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(回答先: 賃金の下方硬直性がデフレ不況を悪化させた? 投稿者 たにん 日時 2002 年 9 月 18 日 07:02:32)
19世紀末デフレとそれを解消した20世紀初頭米国経済については、下記の書き込みで触れていますのでご参照ください。
『中央公論』7月号掲載の榊原論文を評す [現状認識編] 〈「匿名希望」氏のレス期待〉』
( http://www.asyura.com/2002/hasan12/msg/838.html )
『中央公論』7月号掲載の榊原論文を評す [歴史的アナロジー編] 〈19世紀末「デフレ不況」を克服した米国経済に学ぶ〉』
( http://www.asyura.com/2002/hasan12/msg/1049.html )
>1873年から1896年にかけて、ヨーロッパ経済は強いデフレ圧力の下にあった。物価は
>20年以上に渡って低下し続けていた。1873年から1896年にかけて、世界の輸出量は単
>位価値あたりで36%低下しており、デフレは世界的規模で生じていた。賃金が物価ほ
>どには柔軟に変化しなかったので、利潤は長期に渡り圧縮されていたのだった。
この時期は、米国とドイツが急速な“近代化”を遂げる過程にあり、先進国世界で財の供給量が急激に増加しています。
この時点で米国が与えた影響は、工業よりも農業生産物に関してです。
生産性の上昇+財の供給量増加が、通貨供給量が保有金量に制約される金本位制で急激に起こったのですから、財の価格が下落し続け、借り入れ債務を抱えている経済主体に苛酷な負担を強いました。
賃金を下げれば、その減額総和以上に輸出が増加しない限り、利潤が上昇するどころか、よりデフレ不況になるのは自明です。
>しかしながら、「1873〜1896年の大不況」というものは存在していなかった。なぜな
>ら、この時期を対象として再構築された回顧的な国民会計によれば、1873〜1896年の
>間ヨーロッパの成長は続いていたからである。
実質経済成長率は、戦後日本の行動成長期を顧みればわかるように、生産性(「労働価値」)の上昇が原動力です。
しかし、「1873〜1896年」は「大不況」です。実質経済成長率が上昇しても不況であることが、デフレが疫病である所以です。
実質経済成長率は上昇しても、生産費用が回収できなかったり、利益が減少したり、設備投資の負担が過剰にのしかかるからです。
● 英国
金融家が利潤の最大化を実現するために、植民地への投資や米国など新興工業国への融資&投資により、英国国民経済から通貨を流出させたことでより深刻なデフレ不況になりました。
● ドイツ
歴史的に産業力の基盤を持つドイツは、急激に上昇する生産性が深刻なデフレ不況に結びつかない要にするためのバッファである海外販売市場(輸出先)が限定されていました。
その認識が、その後、第一次世界大戦&第二次世界大戦を引き起こすることになる経済的背景です。
● フランス
英国と並ぶほどの植民地依存経済構造だったので、英国と同じように国際金融活動に伴う通貨の流出があり、工業分野の国際競争力もドイツや米国の台頭で劣るようになったため輸出の増加ができず、工業分野でのデフレ不況がより深刻なかたちで現れました。
それを緩和したのが、自営農民が多くを占めていた経済構造です。
>危機における制度上の変化についての不完全ないくつかの結論
>イギリスは特別な例外であるとしても、ヨーロッパ諸国は、1860〜1878年にかけて関
>税を引き下げた一方、1879年以降は関税を引き上げて不況に対応した。しかしなが
>ら、19世紀には保護貿易はごく当たり前に見られた貿易体制であった。財政上の観点
>からすれば、保護主義は自由主義とみなされるべきであることを強調せねばならない。
19世紀末と同じように、これからは、保護主義及び経済ブロック化が強まると予測してます。