でわかるのが情緒の世界であり、同様に「立とう」と思えば全身の数百にのぼる筋肉がとっさに統一的に働くのが生命の世界であるという。もちろん、そうした運動の過程にはコンピューターのプログラムに類比される精妙な運動神経ネットワークの働きがあることはいうまでもないが、最初にプログラムを組むのは神経細胞や遺伝子(あるいは記憶・演算素子)などの物質ではなく、情緒や自由意志からなる心でなければならない。
要するに先生のいう「情緒」は、さまざまな欲望(拡大された本能)と混合しない純粋意識と同義であり、その意識に伴う透明な悦びを意味している。つまり、芸術の創造や享受、真理の発見、連帯と共生における悦びの情緒にほかならない。
ところが人の知情意は、意識の時間・空間的拡大とともに、混じり合った欲望もまた無限に膨張し、自由な意識の場であるべき大脳前頭葉を占領してしまう。 拡大された欲望(無明)に充満した意識は情緒の濁りとなって止まるところを知らない。その結果が、現代社会に見られる物欲、所有欲、権力欲の亡者であり、それらを手に入れるための金銭欲の止めどない氾濫となって現れている。
〈欲望の洪水の底に沈む日本〉
『日本はいかんせん、今、物質観と小我観との洪水の底に沈んでしまっているのである』(15)
すでに三十年前、『日本の現状』の一節にあるように、先生の嘆きは深刻であった。この現実を変革するにはどうすればいいのか、先生の提言に今こそ耳を傾ける必要を痛感するのは私ひとりではあるまい。『いのち(一)』には次のような文章がある。
『情緒を、できるだけ清くし、美しくし、深くすることです。なかでも深みをつけていく。これが大事です。真・善・美と、やり方は別れていますが、どの道にせよ、ひっきょうそういうふうにつとめるべきなのです』(16)
この提言はいかにも単純のようだが、先生自身の体験と観察が前提にある。『自己』と題する一文では、幼児期の心理について次のように分析されている。前述した「情緒の目覚めの季節」の内容と重複するが、再確認する意味で少し引用しておきたい。『人の子をよく見ますと、四月生まれだとして、数え年でいいますが、三つまでは童心の時期であって、自分というものはありません。
四つになると全身運動の主体としての自分が出て来ます。五つになると感情、意欲の主体としての自分が出て来ます。そうすると自他の区別がつくようになります。
普通、人はこれらの自分を中核にしたものを、自分と思っているようです』(17)
しかし、それを本当の自分と錯覚してはならない、と先生は注意している。何故なら、それは「生きようとする盲目的意志」であって、意識の発動による「自由意志」とは別種の本能だからである。したがって、この幼児期に出てくる自分(自我)を抑止するためのしつけが大切となる。自我を抑止しても意識が失われるわけではない。その証拠に、何かに夢中になって自分を忘れるとき、人は童心にかえる状態になるが、そのときにも本当の自己(仏教でいう真我)に発する意識が働いているからだ。先生が幼い頃に受けたしつけについて、『自分とは何か』の中に次のような回想がある。
『私は祖父から「他人を先にして、自分を後にせよ」という戒律を受けた。無明本能(自我)を抑止せよというのである。ただこれ一つであるが、数えて五つの時から中学四年の時まで厳しくこれを守らされた。今の数学者としての私を育てるのに一番役立った教育は何であったかと問われるならば,私は躊躇なく祖父の教育だと答えるだろう』
『人生の真の目的は向上でなければならない。小我を自分だと思い違いするから、幸福が目的になるのであって、この幸福なら、日のよく当たる縁側に丸くなって眠っている猫の心の中にも見出せるであろう』(18)
現代の日本に、先生の祖父のような子どものしつけをしている親があるとは思えない。逆に「自分を先にして、他人を後にせよ」としつけているのが殆どの親だといっても過言ではない。このような「個人の幸福」とは、換言すれば「欲望の満足」にほかならない。自他の区別がつく五才以後、何よりも大切なしつけは「人の感情がわかる」ことであり、「思いやりの心」を育てることにあるというのが先生の情緒教育論の要点といえる。
昭和一ケタ生まれの私は、たまたま戦争中に全寮制の中学校に入学した。極度に食糧が欠乏している環境での集団生活において、否応なしにエゴの醜さを自覚させられるとともに、互いに乏しい食糧を分け合って、同じ苦難に耐えているという連帯感が芽生えていった。それは自分ひとりの満足とは違った連帯の悦びを知る原体験でもあった。
〈今こそ健全な心身を育てる情報を〉
ところが現代の世相は、岡潔博士のいう「情緒の濁り」で充満している。すべては所有欲、名誉欲、権力欲そして金銭欲のなせる業と言わざるを得ない。いまや日本人の前頭葉は、無色透明な意識が枯渇し、欲望で濁り切っているかにみえる。その上、青少年の情緒を濁らせる情報が氾濫している有様である。つまり、本能を刺激し拡大させる情報ばかりが目につく。体の健康を害する商品は規制されるのが当然だが、心の健康を蝕む情報は、言論・出版の自由という名のもとに殆ど野放しにされている。その原因はマスコミの商業主義にもあるけれども、一つには欲望を肯定することを是認している風潮にも原因がある。
