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(回答先: 冗談でしょ!?(^^; 投稿者 通りすがりの地方住民 日時 2002 年 10 月 19 日 10:29:44)
通りすがりの地方住民さん、こんにちわ。
レスありがとうございます。
>何で国家に、「目立たんようになれ。掛け金は少なくしろ」なんて指導する義務があ
>んの? そりゃ過保護でしょう。
殺人・強姦・放火などと同じように刑法罰の対象になっている行為だからです。
公営ギャンブルは、公営であることのみを根拠に、個別法律を制定して刑法の賭博開帳罪を免れているだけです。
賭博行為を違法とした主体も公営ギャンブルを運営する主体もともに同じ国家なのですから、節度を持ってギャンブルを運営するのが理に叶っていると考えています。
このような意味から、競馬や宝くじのTVCMを流す国家におぞましさを感じています。
>一応ここは、自由主義国家ですよ。
>「ギャンブルの射幸性に流されない、強靭な精神を作ろう」
>という教育こそが必要であって、規制そのものは本来ない方がいい。
法治国家であり、法は倫理や価値観に基づいてつくられているものです。自由主義価値観の具体的な発現許容度も、法によって規定されています。
こんなことは言いたくないが、あなたの論に従えば、そのような教育だって規制とは言わないまでも、余計なお世話であり過保護です。
「異性の魅惑に流されない、強靭な精神を作ろう」
「詐欺を見抜けるよう、強靭な精神を作ろう」
法で規制しないが、教育で規制まがいのことをされるというのもうざったいものですよ。
刑法はきわめて自由主義的なものだと考えています。
すべてがそうですが、「殺人は悪いことだからやってはいかん、やったらこういう罰を与える」というのではなく、「殺人を行ったら、こういう罰を与える」となっており、いい悪いという価値観の表明は捨象しています。
どういってもそうなるんですが、規定されている罰を覚悟して人を殺すのならご自由にどうぞというものです。
>ギャンブルの存在は否定できないですよ。古今東西どこにでもある。それを規制する
>国家は沢山あったけど、どれ一つ見てもギャンブルを根絶させることはできなかった
>はずですけど。
>「ギャンブルを根底から否定することはできない。それは社会が必要としている要素
>の1つだからである。歴史がそれを証明している。ということはギャンブルのマイナ
>ス面にうまく対処しつつ、プラス面をうまく利用する方法を考える」
>という結論になりませんか?
バクチも売春も根絶しろとか取締りを厳しくしろかとを主張していないことは前回の内容をお読みいただければお分かりいただけるはずです。
アナーキーというか治安維持国家に近い価値観を持っていますから、人の活動をあれこれ規制する法律は少ないほうがいいと思っています。
日本は、街中にパチンコ屋がごろごろしており、ちょっとした都市近郊には公営ギャンブルがあるように、世界でも飛び抜けてバクチ場の露出度が高い国です。
>今回のイベントは、最初から公営を意図して(前提として)のイベントなんですか?
> 多分違うでしょ。
カジノ場を都が直接経営するかどうかはわかりませんが、都がカジノ経営の“特許状”とカジノに対する徴税権を確保することを意図していることは、石原都知事の言動から推察できます。
(民間が自由にカジノの経営ができるようにすることを意図しているわけではないということです)
数を限定して都が許認可を与えるという仕組みは、直接の公営よりももっとえぐい利権構造になる可能性が高いでしょう。
>石原慎太郎は典型的な、昔ながらの江戸っ子気質の人ですね。勝海舟を連想します。
>誤解も受け易いと思いますよ。ある種の人たちからは徹底的に嫌われるタイプだと思
>います。
石原慎太郎氏はかつて自民党総裁選に出馬したときも、彼がそうなればいいと思ったくらいですから、ある意味で評価しています。
言動は総理大臣には不向きですが、国会議員としては活躍して欲しいと思っています。
言葉では、弱者にやさしくとか中国とも仲良くとか叫びながら、政策として実際にやっていることが正反対という政治家や政党よりも、どういう立場であれ言行が一致している政治家を評価します。