(回答先: Re: 一般ユダヤ教徒と祭司階級は分けて考えるべき 投稿者 隣人 日時 2002 年 3 月 19 日 16:00:25)
隣人さん、こんばんわ。
大々的な国民的人さらい行事ではないと思います。
推測でしかありませんが、秘儀的なもので一般信者はそれほど食べないのではないかと思っています。
血のペストリーを食べることは、人肉を食べるほど、それほどぎょっとするものだとは思いません。どういう意義付けをしているのかはわかりませんが、なんとなくわかるものです。
意義付けは180度違うものですが、ワインをキリストの血と考えたり、血や精液に特別な価値観を感じ飲むことはそれほど珍しいことではありません。
生け贄に捧げた動物も食べますし、ラクダや羊などの血も飲みます。
>今ではユダヤ人も簡単に聖書を手にすることができます。モーセの律法を今なお有効
>とする彼らにとって、書かれていることと行なっていることの間に矛盾は感じないの
>でしょうか?
矛盾を感じる人もいれば、人ではないと考えている生き物をどうこうしても問題ないと考えている人もいるでしょう。
律法は、あくまでユダヤの民に対するものです。
>私が聖書を読む限りでは、国家的な災厄におけるイスラエルの正当性というのは、少
>しも伝わってきませんでした。聖書筆者はみな災厄の原因がイスラエル国民自身ある
>ことを率直に認めています。
同じユダヤ教徒でも、敬神者と不信心者とでは扱いがまったく違います。
敬神者であれば、私から見れば暴虐非道の行いであっても正当化されています。
不信心者であれば、そういう目にあっても当然という記述です。
新約聖書にも、ある行為に関するイエスの評価で、おいおいほんとはどうしろというのだと言いたくなることがいっぱいあります。