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(回答先: 私の不安と不健康 投稿者 スギ花粉アレルギー喘息の患者 日時 2002 年 4 月 30 日 12:28:50)
アレルギー喘息の患者さんも大変じゃのう。しかし、そうした目に遇った人は結構多いぞ。
以前も書き込んだように、わしも花粉症や手術などで苦労した体験があるぞ、ちょっと間違えたら車椅子じゃったのう。
その頃を思い出して、アレルギー喘息の患者さんがあまりに気の毒になって、ついつい筆をとってしまったわい。
じゃがなにせ、ボケがきとるもんじゃからキーボードを叩くのが遅くてな、時間がかかってしまった。とは言え、今のわしには何の不安も不健康も無いぞ。
それらをきっかけとして医学に疑問を持ち、さまざまな研究の成果として安心立命を手に入れ、平凡なサラリーマンじゃが幸せとなったぞ。
そして、自分の健康どころか、人の病気さえ治せるようになってしもうたわい。まあ、まだあちらこちら悪いところもあるが、それも学びの過程にすぎず、新たな喜び発見の材料じゃ。
どうしたらそうなるか、これからお伝えしようと思うが、アレルギー喘息の患者さんだけじゃなく、この阿修羅を見る人へのメッセージとしたいので、
患者さんの欲しい情報まで少し時間がかかるが、しばらく付き合ってくれんかのう。ある程度詳しく述べてみようぞ。
すべてはイシヤの思想による影響じゃぞ。イシヤの深慮遠謀(2000年頃前、とくに明治維新、太平洋戦争以降)によって、あらゆる分野で本筋を見定める判断が狂うてしまったぞ。
この阿修羅へ投稿する真面目な人々も長年の教育環境の影響で、その思考そのものがイシヤの虚構の論理、世界の範囲で構築されておるようじゃから、
経済も政治も教育なども、どこまでいってもヤツラの術中、幻影の中におるんじゃ。医学もそうじゃ。医学のすべてを否定するものではないが、
とくに、内科系、病気に関する処置は本末転倒しておるので、そこから脱却を計からないかん。しかし、洗脳されているからには本来のあるべきあり方に戻るのはなかなか難しいぞ。
まず結論的に言えば、人のあらゆる意味での幸せの方程式は命=魂として、
魂の波動の向上=高振動数化=光の高質化=魂の質量の向上=魂の軽さ=霊性の向上=徳の高さ=精神・肉体の高質化=愛の大きさ、深さ。
(ちょっと言葉の定義が曖昧だが、勘弁してほしいのう)いきなり難しかったかのう。
このリンクする言葉の意味が心で納得できる人は、立派な大人、社会人クラスじゃが日本でさえ数が少なくなったかも知れんなぁ。
小泉首相にしても彼なりに一生懸命やっとるとわしは思うがな、しかし、所詮彼もイシヤノ術中の中さ。彼だけじゃない。大企業の役員や官僚のほとんどは、イシヤの思考法における優等生じゃからのう、
この世の摂理から見れば幼稚園生並みのレベルじゃ。右脳左脳で言えば、左脳こそ極端に発達したものの右脳は未成熟で、しかもその連結能力も機能しない連中とも言えるがのう。
じゃから日本の指導者たる連中のほとんどが幼稚園生では、どこまで行っても日本はぬかるみの道じゃぞ。
勿論、日本の一般民衆も多くの人が金と権力、快楽、色や欲に囚われてどっぷりとイシヤの思考にそまっとるから何にも言えんわのう。
民衆の幸せを求めるならば、イシヤの構築した幸せの幻覚、すなわち、物質志向、経済至上主義、科学万能思想から抜け出ることじゃな。
そして日本古来からの精神風土、価値観を思い出せよ。我らが目指すべきはイシヤとはベクトルが反対方向じゃ。逆さまじゃ。
そういうわけで、わしのようなことを言うとバカ扱いされたり、悪態つかれたりすると思うがな、真実はこちらにあるぞ。
さて、病気のことに話を戻し、病気の例をもって日本人がいかに毒されているか考えてほしいぞ。
病気とは、そもそも自分の波動が低下した現象であり、気をつけろよというサインじゃ。
したがって、波動を向上させれば自然と良くなるのが本質じゃがそれを考えず、やたら薬で治そうとするので、一時的には良くなったように見えるが、実はさらに劣化しているというわけじゃ。
ほとんどの薬(科学薬、漢方の生薬)は波動を低下させるぞ。特に抗生物質、消毒薬は危険。そして麻酔薬や睡眠薬は後頭部、延髄に溜まり色々悪さをするぞ。頭痛、肩こり、貧血、集中力不足などなどとな。
例えば風邪について、あれは身体に溜まった毒素の排泄作用じゃ。
熱で毒素を溶かして痰、鼻水、おしっこ、汗などで排泄し、自然に波動を調整しようと自然の摂理が働いておるんじゃ。
それなのに、わざわざ薬や注射で抑える。身体には毒素が溜まりっぱなしになるわな。
其れを繰り返しやれば体中に毒素が溢れ、いつしかコップから水がこぼれ落ちるように、体の一部から毒素が常に排泄されている状態となる。
これがアレルギーの元となるんじゃ。たまたま胸に溜まると喘息、鼻に溜まると鼻炎、皮膚から抜けようとするとアトピーという訳じゃな。
杉の花粉が悪いわけじゃない。杉の花粉は人の体が悲鳴を上げていることを教えてくれているわけさ。
しかし一方で毒素を体の一部へ固めて閉じ込めようとする働きもある、これが癌や腫瘍の元じゃ。
原因を他者のせいにする。それはイシヤの論理じゃて、実は原因は自分の中にある。それが実相なんじゃぞ。
