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『亜空間通信』417号(2002/11/01)
【血の復讐の鬼畜英米伝統はアングロサクソンより海賊ノルマン王朝由来の恐怖】
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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!
以下は、さる10月25日発刊のわが新著、『9・11事件の真相と背景、副題:「テロ」か? 自作自演の戦争挑発謀略か?アメリカ=イスラエル=世界支配構想の核心を突く』の11章の内、アメリカ帝国の「三種の神器」「自由、民主主義、文明」の正体、の項への追加である。
英米の神話には、北欧神話も埋め込まれている。今の日本で一番分かり易い言葉で説明すると、テレヴィのアニメ番組にもなったスカンディナヴィア半島の海賊、「ヴァイキング」の系統の神話である。イギリス帝国の中心、イングランド王国の始祖は、この海賊だったのである。
何とも恐ろしいこの血統および神話的伝統を説明するために、「ヴァイキング」と「ノルマン王朝」で電網検索したら、今から5年前、1997年に日本語訳が出た好著の紹介記事を発見することができた。
以下、特徴的な記述を2つだけ、先に引く。
1) ノルマン人は、スカンディナヴィアに居住していた北ゲルマン系の部族であるが、彼らは4世紀に始まるゲルマン民族大移動の時には動かず、8世紀末、793年になって初めて第2次民族大移動とも呼ばれる大移動を広い地域に展開し、中世ヨーロッパに大きな影響を与えた。
2) 放浪者オッタルが、ノールカップに到達して、スカンディナヴィア「半島」であることを発見し、ノルウェーがヨーロッパと陸続きであることがアルフレッド大王(註)によって記録される。しかし海岸付近の狭い土地しか耕作に適さず、本国を出て行かざるをえなくなる。
「サガ」と「エッダ」におけるヴァイキングの宗教観。
血の復讐と祭礼の生贄という殺人が当然とされていた。ユトランド半島の沼地から見つかる沼澤人間はその犠牲者である。海の軍馬ヴァイキング船。身分の高い死者は本物の船に中に正装して安置され、副葬品ともに船ごと埋葬された。略奪と大貿易からなるヴァイキングの航海の拠点ハイタブは後にハンザの模範となる。
木村愛二註:アルフレッド大王:
http://village.infoweb.ne.jp/~isamun/monarchs/people/cerdic.html#alfredgreat
ウェセックス(セルディック)家 Wessex
アルフレッド大王 Alfred the Great
生没年:846?-899
以下は、その好著の紹介記事の全文である。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/4844/bunnkashi.htm
G.ファーバー著 片岡哲史・戸叶勝也訳 アリアドネ企画 1997
『ヴァイキングの足跡―「海賊・冒険・建国の民」ノルマン人の謎―』
この本は、グスタフ・ファーバーが、1976年にドイツのベルテルスマン書店から出版したものに大幅加筆し、1996年改訂版として出版したものである。原題に忠実に訳せば、本来ならば「ノルマン人―海賊・発見者・建国者」とされるべきであるが、日本ではノルマン人という用語があまり知られていないため、「ヴァイキング」という意訳が使われている。これについては訳者が冒頭で注を入れている。
グスタフ・ファーバーは1912年ドイツのバーデンヴァイラーで生まれ、第2次世界大戦後、フリーの著作者として活躍。著書の中には『ポルトガル』、『ブラジル―明日の世界大国』、『南イタリア―歴史・文化・芸術』などがある。
この本のテーマとなっている「ノルマン人」というのは、本来「北の人」という意味である。これは、日本で一般的に「ヴァイキング」という名で知られているものとほぼ同じである。ノルマン人は、スカンディナヴィアに居住していた北ゲルマン系の部族であるが、彼らは4世紀に始まるゲルマン民族大移動の時には動かず、8世紀末、793年になって初めて第2次民族大移動とも呼ばれる大移動を広い地域に展開し、中世ヨーロッパに大きな影響を与えた。ヨーロッパの歴史は、ノルマン人もまたその一部を形成している数多くのゲルマン的要素を抜いては理解し得ない。ノルマン人の歴史は、それだけをたどることなど不可能であり、ヨーロッパや他の地域の歴史と複雑に絡み合っている。そのため、著者はこの本の中で、ノルマン人の子孫であるスカンディナヴィア諸国民のみならず、ヨーロッパの歴史や文化を見る上で、地理学、文化人類学、歴史学、文化・芸術史といった新しい視点を与えている。
