クリストファー・ディッキー(中東総局長)
ダニエル・クレードマン(ワシントン支局長)
今年も、ユダヤ教の過ぎ越しの祭り(3月28日〜4月3日)がやって来た。先祖の味わった苦難に思いをはせるために、ユダヤ教徒の食卓にはパン種の入っていないパンが並ぶ。
その質問をするのは、一家のいちばん下の子供の役目と決まっている。「ねえ、今日は特別な日なの?」
すると大人たちは、エジプトの奴隷だったユダヤ人の先祖がエジプトを脱出した話をして聞かせる。毎年繰り返されてきたユダヤ人の年中行事だ。
しかし今年は、例年とは違った雰囲気に包まれている。ユダヤ人の間で、ここ何十年もなかったほど、未来に対して悲観的な空気が広がっているのだ。
ユダヤ人国家イスラエルに未来はあるのか? この国に平和が訪れる日は来るのか?
「(この国の未来に対して)私はきわめて悲観的だ。もう手遅れではないかと思う」と、歴史学者のアモス・エロンは言う。「こう話しても、私のいだいている不安の半分も伝わっていないだろう」
いまイスラエル社会には、パレスチナ過激派による自爆テロの現場に漂う火薬の臭いと同じくらい強烈に、不安の臭気が立ち込めている。確実に平和に近づいていると思われた90年代は、もはや遠い昔のことのように思える。
18%が「消滅」を予測する
ここ一連のパレスチナ人との衝突により、多くのイスラエル人にとって、平和への希望はしぼんでしまった。イスラエル人にとってもパレスチナ人にとっても、事態は悪夢のようなシナリオをたどろうとしているようにみえる。
しかもイスラエルは、パレスチナ問題のせいでイスラム世界の激しい憎悪の対象になっている。そればかりでなく、ヨーロッパでは新たな反ユダヤ主義も頭をもたげはじめている。
親イスラエル路線を取ってきたアメリカでも、この国の未来に対しては悲観的な見方をする人が多い。本誌の世論調査によると、50年後にもイスラエルがユダヤ人国家として存続していると考える人は、回答者の34%にとどまった。イスラエルの消滅を予測する人も、18%いた。
「うん、怖いよ」と言うのは、エルサレムに住む14歳のユダヤ人、ハダス・ハルパクだ。「風船が破裂する音が聞こえただけで、ドキッとして飛び上がってしまう」
「土地と平和の交換」がまだ成り立ちうることを信じたいと、ハルパクは思っている。「でもはっきり言って、何も変わらないと思う」と、彼は言う。「僕たちは暴力の中で生きることを覚えていくのかもしれない。暴力は生活の一部になるのだろう」
世界最強の戦車も爆破
いや、むしろ暴力は、すでにイスラエル人の日常生活の一部になっている。
自爆テロの標的になるのは、イスラエル政府や軍関係の施設だけではない。通勤のバス、街のピザ店、ショッピングモール、若者でにぎわうディスコ……。市民が日常的に出入りする場所がテロの標的になっている。
それでも、ハルパクのようにこの土地で生まれ育った世代は、ほかに行く場所などない。
「バスが爆破されることのない土地で暮らせるに越したことはない」と、ハルパクは言う。「でも、友達はみんなここに住んでいる。離ればなれになりたくない」
イスラエルの国民が戦争を生活の一部として受け入れるのは、これが初めてではない。
独立をかけた1948年の第1次中東戦争では、6000人が命を失った。国民の100人に1人が死んだのだ。
67年の第3次中東戦争の際に、イスラエル国民は「意地悪な姑が近々訪ねてくるのを覚悟しているというような感覚で、戦争を迎える雰囲気があった」と、歴史学者のエロンは言う。
「イスラエルという国が存続していくためには、時として血が流れる必要があるのかもしれないと言う人たちもいた。毎年納める税金のようなもの、というわけだ」
現在の状況について同じようなことを言う人々もいるが、状況は昔とはまるで違う。
確かにイスラエルの軍事力は史上最強だ。しかし、今ほど国民の安全が脅かされていることは、50年代以降なかった。
核兵器があるといっても、隣人が相手では危なくて使うわけにいかない。世界最強という触れ込みだった戦車も、パレスチナ人が仕掛けた爆弾で爆破されている。
かつては、テロが国家の存立を脅かすことはないと考えられてきたが、イスラエル国民はこの点に疑問を感じはじめている。
憎悪と偏見を生む「物語」
安全に対する不安の高まりを背景に、イスラエル人の間では、自爆テロを繰り返すパレスチナ人の間に広く見られるのと同様の極端な考え方が広がりはじめているようにみえる。
それにもまして問題なのは、多くのイスラエル人の間で平和という概念そのものが崩壊してしまったことだ。
この小さな国をめぐって、なぜこれほどまでに激しい対立が繰り広げられるのか。
この土地を聖地とする三つの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の聖典に、この問いの答えを求めようとする人もいる。イギリスの二枚舌外交とホロコースト(ナチスによるユダヤ人大量虐殺)、アラブの民族主義指導者の扇動といった歴史に、その答えを求める人もいる。
だが対立を生み出したのは、このような要因だけではない。悪意に満ちた「物語」が語られることにより、憎悪があおられ、根強い偏見の土壌がつくり出されてきたのだ。
「最近になって、そういうたぐいの汚らしい言葉をまた耳にするようになった」と、イスラエルのマイケル・メルキオ副外相は言う。「これまでに数々の悲劇を生み出してきたのは、そうした毒のような言葉なのだが」