だから、患者さんのように毒素を身体に沢山持っている人は、それを外へ排出せねば波動が低下し、どんどんと不健康と不幸の坂道を転げ落ちるだけさ。
患者さんよ。よくよく自分の過去を振り返ってみろよ。何か思い当たる事がありわせんかなぁ。
そこで、毒素を排出するには、風邪やその他の病気を自然治癒で治す事が大切じゃが、そうかといって、じっと耐えるだけでは辛いし情けないから、色々と知恵を使う。
積極的に、しかも楽に排泄する方法じゃ。では、どうしたら排泄し波動を向上できるかということになるが、
これには物質面、精神面からのアプローチが考えられるが、まず精神面から説明すると、先程の方程式にあるように愛深くなることじゃ。徳を積むことじゃ。
自分のこれまでの心・言葉・行動を反省し、生きとしいけるものの調和と弥栄えを願い、実行すること。徳積み、感謝、先祖供養、無駄な殺生をしない、物を大切に、思いやりを大切になどなど、
年寄りだったら幾らでも出てくる言葉じゃろうが。古来、日本人の心ある方々が常日頃心に掛けていた事じゃ。
しかし、多くは忘れてしまったものでもあり、現代の風潮では実行が難しくもあるわなぁ。
こう聞くと、何を馬鹿なことをと思うじゃろうが、そうなんじゃ。馬鹿と思う事がおりこうで、お利口が馬鹿さ。特に患者さんは先祖供養を忘れてはいかんぞ。
次は物質面じゃが、体の波動を上げることを行う。波動が上がればその分、体から毒素が排泄される。
アレルギー喘息の患者さんの場合、健常者でなくなったとあるでな、その状況がわからんので一般論としてお伝えしよう。
まず水じゃ。たまたま、このサイトにも記載されているように、水は波動を転写しやすく、しかも人体の60〜70%は水だというから、良い波動を持つ水を飲み続けると、それが人の身体に移写するからのう。
しかし、自然の良い水は簡単には手に入らんぞ。たとえ汲んで来たとしても時間が経つと波動のレベルが劣化する。
そこで市販の良い水となるが、これは結果としてかなり高額なものとなる。しかも、自分の波動との相性もあるのでしっかりと勉強がいるのう。
相性が良いと短期間で驚く程体質が変わるぞ。そして、体調が良くなるにつれ精神的な学びを深めていく事じゃ。
ここによく書き込みする木村愛ニさんの憧れ、エイジ世界記録保持者。
わしの間接的な知り合いに水泳のバタフライの保持者がおるが、彼も健康を損ねてから水に出会い、著名なパ○ロ○ンじゃがな。そして、水をきっかけとして精神的な学びも深め、ついには世界記録を出したそうだ。
木村さんにも以前、考え方の方向性(人のせいじゃなく自分のせいということ)をアドバイスしたが、どうじゃろかな。
しかし、これは小学生レベルじゃ。なぜなら水はあくまで波動向上の代替品であり、自分の波動そのものが改善されたわけじゃない。
それに飲み続けねばならないし、水の波動は移ろい易く、精神への影響も少ないからじゃ。
中学生レベルは「ひまし油」じゃ。「キリストの手」じゃ。ひまし油の温熱湿布はかのエドガ・ケーシーのリーディングに登場する万能薬でな、
これはいろいろなサイトにも紹介され、本も多いしエドガー・ケーシー研究会もあるから研究してくれよ。
わしもやったし、多くの人にも薦めたが、素晴らしい。金がかからんことも嬉しいなあ。体の状況が判らんので軽々には言えんが、アレルギー喘息患者さんにはこれがいいかもしれんな。
しかし、これには浄化作用が伴う場合があるでのう、ちょっと高度なんじゃ。
浄化作用とは、先程から言っているように、体の毒素を急速に排泄する時に起きる作用で、ちょっとした病気の症状が発生することがある。
これが理解できないと、うろたえることもあるかもしれんぞ。例えば頭痛、下痢、出来物腫れ物などじゃ。
だから、物事は基本からと言うように、まず水を研究するのが良いな。そうしているうちに今度は食が気になってくるはずじゃ。
自然食、、添加物、無農薬、医食同源、そして桜沢如一とマクロビオテックなど。この辺りまで来ると、ひまし油の意味も少しわかるじゃろうし、
人と自然とのつながりの大切さやや現代文明の恐ろしさが痛感できるじゃろう。
次は宗教じゃ。大本教からつながる近代神道、火水伝文までかな。
宗教と言ってもひるむじゃないぞ。宗教とは本来その言葉どうり、人が幸せになるためのあり方をまとめたものじゃが、その後を継ぐ者やイシヤ、魔によって翻弄され誤解だらけじゃ。
宗教と宗教団体は違うものじゃぞ。教祖の思想と実行した型が大切じゃ。しかし、中学生を終える頃には、本物と偽物とを見抜く力がついているじゃろう。
知ったかぶりの幼稚園生の大人の言葉など気にせんで良いぞ。自分の心、直感を信ぜよ。
そこには、目に見えない力や不思議を知り、自分の存在について大きな知恵が得られ、進むべき道も見えてこようぞ。
さらに、ひまし油以上の不思議の術を知ることもあろうて。この辺りまで踏み込んだ頃には、既にアトピー喘息のことは忘れてしまっておろう。さらなる力を求めて、勇気と知恵を振り絞って近代神道を学べよ。
その先もあるが、後は自分で切り開けよ。この話を信じるも信じないも患者さんの自由じゃが「藁にもすがれよ」
最後に偉大な詩人バイロンの言葉を、アレルギー喘息の患者さんに送ってお別れとしよう。
「逆境にあることは真理への道」健闘を祈るぞ。