著者はノルマン人の移動を以下の3つの観点から見ている。
(1) 海賊・・・もともと海洋民族として航海に長じ、冒険心に富んだノルマン人は、ヴァイキングの名で知られる「海の英雄」として「海の軍馬」である竜頭を船首につけた船に乗り、自然条件に恵まれぬスカンディナヴィアからヨーロッパへ各地へと遠征を行った。海賊行為そのものは破壊と恐怖しかもたらさなかったが、著者は、ヴァイキングの魂の中に進取の精神と歴史を動かすエネルギーを見落とさない。
(2) 発見者・・・ノルマン人は、アイスランド・グリーンランドを発見し、さらにコロンブスより500年も早く北アメリカに渡った。豊かな土地を求めて移住した彼らの植民は苦難の連続であった。特にグリーンランド移民のたどった運命は悲惨である。アメリカ移民は実現しなかったが、これは、ノルマン人の文明がまだ十分に成熟しきっていなかったことを示している。
(3) 建国者・・・ノルマン人は、ロシアの原型とされる国家を建てることにより、スラブ世界に衝撃を与え、また地中海のシチリア島に王朝を開き、サラセン世界やビザンチン帝国と接触した。フランク王国から西フランスのノルマンディーを取得したノルマン人は、その後イングランドを征服したが、このことはその後の英仏の歴史に大きく影響することになる。ノルマン人は少数であったこともあり、人種的にも文化的にも被征服者に同化吸収されたが、彼らが植民するときにもたらしたインパクトやノルマン的要素は、長く歴史にとどめられた。
この本は、上記のようなノルマン人の広範かつ多岐にわたる足跡を、資料からだけではなく、史跡の実地見聞により肉付けし、我々の目の前に浮き上がらせたことが特色といえる。ノルマン人は、民族としてはごくわずかなものを除いて滅亡した。しかし彼らは右傾無形の証言を残していった。ノルマン人というテーマについて、リビウス、サルトル、タキトゥスといった古代の歴史家の証言はない。あるのは、一方的で偏った考えを持った僧たちの記録や、暦、あるいは無味乾燥な年代記である。これらの記録文書は、いつ・どこで・何が行われたかというデータのみであり、何故・どのようにしてそれがおこったのかというデータという骨組みを補強するものが欠落している。しかしこの文字による記録の欠落を、技術的な成果と実地見聞が補う。考古学上の発掘や、科学的分析、深海研究などを基礎としたものである。
この本では、ノルマン人の足跡を7つの章に分けて記述している。
(1) 北方・・・海に放浪者オッタルが、ノールカップに到達して、スカンディナヴィア「半島」であることを発見し、ノルウェーがヨーロッパと陸続きであることがアルフレッド大王によって記録される。しかし海岸付近の狭い土地しか耕作に適さず、本国を出て行かざるをえなくなる。「サガ」と「エッダ」におけるヴァイキングの宗教観。血の復讐と祭礼の生贄という殺人が当然とされていた。ユトランド半島の沼地から見つかる沼澤人間はその犠牲者である。海の軍馬ヴァイキング船。身分の高い死者は本物の船に中に正装して安置され、副葬品ともに船ごと埋葬された。略奪と大貿易からなるヴァイキングの航海の拠点ハイタブは後にハンザの模範となる。
(2) 西洋の恐怖・・・聖カスバートがヴァイキングのリンディスファーン襲撃を予言し、ヴァイキングの西洋への最初の襲撃が記録される。スウェーデンヴァイキングはフィンランド湾からロシアへ、ノルウェーとデンマークのヴァイキングはフリースランド・ドーヴァー海峡沿岸・イギリス・アイルランド・アイスランドへ向かう。ヨーロッパ大陸への進出はナント襲撃から始まる。ハンブルクを焼き払い、ライン沿岸を次々に襲撃。守備の堅いマインツは「難民収容所」と化す。セーヌ川流域では、ウード伯が必死でパリを防衛し、セーヌ川にかかる橋の撤去を拒否されたヴァイキングは、橋を迂回するようにヴァイキング船を陸上輸送する。ロロを首領としてユール川とエプト川の間の土地にノルマンディー公国建国。
(3) 東方への進出・・・ヴァリャーグと呼ばれる、スウェーデン発の東方のヴァイキングはリューリックのホルムガルド支配をはじめ、スモレンスクやキエフにとどまらず、ビザンツ帝国やペルシアまで進出しようとした。ノルウェーのハラルド苛烈王は、本国がクヌート大王の北海帝国に帰属すると、故郷を離れ、東ローマ皇帝の軍隊の支配者にまでなる。
(4) アメリカの発見・・・アイスランドへの移民と、追放者である赤毛のエーリクによるグリーンランド発見。しかし、グリーンランドに移民したノルマン人は本国に見捨てられ、自立できず全滅してしまう。ノルマンのコロンブスとでも呼ぶべきレイヴ・エリクソンが、995年に現在ニューファンドランドとして知られる場所に上陸するが、彼らはそれが大陸とは知らなかった。