いまや心の健康とは何かという基準さえ見失われていると言わざるを得ない状況である。10年近くまえ(平成2年)のことになるが、政府八省庁が主導する「情報化月間」20周年記念として、情報化社会と生活をテーマとする論文公募に私の小論が最優秀賞に選ばれたことがある。その主旨は、からだの健康が食物と密接な関係があるように、心が健全に育つために「心の飲食物としての情報」の大切さを強調したものであった。
教育は、まさに子どもの心を育てる情報システムに他ならない。情報は心の成長にとって不可欠の食べものだから、有害であってはならないし偏って与えられてもいけない。とくに人体の70%は水分から成っているという事実からみて、心にも水分にあたる情報が十分に満たされなければならない。水に等しい情報とは、自我を抑止して純粋な理性を育む基本的なしつけであり、倫理と礼節にほかならない。また、水は無色透明であり、つねに流動するという意味で、純粋な意識が循環していなければ健康な精神状態とはいえない。きれいな清水のような情報によってきれいな情緒が育つのである。
さらに、体は鍛練すればするほど強くなり丈夫になるように、強靱な精神力・忍耐力を育てるには心を鍛えることが大切だ。心の鍛練とは、単に受験のために知識を詰め込んだり、偏差値の高低だけを指標とすることではない。健康体は消化・循環・排泄の機能が活発であるように、健全な精神を育てる教育とは、情報を鵜呑みにするのではなく、物事の価値を見分ける判断力やイメージを呼び起こす想像力を育てることを意味する。美と醜、真実と欺瞞を判別し、悪に対する抵抗力をつけるには、本当に美しい情緒にあふれた情報を十分に与えることだ。体は腐敗した食品を口に入れた場合、下痢や腹痛の症状を起こして腐敗物を体外へ排泄しようとする。健康体の肝臓には有毒物を解毒する機能がある。しかし、心の食べものとしての情報が有毒か否かは自ら判断するほかはない。だからこそ、真善美の価値がわかる直観、すなわち清水のような意識と情緒が必要なのだ。それは決して快・不快や利害打算の本能的自我ではなく、真善美のなかに心の悦びを感じる理性と感性を育むことにほかならない。
本能は生きていくためになくてはならない。生きるために生物はすべて本能を与えられている。ただ人間の場合、他の動物にはない意識の場として大脳前頭葉が備わっている。それ故に意識は時間・空間に拡大され、過去と未来、地球全体に広がるイメージとして無限にソフトウェアを創造することができる。じつは地球意識にめざめた連帯と共生にこそ本当の悦びがあるのであり、そのためには岡潔博士が憂国の情に駆られて説いたように、人の悦びや悲しみがわかる感性と、自我を抑止して「他者を先にし、自分を後にする」情緒を育てる教育へ転換するほかに道はない。
繰り返すようだが、岡潔博士が言わんとするところは、教育の理想とするべきは真善美の価値がわかる人格を育てることにある。「善」とは欲望や打算に汚れた自我を抑止した行為であり、そのとき純粋意識がはたらいて直観的に「真」を見出すことができ、あるいは「美」を求めて悦びの情緒を感じ取ることができるのだ。日本の伝統には、芸術や宗教や歴史のなかに美しい情緒が連綿と流れている。そのような伝統を掘り起こし、未来に受け継いでいくことも大切に違いない。
以上の論点からみれば、最近の青少年が起こす様々な事件の恐るべき真相が浮かび上がってくる。これらの事件は、初めにふれたように、戦後五十余年の教育の歪みが累積し噴出した結果であることは間違いない。
〈了〉
〔岡潔著・引用文献〕
『岡潔集』(全五巻・学研版・1969)は巻数のみ記す。
1.『第一巻』205頁「春の草」より。
2.『第二巻』141頁「春風夏雨」の内「六十年後の日本」より。
3.『葦牙よ萌えあがれ』(心情社・1969)内に収録。
4.『心の対話』(ソノサービスセンター・1968)44頁。
5.『第一巻』10〜11頁「春宵十話」より。
6.『昭和への遺書』(月刊ペン社・1968)191頁。
7. 前出書『葦牙よ萌えあがれ』120頁。
8.『第二巻』20〜29頁「春風夏雨」の内「無明」より。
9.『第二巻』37頁「春風夏雨」の内「自己」より。
10.『第一巻』81・83頁「私の受けた道義教育」より。
11.『第一巻』74頁「日本的情緒」より。
12.『風蘭』27頁「いのち」より(講談社・1964)
13.前出書『葦牙よ萌えあがれ』12・13頁。
14.『第四巻』55頁「教育を語る」より。
15.『心といのち』(大和出版・1968初版)238頁「日本の現状」より。
16.前出書『心といのち』106頁「いのち(一)」より。
17.前出書『心といのち』217頁「自己」より。
18.前出書『心といのち』148・149頁「自分とは何か」より。
〔引用文献以外の岡潔著作〕(奈良県立図書館蔵書目録による)
*『紫の火花』(朝日新聞社・1964)
*『対話・人間の建設』小林秀雄共著(新潮社・1965)
*『月影』(講談社・1966)
*『日本のこころ』(講談社・1968)
*『日本民族』(月刊ペン社・1969)
〔参考文献〕
*時実利彦『脳の話』(岩波新書・1962初版)
*河上亮一『学校崩壊』(草思社・1999)
*W.ペンフィールド『脳と心の正体』(塚田・山河訳、法政大学出版局・1987)
*D.ゴールマン『EQ=こころの知能指数』土屋京子訳(講談社・1996)
*沢口俊之『幼児教育と脳』(中公新書・1999)