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(回答先: 天皇陛下69歳に「拉致の苦しみ、いかばかりか…」 [読売新聞] 投稿者 あっしら 日時 2002 年 12 月 23 日 12:47:06)
誕生日にあたっての天皇陛下の記者会見での宮内記者会とのやりとりは以下の通り。
【質問】
この1年を振り返って印象に残った出来事や感想について、先月、亡くなられた高円宮憲仁さまの思い出も含めてお聞かせ下さい。
【天皇陛下】
今年は厳しい経済情勢が続き、国民の生活には、様々な苦労があったことを案じています。来年は、少しでも良い方向に、向かって行くことを、願っています。
今年は、日本では比較的自然災害の少ない年であり、天候に恵まれ、農作物も、一部の地域を除いては、おおむね良い収穫が得られたことをうれしく思っております。それでも、自然災害による死者が今年は50人くらいになっています。誠に痛ましいことです。日本の自然は厳しく、16年前までは、1年を除き毎年、100人以上の死者が自然災害によって起こりました。近年の自然災害による死者の減少は、長年にわたり、治山治水に携わった人々、気象情報を正確に早く伝えようとしている人々など、様々な関係者の努力の結果であり、心強く思っております。
三宅島の噴火は、まだ、おさまらず、全島避難が続いています。島の環境とは異なる環境での島民の生活は、色々、苦労が多いことと察していますが、体に気を付け、元気で島に戻られる日の来ることを願っています。また、復旧に携わっている人々が健康に十分気を付け、仕事を進めていかれるよう、願っています。
小泉総理の北朝鮮訪問により、拉致事件の一端が明らかとなり、その後、5人の拉致被害者が帰国したことは、大きな出来事でした。長年にわたる拉致被害者ならびにその家族の苦しみや悲しみは、いかばかりであったかと、察しています。
喜ばしい出来事としては、サッカーのワールドカップにおいて、共催している日韓両国のチームが、決勝トーナメントに進んだことです。日本チームは、韓国には及びませんでしたが、日本選手の活躍をテレビで見て、非常に頼もしく、感じました。日本の多くの人々を明るい気持ちにさせたことと思います。このワールドカップが、日韓両国の国民の相互理解と、友好関係の増進に寄与したこととうれしく思っています。
また、ノーベル物理学賞を小柴昌俊博士が、ノーベル化学賞を田中耕一氏が受賞されたことも、喜ばしいことでした。多くの人々の励みになったことと思います。
私自身のこととしては、7月に皇后とポーランドとハンガリーを公式訪問し、その前後の週末に、チェコとオーストリアを訪れたことが、印象深く残っております。それぞれの国の大統領閣下、並びに、令夫人から、心のこもったおもてなしをいただき、多くの人々から温かい歓迎を受けました。これら4カ国は、私どもの初めて訪問した国でありますが、これらの国々が経てきた厳しい道のりと、民主主義を守りつつ発展しようとしている姿に、理解を深めることができました。
国内のこととしては、毎年のように、全国植樹祭、国民体育大会、全国豊かな海づくり大会などの行事の機会に各地を訪れ、人々に接し、地域の実情に触れることに努めてきました。各地で高齢化が進み、地域の人々には多くの苦労があることと察しています。
今年の豊かな海づくり大会は、長崎県で行われ、その機会に平戸と生月の両島と、五島列島の福江市を初めて訪れました。即位後、出来る限り早い機会に全県を回りたいと考えていましたが、まだ、2県が残っています。島についても、機会あるごとに島を訪れ、島民に接していきたいと考えています。
今年は、沖縄が日本に復帰して30周年にあたります。30年前の5月15日深夜、米国旗が降ろされ、日の丸の旗が揚がっていく光景は、私の心に深く残っております。先の大戦で大きな犠牲を払い、長い時を経て、念願してきた復帰を実現した沖縄の歴史を人々に記憶され続けていくことを願っています。そして、沖縄の人々が幸せになっていくことを念じています。
また、この沖縄復帰の日は、今から70年前、犬養総理を海軍の将校らが暗殺した「5.15事件」の起こった日でもあります。短期間ではありましたが、これまで続いた政党内閣は、この事件をもって終わりを告げ、その後、政党内閣ができるのは、戦後のことになります。
高円宮の薨去(こうきょ)は、誠に突然のことで、本当に驚きました。最後に会ったのは、宮殿での検事総長や検事長などとの午餐(ごさん)の席であり、スポーツの話だのが出て、非常に元気でしたから、翌日にこのようなことが起こるとは、とても思いませんでした。誠に残念なことでした。高円宮の今年の活動は、日本サッカー協会の名誉総裁として、ワールドカップに尽力したことだと思います。開会式に出席し、韓国各地を回り、韓国との友好に尽くしてくれたことをうれしく思っています。
【質問】
陛下は、中東欧訪問前の記者会見で、旧ソ連の政治体制を「一党独裁」と述べられ、韓国の金大中(キム・デジュン)大統領との懇談の際には、南北の銃撃戦で死亡した韓国の兵士について言及されました。皇后さまも北朝鮮の拉致事件について率直な感想を述べられました。このような政治的事象や国際紛争についての発言は、従来あまりなかったと思われますが、陛下の胸中をお聞かせください。
【天皇陛下】
記者会見で「一党独裁」と述べたところは、1956年のハンガリー動乱や1968年の「プラハの春」自由化運動などソ連支配下の一党独裁体制に対する反対の運動が成功しなかったという歴史的事実を述べたものです。