(5) イングランドをめぐる闘い・・・ユトランド北部から来たゲルマン系アングロサクソン人がブリテン島のほぼ全体を侵略し、「ブリタニア」は「イングランド」になる。アルフレッド大王がデーン人ヴァイキングを破る。エセルレッド王がデーン人大量虐殺を行い、スヴェン王が復讐。スヴェンの息子クヌートが北海帝国樹立。エドワード懺悔王が再びアングロサクソンの王となる。ノルマンディー公ウィリアムがハロルド戴冠に異議を唱え、ヘイスティングスの戦いが起こる。ウィリアムのイングランド国王戴冠。(ノルマン・コンクェスト)
(6) イタリアでの冒険・・・イェルサレムへの巡礼から帰る途中のノルマン人の騎士40人がサレルノ公の危機を救う。タンクレッド・オートヴィル伯と12人の息子たちが南イタリアで勢力を広げる。タンクレッドの息子の1人ロベール・ギスカールが教皇グレゴリウス7世の目の前でローマを焼き払う。タンクレッドの末息子ルッジェーロがシチリア島をイスラム軍から防衛し、ノルマン・シチリアの最初の支配者となる。
(7) ノルマンの南の王国・・・ルッジェーロの息子は、ロベール・ギスカールの子と孫の早世により、シチリアと南イタリアを統合した「両シチリア王国」の初代国王ルッジェーロ2世となる。ルッジェーロ2世は封建制と官僚制をミックスした、中央集権国家の前身とも言うべき体制を築き上げた。ルッジェーロ2世の孫、グリエルモ2世が36歳の若さで世を去ると、ルッジェーロ2世の私生児タンクレッドと、ルッジェーロ2世の娘コンスタンツェの夫ドイツ皇帝ハインリヒ6世が王位を争うことになる。結果、オートヴィル家の一族は皆殺しにされ、ここにおいてノルマン人は歴史の表舞台から消える。
この本の中で特に、イングランド征服、両シチリア王国建国の部分は非常に詳細であり、他に類を見ない。しかし、ヨーロッパ各地において並行的になされた出来事が、場所ごとの歴史として章立てされ、取り上げられているため、時代が前後し、理解しづらい部分も見られる。また、ドイツ語からの翻訳であるため、デンマーク語・スウェーデン語の歴史書と人名が異なってしまっている。現在、小学生用の教科書でもジュリアス・シーザーではなくユリウス・カエサルとして記述される。それにのっとっていうならば、できれば人名は現地の発音に近い表記にすべきであろう。とはいっても、現代の北欧語と古代の北欧語の間にも大きな隔たりがあるため、どの表記が正しいかというのは一概には言えない。
後に建国者となった海賊というテーマは、歴史的にも倫理的にも非常に意味が深く、さらに普遍的なテーマとしての広がりも持つ。それは、建設的な発展、つまり自然から文化へ、混沌から秩序へ、すなわち法への方向を明らかにするものであるからだ。礼節ある世界を数百年にわたって自然災害のごとく震撼させた海の遠征者は、驚くべき速さで変身し、教養ある人間になった。彼らなくしては現在のヨーロッパはなかった。
この本は世界史の表面にはほとんど登場しないノルマン人―ヴァイキングの歴史をできる限りわかりやすく記している。しかし残念ながら、当時のヨーロッパ世界の流れをある程度理解した上でなければ、この本を読むだけで彼らの活動がどれほど広範囲かつ多岐にわたっていたのかを理解することはできない。けれども、ヴァイキングについてはあまり知らないが、世界史は好きであり、ヴァイキングについてもっと知りたいという人のためには格好の入門書である。
以上で引用終わり。
今のアメリカのブッシュ「王朝」にも、この海賊の血と神話的伝統が注いでいるのである。
以上。
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木村愛二:国際電網空間総合雑誌『憎まれ愚痴』編集長
ある時は自称"嘘発見"名探偵。ある時は年齢別世界記録を目指す生涯水泳選手。
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(2002.10.27.ヒット数4,664)
E-mail:altmedka@jca.apc.org
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altmedka:Alternative Medium by KIMURA Aiji
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電網速報『亜空間通信』(2001.09.01.創刊 2002.11.01.現在417号発行済)
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