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(回答先: 断片情報が誘う「陰謀論」フリーメイソン・CIA・モサド・UFO関与説・・・【朝日新聞朝刊】 投稿者 妄想新聞 日時 2003 年 1 月 30 日 11:05:22)
中島鉄郎をキーワードに検索してみると、こんなコメントがあったので以下紹介する。
【出典】http://www.ibjcafe.com/talk/soccer/socc/20020703031918.htm
朝日の本日の朝刊文化面では、中島鉄郎と言うライターが優勝候補が負けたときの言
い訳について書いてます。彼らは実力で負けたとは言わず他のせいにするそうです。
今回の代表例として、二つを同時に上げています。
点を入れられなかったフランス代表トレゼゲの発言(ボールにネットに入りたくない
と思われたらどうしようもない)というのと、
スペイン代表監督カマチョ監督の発言(副審にはミスジャッジがあり主審はゴールを
認めるべきだった)とを。
これはあまりにも誤審問題を無視したコラムだと思います。
【出典】http://homepage2.nifty.com/htnk/200203.htm
3月12日の朝日新聞「ムネオ特需、メディア席巻 「悪役ぶり」に関心 週刊新潮は完売・
増刷」の記事がありました。
社会的問題の真相を求めて週刊誌に期待を寄せている人が多数居るという状況はありが
たい。
ただ、「週刊新潮完売・増刷」の見出しはいただけない。出版界で「増刷」とは、初版
を発売したあと、さらに印刷して発売することを「増刷」と言います。単行本の2刷り、
3刷り、というのはそれを言う。朝日の見出しを見ると、まさにそう、受け取ってしまう。
「えっ、そんなことがあるのか」
出版人なら、誰もが色めき立ってしまいます。
雑誌の場合には、広告収入を前提として原価計算をしている。部数が増えると印刷費が
広告収入を上回ってアカ字になるので、滅多なことでは増刷はしないものなのです。
「週刊新潮完売・発売部数増」ならわかる。
朝日には出版部は無かったのか?
記事を読んだある人は、
「週刊新潮は初日に店頭に並んだ物は100%売れた。これは鈴木関係者に買い占められ
たからだ。昔の手法を使ったのだが、他が報じないと思ったのだろう。結局、敵を勢い
づかせて自分の首を占めた。それでも新潮の直近の部数は60万部程度で、発売85万部
実売90% (76.5万部)は怪しい。新潮が景気よく言った話を真に受けすぎている」
と解説してくれたが、はたして真相はどうか。
ましてや、朝日が「週刊朝日」など自社の販売部門のネットワークを使えばもっと深い
取材ができたはず。
これには、整理部の問題と記者の問題がありそう。
記事の署名に中島鉄郎とある。この程度で「朝日の講読を辞める」と騒ぐ気にはならな
いが、中島記者の書く出版界モノには今後注意を払おうとは思う。やはり、記事は署名
にすべきだと、思わぬところで再確認。
(引用ここまで)
つまり何が言いたいかというと、大した記事を書いてないなと(笑)
そして新聞記事には、大衆を誤った方向へ誘導することも平気でやるのだなと(笑)
確かに中島鉄郎は、「陰謀論」の記事の中で、
> だが、陰謀論的思考はすべて妄想とも言い切れない。
と書いているのだが、先の「週刊新潮完売・増刷」の見出しがいただけないように、
「断片情報が誘う」だの、「妄想呼ぶ」だのといった大見出しがつけば、どうしたっ
て読者は「陰謀」=「妄想」と誤読してしまいかねない。
こういった記事が、結局は読者を「妄想」へと誘導するのは、中島鉄郎のレトリック
であり、しょせんは陰謀を「十把一からげ」に論じてしまう短絡的な危険を孕む。
こういった売文記者の書く記事には、
> 「公式の歴史も、非公式の歴史もどちらも同じ程度に信じない」(長山さん)くらいの構えが
妄想記事を受け流すリテラシー(素養)と言えるのかもしれない(笑)