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(回答先: 【自治体再編(上)】幅利かす中央の論理 (高知新聞社説) 投稿者 中央線 日時 2003 年 3 月 15 日 22:21:53)
【自治体再編(下)】住民自治を基盤に
町村単位の小さな行政組織を消し去ろうする「西尾私案」。危機感を燃やす全国町村会は、いくつかの対案を構えて地方制度調査会に示している。
その中には「地域自治組織」という、合併後の市町村の内部に一定の権限を持たせる構想があり、西尾私案と通じる面がないでもない。
だが、西尾私案が市町村に最小の行政単位としての機能を期待するのに対し、町村会の案は自治権の尊重を中心に据える。そこが根本的にずれる。自己決定・自己責任という地方分権の理念への寄り添い方が、決定的に異なるのだ。
自治体は政治体
2月下旬。信越県境に接する長野県栄村で開かれた「小さくても輝く自治体フォーラム」に、全国から小規模自治体の首長や議員らが大挙して集まった。
ここで確認し合った方向性が、全国町村会案にも反映されている。それは、広域行政の強化・推進とそこでの県の役割をとらえ直す方向と言える。
具体的には、西尾私案や政府、自民党がこぞって排除しているいまの広域連合制度を使いやすいように設計し直そうという。そこに県も対等なパートナーとして加わる。
「中二階」にあって市町村からも国からも存在感を問われる県が、市町村への支援を上からの垂直的な関係でなく、地域の一員として実現させようとする。この試みは長野県で来年度にも実践されるが、住民自治を実践する市町村の「現場感覚」を吸収すれば、変わるべき県政の姿も見えてくるはずだ。
「地方自治体にとって肝要なる点は、その一体をなす地域の比較的小なるにある」
フォーラムの席上、群馬県上野村の黒沢丈夫村長が引用した石橋湛山の言葉は、自治体での住民自治が政治の原点であることを思い出させる。湛山が説いているのは、大きな自治体では住民の政治意識を高めにくいということだ。
住民に多様なサービスを提供するだけなら単なる行政体だが、それと同時に、住民が民主主義を実現する政治体であってこそ自治体と呼べる。人口規模や行政効率の側面だけで自治体の「かたち」を決めるわけにはいかないのだ。
効率や人口規模だけで小規模自治体の存在を否定する平成の自治体再編は、まさにこの一点で非民主的と言われるだろう。
政治意識を高めるには、大きな自治体ではむしろマイナスになる。このことはすでに、おしなべて低い都市の投票率が立証済みだ。自治体を単なる行政体とみなす再編では、民主政治の基盤がますます崩壊していくことになる。
柔軟かつ細心に
地方分権の受け皿となる市町村の行財政能力を高めるには合併しかない、と国は言う。市町村政の現実をみれば、体質改善は確かに必要だ。
しかし、その市町村と比べても、肥大化した中央政府の身の切り方はいかにも甘い。橋本政権下で看板の掛け替え程度に終わらせた省庁再編がその最たるものだ。
法制面での地方分権は一応整えられたが、結果として中央集権はどれほども揺らいでいない。そんな状況を放置しての自治体再編は、中央政府がなおも延命を図ろうとする動きというほかない。自民党もこの集権システムがあってこそ有効に機能する政治家集団であるため、分権の本質に理解がなかなか及ばない。
戦前のいびつな中央集権体制を温存した戦後の政治体制を、名実ともの民主主義政治体制へと改める。これが地方分権に込められた本質的な目的である。
それには住民自治の成熟と住民自治を保障する制度が用意されるべきだが、多様な国土にふさわしく、自治の形態や仕組みも多様であってよい。このうえに国土面積の7割を占める町村から自治機能を奪ってしまうなら、政治の場における農山漁村への関心と配慮は一層薄れ、結果として国の成り立ちを危うくする。
小泉首相よ、自治体再編は柔軟かつ細心であれ。