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Re: 台湾の連戦・国民党主席、李前主席の“親日姿勢”批判 [読売新聞]
投稿者 台湾近代史解説 日時 2003 年 1 月 15 日 21:45:06:

(回答先: 台湾の連戦・国民党主席、李前主席の“親日姿勢”批判 [読売新聞] 投稿者 あっしら 日時 2003 年 1 月 14 日 14:38:42)

連戦というこの国民党主席は相当なお坊ちゃまで、自分が総統選挙に出馬した際にも選挙民と握手さえ出来なかったそうです。
その結果、野党の民進黨に政権を譲り渡してしまい、現陳水扁総統となりました。

阿修羅の読者の皆様はほとんどご存知と思いますが、日本の敗戦後に台湾は蒋介石国民党の中華民国政府に所属した。その後に多くの中国人が台湾に移住しました。日本の敗戦後に移り住んだ中国人を外省人と言います。それに対して植民地時代から台湾に居た人々は本省人といいます。外省、本省とは日本の撤退後に中華民国政府が台湾を台湾省としたので、本籍が台湾省内にあるかないかの意味です。最初は植民地支配から解放された台湾人は中国に希望を持った。しかし外省人は中国式の強権的な統治を始めました。それは日本の植民地時代よりも数倍厳しく、かつ賄賂が横行する腐敗したもので、悪化する治安に本省人の人々は反発を強めた。

そして1947年2月28日にタバコ売りの女性が中国人警官に暴力をふるうのを見かねた周りの人々が警官を殴った。興奮した人々は暴徒となって、警察署や役所を襲った。中華民国政府は数万の軍隊を送り、台湾人を機関銃で射殺したり、捉えた人々の手のひらに穴をあけて針金を通してつないで野ざらしにしたりした。

1949年国民党と共産党の内戦に敗れた蒋介石とその一派は台湾にのがれて、台北を臨時首都として中華民国を名乗った。大陸側では中華人民共和国があったので二つの中国と呼ばれた。蒋介石は「大陸反攻」を叫び、中共「台湾開放」を叫んで火はふかねど戦争の状態であった。そのため台湾はそれ以来、世界で最も長い戒厳令を続けることになる。

1989年、蒋介石の息子蒋経国が死去すると、本省人で京大出身の李登輝副総統が総統となった。李総統は戒厳令を廃止。政治犯を釈放。そして停止されていた憲法を再開し、改憲して国家元首が国民の直接選挙で選べるようになる。初回の総統選挙に李氏は立候補する。

しかし快く思わないのは利権を握っていた外省人たちである。もしも総統(大統領)が民選となり民主化されれば、彼らの利権と特権は奪われる。彼らは仇敵であったはずの中共と裏で組んで選挙前に中国が軍事演習と称して高雄沖と沖縄近海にミサイルを打ち込んだ。もしも沖縄近海のミサイルが日本領海に着弾していれば完全なる中国の日本への攻撃となるところであった。

以後は李登輝総統はさらに民主化を進め、亡命同然で外国に移住していた台湾の知識人も多くが帰国して、新生台湾のブレーンとなった。李登輝総統の元で副総統(副大統領)をしていたのが連戦氏であったが、学者肌で行動力がなく、あまりぱっとしなかった。さらに彼は父親が本省人で母親が上海の富豪の娘であり、本省人の民主体制に快く思っていなかった。

その後、李氏が引退して連戦氏が国民党から総統選挙に立候補したが大敗したのは先述の通りです。

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