また、韓国の金大中大統領閣下とお会いしたのは、ワールドカップの決勝戦のときで、その直前に起こった銃撃戦で兵士の4人が亡くなったことに対し、異国の地で大統領閣下がご心痛のこととお察ししたからです。
皇后が北朝鮮の拉致事件に触れたのは、今年の誕生日にあたっての記者会からの質問の中に、サッカーのワールドカップや日朝首脳会談などが今年行われたことを挙げ、この1年の気持ちを聞かせてほしいという質問があったからです。
私どもには、富山県高岡市で起こった拉致未遂事件という恐ろしい記憶があり、皇后が述べている、「なぜ、自分たちが、自分たち共同社会の出来事としてこの人々の不在をもっと強く意識し続けられなかったのだろうか」という思いは私にも非常に分かります。
なお、政治的事象や国際紛争についての発言は、従来あまり無かったと思われるとのことですが、1年の出来事の中で、国際情勢の変化を抜いて答えることは不可能なことであり、湾岸戦争やソ連の情勢の変化のような大きな出来事については、これまでも、1年を振り返っての記者会見で言及しています。
【質問】
皇太子ご夫妻の長女、敬宮愛子さまが健やかに1歳を迎えられ、皇太子ご夫妻は約8年ぶりに外国親善訪問をされました。皇后さまは「東宮御所がにぎやかになった」と感想を述べられております。こうした皇太子ご一家の様子を見て国民の間には、女性天皇を容認する声もありますが、陛下はどのように受けとめておられますか。
【天皇陛下】
皇位継承の問題は、皇室典範に定められており、この問題は、国会の論議に委ねられる問題と思います。
敬宮は、健やかに1年を迎え、最近は、色々な物に対する認識が深まってきているように感じられます。良い成長をしていることをうれしく思っています。
ニュージーランドとオーストラリアへの公式訪問は、私どもも、ほぼ30年前に両国を訪ねていますので、二人が帰ったら、話を聞くのを楽しみにしています。私が、いまの皇太子より少し若い時でしたから、懐かしく当時のことを思い起こしています。
【質問】
情報公開と皇室のプライバシーの議論を経て、今年秋、昭和天皇とマッカーサー元帥との第1回会見録が58年目にして初めて公開されました。こうした会見録や昭和天皇に関する側近の記録などのうち、明らかになってくるのはごく一部とみられます。第1回会見録やその他の記録は、お手元にあると拝察されますが、当時の昭和天皇の胸中に思いをはせ、感想をお聞かせください。
【天皇陛下】
昭和の初期は、即位の礼の年に起こった張作霖事件をはじめとして事件や事変が相次いで起こり、平和の少ない時期でした。その後、ついに、第2次世界大戦になり、日本人の死者は300万人を超えたと言われております。皇太子時代の欧州訪問の際、第1次世界大戦のヴェルダンの戦跡を視察され、平和の大切さを実感されていた昭和天皇のご心痛は、非常に大きかったと、折に触れお察ししています。
【質問】
現在も、ご公務で多忙な日々を過ごされていますが、陛下の健康については、これまでも皇后さまをはじめ周囲や側近の方々も心を配られているように拝見します。陛下は来年、古希を迎えられますが、これを機会に、これから先の公務と年齢との兼ね合いをどのようにお考えですか。皇族方との公務の分担のあり方も含めてお聞かせ下さい。
【天皇陛下】
公務は、昭和の時代に比べると、増えてきております。国の数が増え、国々との交流が盛んになってきたからです。平成の初めに、ソビエト連邦が15カ国になり、ユーゴスラビア連邦から5カ国が誕生しました。2カ国が20カ国になったわけです。
その他にも、いくつかの新しい独立国ができました。今月の16日には、サン・マリノ共和国の初代駐日特命全権大使から信任状を受けました。
また、昭和の時代は、外国元首の公式訪問は、国賓だけでした。平成になってからは、国賓のほかに、公式実務訪問の賓客が加わりました。
このように、公務は増えてきておりますが、私の立場で行うことが望ましいものについては、今後も、心して務めていきたいと思っています。皇族との公務の分担については、その行事の性格によって、考えねばならないと考えています。
【質問】
日韓共催のサッカー・ワールドカップについてお尋ねいたします。陛下は「高円宮さまはワールドカップに尽力し、韓国との友好に尽くした」と述べられました。その高円宮さまは、公式訪韓の際の記者会見で、「ワールドカップを機に、日韓両国は21世紀における大きな第一歩を踏み出した」と述べられました。陛下は、今回の日韓共催のワールドカップの歴史的な意味をどのように考え、今後の日韓関係をどのように望まれていますか。
【天皇陛下】
韓国は、日本にとって、非常に近い国です。対馬からは、釜山の灯(ひ)が見られると聞いています。このような隣国との関係は、非常に大切であり、友好関係を増進していくことが、非常に重要と考えます。
歴史的にみても、日本書紀では、当時の百済などの国との交流が非常に詳しく記されています。今日に至るまでの、長い交流の歴史は、色々な場合がありますが、その歴史をしっかり認識し、その上に立って、これからの両国の友好関係を築いていくことが大切と思います。
やはり、ここで、忘れてならないのは、日韓ワールドカップの共催ができるような状況になったということだと思います。それまでに、戦後の厳しい状況にあった両国の関係を、共催ができるまでに築き上げてきた人々のことを、この機会に忘れてはならないと考えております。 (05:03)