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(回答先: 『週刊朝日』地村夫妻騙し討ち「独占雑談」 (週刊文春1月23日号) 投稿者 アーヴ 日時 2003 年 1 月 20 日 01:03:26)
「地村夫妻を騙し討ちにした週刊朝日の行為は問題外ですが、地村家の抗議が来てからの社の対応がひどすぎました。これでは、あの雪印のように事実を隠蔽しようとしたと思われても仕方ありません……」(朝日新聞記者)
21日発売の週刊朝日は鈴木健編集長名で「お詫び記事」を掲載した。週刊朝日は前週号で地村夫妻の“独占インタビュー”を掲載したが、夫妻から取材や記事化の承諾を得ていなかったことをようやく認めたのである。
記者が夫妻との「雑談」を隠し録りしていたことも認め、そのテープを検証した結果としてこう断じている。
「記者は取材であることを告げていませんでした。(中略)夫妻が記者から記事にすることを前提に取材を受けている認識がなかったこと、夫妻が記事にすることを承諾していなかったことは明らかです」
13日に地村家の抗議を受けてからの一週間、朝日新聞社の対応はドタバタを繰り返した。
抗議当日には「夫妻から取材の承諾を得たものだと理解して記事にしました。地村さんご夫妻に対して『取材ではない』と話したことはありません」と強弁していたのに、翌日には「取材・記事化について認識の違いがあったことがわかった」、翌々日には「取材に瑕疵がありました」と説明がくるくる変わり、遂には全面的に地村家の言い分を認めたのである。
社会の木鐸を任じる新聞社とは思えない不誠実な対応ぶりを、地村保志さんの父、保さんが明かす。
●テープの存在を認めなかった
「14日に編集長と副編集長が小浜にやって来て畳に頭をすりつけて土下座した。副編集長は涙も流すし、全面的に非を認めておったんで、許してもええかと思うた。ところが、その日の夜に送って来たファックスを見たら、昼間言うとったことと全然違う。『認識の違い』やとか書いとるから、電話で編集長に文句を言うた。保志もファックスを見て怒って、わしと電話を代わって編集長に直接抗議しとった」
保志さんは鈴木編集長にこう言ったという。
「記者は『これは取材ではない』と言ったし、僕も富貴恵も三回は『取材ではないですよね?』と聞いた。はっきりテープに残っているはずだから確かめてください」
だが、鈴木編集長はこのとき、テープがあるかどうか明確に答えようとしなかった。
家族会の蓮池透事務局長もこう言う。
「私も保志さんに話を聞き、これはひどいと思って鈴木編集長に電話で抗議しましたが、テープの存在はいくら聞いても口を濁すばかりでした。私にも14日の夜に『認識の違いがあった』というファックスが来ましたが、それ以降何の連絡もありません」
15日、前夜の保志さんの猛烈な抗議を受けて、鈴木編集長は両角晃一広報部部長代理を伴い、再度小浜を訪れた。
保さんと朝日側との面会に立ち会った小浜市役所支援室の担当者が言う。
「朝日側はお父さんに『すいませんでした』と繰り返し、『もう一度謝罪文を出します』と言いましたが、お父さんに『二回もいらん。記事にしてくれ』と言われ、『お父さんの意向に添える形にします』と答えていました」
保さんはこのときもテープについて尋ねている。
「『テープを録っているはずやが、それは聞いたんか』と言うたら『まだ聞いてない』と言う。『聞いて確かめてくれ』と言うたら『検討します』と言うとった」(保さん)
謝罪記事の掲載を呑んだ時点で、朝日はテープの存在を認めないわけにはいかなくなった。そもそも、メモも取らない雑談の記憶だけで五ページもの一問一答の記事を書けるはずもない。
これで事態は収束するかと思われたが、17日にまたもや保さんが激怒する事件が起きる。
「17日の夕方に電話があって、鈴木編集長と両角さんが小浜に来とるから会ってくれと言う。もう嫌やったけど仕方なく旅館で会ったら、謝罪記事を持ってきとった。読んだら『取材ではなかった』と認めておったんで、わしはこれでええと伝えた」
事件はその後に起きた。保さんが続ける。
「『本人たちにも見せて納得させます』と言うてその文書を持ち帰ろうとしたら、『会社の規則で雑誌に掲載するまで渡せません』と言う。『これは謝罪文で普通の記事とは違うやないか。誠意が感じられん』と言うたら、両角さんが『本社に判断を仰ぐ』と言って中座した。ところが、戻ってきて『立腹されるでしょうが、やはり渡せません』と言う。『本人だけにしか見せん』と約束してもだめやと言うから、『そんなに信用できんのならもう朝日と名のつくところの取材はテレビも含めて一切受けません』と言うた。部屋を出ても追いすがってくるから、旅館の人がびっくりしとったわ」
朝日関係者が苦笑して言う。
「鈴木さんは自分では何も判断できない官僚的な朝日記者の典型です。地村家や読者への誠意よりも、社内的にどう立ち回ればいいかしか考えていなかったんでしょう」
保さんの了解を得られなかった鈴木編集長は、小浜に泊まり、翌日に何度も保さんに電話を入れて面会を求めるが、あえなく拒絶されている。
「事前に記事を渡してしまったら家族会や救う会に相談されて、文言の訂正を求められるとでも思ったのでしょう」(同前)
結局、鈴木編集長は記事の校了ぎりぎりの18日夕方に地村家にファックスで記事を送ったが、保さんはそのときは留守だった。
「外出先から戻ったらファックスが来とったけど、朝日からはその後一回も電話はかかってきていない。連絡があってももう会わんけどな」
●蓮池透氏も編集長に抗議
保さんは20日になって、「この謝罪文の内容で仕方なく了解する」とのコメントを発表して、とりあえず矛を収めたが、「お詫び記事」にはまだ大きな矛盾もある。取材の経緯について地村家の言い分を全面的に認めているのに、記者はいまだに「記事にしていいという暗黙の了解が得られたと思ってしまった」と語っているというのだ。また、取材を終えてから記事になるまでの経緯はまったく検証されていない。
「編集長は『地村さん夫妻への取材を命じたのも私です』と書いているが、実際は副編集長が指示を出した。編集長が詳細な経緯を知らなかったとしても、担当デスクは取材の経緯や、テープの存在を把握していたはず。記者が考えられない“勘違い”をした上に、編集段階で最も重要な夫妻の承諾を確認することなく記事化するなどあり得ないのです」(前出・朝日新聞関係者)
部内が取材経緯を知った上で記事掲載のGOサインを出していたとすれば、「お詫び記事」にはまだまだ疑問が残ることになる。
副編集長が事前に経緯を知っていたのか、朝日新聞社広報部に尋ねたが、明確な回答は得られなかった。対応の二転三転ぶりについては、「問い合わせのあったメディアの締め切り時間を考え、その時点で把握できた事実関係に基づいてコメントしましたが、検証途中の段階だったため不適切な内容になってしまいました」と回答した。
テープを聞けばすぐわかるのに、なぜ「検証」にそんなに時間がかかったのか。
朝日は「関係者を厳しく処分する」と言うが、今後も「さらに検証を続けます」とも言う。今後、弁明に綻びが生じても「検証途中だった」と言い訳するつもりなのか。
前出の蓮池透氏が言う。
「これまで朝日には何度抗議したかわかりません。キム・ヘギョンちゃんのインタビューもそうでしたし、12月には週刊朝日の記事で家族会を誹謗するようなことが書かれたので鈴木編集長に抗議しました。私自身はもう朝日からの個別の取材は応じないことに決めています」
いっそのこと、家族会に「検証」を委ねたらどうか。