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(回答先: 金解禁への道 理由は為替相場の不安定さ 投稿者 hou 日時 2002 年 11 月 02 日 12:02:43)
金融恐慌の際に破綻した銀行の多くが、
「所有者型」経営者はこの過程において没落した。
渡辺銀行
中井銀行
左右田銀行
村井銀行
神田銀行など
創業者ないし経営者の姓を冠した銀行だったことは、その象徴的な一例である。
また、小銀行がしばしば機関銀行化して引き起こす弊害を避けるために。
1927年
銀行法が改正され、銀行経営者の兼業を禁じ
資本金100万円以下の銀行は5年以内に整理統合されることになった。
このような、「動揺」と「整理」の過程は、資本主義的な企業が個人の創意と手腕によって維持しきれなくなった。
次第に組織と制度を基礎とする機構に変貌していった。
この時期の財界の「動揺」と「整理」は、単純に強行されたのではなく、大企業が危機に瀕すると、そのたびごとに「救済」の手が日本銀行等を通じて差し伸べられたというのが事実であった。
それは、自由経済の原理からいえば合理的ではない、「整理」を遅滞させたという非難がおこった。
その結果、1920年代の日本の競争力は低く、国際収支の赤字がつづき、正貨の流出を招いたといえるというのが正統な見解であった。
しかし、その一面で「救済」によって不良債権処理が急速に進められなかったからこそ、重化学工業化や電化の進行とあいまって、1920年代の日本は3%程度の経済成長率を維持しえた。
この処理の「不徹底」さが期せずして、世界最高の経済成長を導いたといえる。
その後、金解禁が必要になる。
高橋是清は、金解禁に反対の姿勢であったが。
金解禁を行うためには、「自主的の準備」が必要である。
すなわち「国内の産業、海運その他の事業の基礎を確立することである」と言っている。