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【自治体再編(上)】幅利かす中央の論理
統一地方選が近い。地方自治体が直面する課題は数限りないが、新世紀最初の統一選は、自治体再編という激流のまっただ中で行われる。
自分たちの存立基盤である自治体の「かたち」をどう見据え、どう対処していけばよいか。選ぶ側と選ばれる側、双方ともにこの課題から目をそらすわけにはいかない。
次は強制合併?
国の主導する市町村合併は、ここにきて雪崩を打つように法定協議会設置が相次ぎ、特例法期限の2004年度末には市町村数が3200台から1000以上減る見通しにある。
だが、政治状況はその先の段階へと既に突き進んでいる。テコになっているのが、昨年11月に地方制度調査会(地制調)から出された「西尾私案」だ。
地制調の副会長を務める西尾勝・国際基督教大教授が「今後の基礎的自治体のあり方について」と題してまとめたこの私案は、特例法期限後の合併処方を示す。
いまの市レベルの事務を処理できる「基礎自治体」を分権の受け皿とし、特例法期限後に残る小規模自治体は基本的にすべてこの「基礎自治体」にくるめ込もうとする内容で、線引きとなる人口規模は法で定める。財政上の支援をせずに一定期間合併を推進し、それでも未合併なら事務配分特例方式や内部団体移行方式で町村の権限を縮小、強制編入させる―というのが大筋だ。
内部団体を構想したところなどは、選択の幅を持たせた制度設計のようにみえる。だが、それも「選択肢」を制限して強要する「全国規格」の制度であることに変わりはない。それ以前に、多様な地域を人口規模という基準だけで仕分けする画一性に、多様な環境や構成要件を持つ市町村は耐えられない。
この強権性や画一性こそが中央集権体制に付随した弊害なのであり、それらを伴った構想は統治者側の論理と言うべきだろう。西尾私案もまた、その例外ではない。
西尾私案は、それを単なる学究者の一案とみてはならない。国政の流れをみれば、私案は自民党政権や総務省が手にする市町村合併プランに連なっていることがわかる。
政官スクラム
小泉内閣が2001年に決定した「骨太の方針」は、一定規模以下の自治体の行政事務を県などに代行させる方針をうたい、西尾氏が座長を務めた総務省内の自治制度研究会は「基礎自治体」の要件を人口1万人などとしている。同様の内容は、自民党内のプロジェクトチームでも論じられている。
市町村合併にそれほど熱心でもなかった自民党が、推進へとカジを切るのは橋本―小渕政権あたりで、その時期の国政選挙で自民党は、都市部で惨敗または苦戦を続けている。市町村合併推進の動機に、地方票から都市票へ重点をシフトさせる選挙戦略が絡んでいるのを自民党は否定できないはずだ。
総務省は総務省で地方分権の旗振り役を装いながら、自らの統治機能再構築へ自治体再編を意図しているようでもある。
再編作業はその狙いからすると、「町村」を消滅させれば次は都道府県の番だろう。西尾私案では、基礎自治体像は「都道府県に極力依存しない」となっている。合併促進をうたう総務省の決まり文句「行政効率の向上」とは、「統治システムの合理化」と同義語ではないか。
明治、昭和の二度の大合併には、曲がりなりにも学校事務の再編に合わせるという名分があった。しかし、平成の大合併にはそれさえ見つからない。あるのはただ、失政のつけで国、地方を問わず悪化させた財政事情だけだ。
「三百自治体論」や「廃県置藩論」など、90年代前半に聞かれた自治制度改革の構想には、変革をイメージさせるにおいがまだあった。だが、政治的思惑をもぐり込ませたいまの自治体再編策は国民に政治の貧しさしか伝えてこない。
こうして政と官のスクラムによって進められる強引な自治体再編。これには当然ながら、町村も黙ってはいない。