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(回答先: Re: 本当の問題 投稿者 あっしら 日時 2002 年 10 月 08 日 23:08:42)
あっしらさん、おはようございます。レス、拝読いたしました。
<前略>
>> 環境問題はともかく、人口爆発や食糧問題はそれほど
>> 心配していません。
絶対的に食料が不足する事が問題であるとは、思っていません。今は昔と違い、農業にしても生産技術がありますし、森林伐採+焼畑のような一過的な農法の克服、砂漠の緑化を事業化することに真剣に取り組んでいる企業は、すでにありますしね。
ただ、以下は、感傷的な感想で申し訳ないのですが、率直に言って非常に非人道的です。
>> 絶対的に食糧が不足するのなら、食にありつけない人々は
>> 死ぬしかありません。
>> 他に手だてはないのですから、それで解決されます。
私は餓えて苦しんだことはありませんが、人が餓えては死ぬようなことは、どこのことであれ、心が痛みます。それを黙って見過ごし、”食にありつけない人々は死ぬしかありません。”と言い切れるのは、人と人とのつながりを全く拒否したような印象をうけましたが。。。
その苦しみの中で育った人が、あなたの意見を聞けば、それこそ殺気をもって誤解するでしょう。”日本人はなんと非道なのだ”と。やがてそれは、憎しみに変わることでしょう。いくら、”絶対的に”うんぬんといったところで、相手は聞く耳を持とうとはしないでしょう。人の心とはそのようなものですから。
なぜかというと長くなりますが、人には普通、親・兄弟姉妹・友・子供が回りにいます。自分の知っている人たちが、苦しみ餓えて死に行く姿をみて、悲しまない人なんていません。そして、その記憶は、普通消したくても消えるものではありません。(消せるようにすればよいとかの問題でもありませんよ。)あっしらさんにも、うれしかったとき、悲しかった時、苦しかった時があるように、その人にも感情というものがあるからです。
>> 企業統治ができていないとか、モラルがないという判断基準はなんでしょうか?
>> 結局、債務を履行できないほどの債務を抱えているのは、
>> 企業統治ができていない」とか「モラルがない」という結論に
>> なるような気がします。
今一度整理しますが、今は銀行の不良債権処理についてですよね?不良債権の増加責任は、かつては企業に過剰融資し、今は信用収縮を起こしている銀行そのものですよ。もちろん、時期の問題もありますし、問題企業がなかったわけではないでしょうけど。
それに、問題企業を、無意味に救済しているケースってこれまでありませんでしたか?不良債権処理が必要になったのは、最近の話じゃありませんよね?もうかれこれ、10年ほど続いてるんですよ。根本的に、なんかおかしくないですか?
だからといって、国家破産すると短絡的にいっているのではありません。
そうではなく、やはり原因が問題企業とは別にあるから、不良債権処理が進まないわけですよ。それを暴こうとすればするほど、抵抗勢力がよってたかってたたいているのが今です。抵抗勢力には、関連業界団体はもちろん、マスメディアも含めます。
最近、本当の抵抗勢力の親玉がよく発言しているでしょ?その人たちの派閥、バックとなる勢力、利権関係を、じぃっと思い起こしてください。
もっとも、銀行のすべてが悪いわけではありませんが、信用縮小の根本である、まともな企業への”貸し剥し”、”貸し渋り”のうわさは、想像以上に致命的なものです。
そういったものが、白日の下にさらされたとき、銀行はどうなりますか?一般企業が同じように、反社会的活動をやった場合、即報道されていますが、銀行業では、(ATMに問題があったとか、処理間違いがあったなど、一般市民にすでに知れ渡り、隠し様がない場合を除く)それらが報道されることは、まずありません、理由はいろいろありますが。
結局、護送船団方式は、まだ終わってはいませんよね?護送船団方式とは、根本的に”なにがあっても、まもってやるから、しんぱいするな。つぶさないよ。”ということなんですから。もちろんつぶす、といってるわけでもないですけど。
銀行とて企業です。間違ったことをしたら、本来は公にするべきはずです。ただ、その社会的責務をたてにして、公にされることがないと、高をくくりつづけているなら--高慢となりやがては腐敗する--といえるでしょう。
ちょっと、元にもどります。。。
資本の理論だけだと、そうでしょうね。でも、実態の企業活動というものは、会計報告にしてもそうですし、公開企業なら業務・業績の報告が必要です。その会社が何を理念・目標とし、どのような取引先があり、取り扱い品目があり、それぞれのおおよその財務体質がどうであるか、社風、人材構成、とかで、企業統治ができているかどうかは、意外とわかるものですよ。
はっきりいえることは、”利益の追求のみ”を前面に掲げている会社は、財務体質がどうであれ、コーポレートガバナンスなんて、絶対に働きません。商品製品のよさを追求せずに、規模の拡大のみを押し出す会社も、ほぼ同じく、コーポレートガバナンスは働きません。あと、過去の栄光にとらわれすぎて、現状把握しようとしない会社もだめです。これらは、書類上でも、割とわかるもんですし、それを見るのになれているのが本来の金融業のはずです。それを見抜けないか、わかっていてもやめられないから、不良債権がへらないんでしょ?違いますか?
>> 経済成長を追求せず、対外拡張政策も採らなければ、日本の人口が3千万人ほどになっても破綻することはないと考えています。
過度の経済成長を追求せず、対外拡張政策?をとらないとしても、一億数千万人から、三千万人になる過程を破綻といわずして、何をもって破綻というんですか?そこに行くまでに、たとえば、どうやって医療制度・社会保障・安全保障を維持できるんですか?日本は too big, too fail.とは、私はおもっていませんよ。でも、ちいさきゃいいじゃん、てことでは、決してないですよ。
>> 医療制度も、“資本増殖”(お金儲け)を目的にしない
>> ものにすれば、弊害が減少するはずです
たしかに。でも、なぜ、お金がかかるのかを、根本的に洗い出すべきですよね。これも、大変な抵抗勢力があるんでしょう。