★阿修羅♪ 現在地 HOME > 掲示板
 ★阿修羅♪
次へ 前へ
金正日の独裁から人民を救うために黄は亡命決断した 愛する家族をあえて犠牲にして 投稿者 てんさい(い) 日時 2002 年 9 月 15 日 02:34:38:

________Japan On the Globe(258) 国際派日本人養成講座_______
     _/_/
     _/   The Globe Now: 北朝鮮高官の決断
   _/_/  
_/ _/_/_/     金正日の独裁から人民を救うために黄は亡命
_/ _/_/     を決断した、愛する家族をあえて犠牲にして。
_______H14.09.15_____39,333 Copies_____567,416 Views________

■1.金正日への宣戦布告■

   1997年1月30日朝、平壌。黄長火華(正しくは火へんに華
  の一字)北朝鮮労働党秘書は、家を出るときに、妻に言った。
  「行ってくるよ。2月12日ごろには戻ってこれるだろう。」
  
     結局その短いひと言がわたしと妻との最後の別れとなっ
    たのだった。わたしたちは若いころ、はるか遠い異国のモ
    スクワで出会い、愛と信頼で50年間をともに過ごしてき
    た。そんな妻にたいし、もしかしたらこの世でもう二度と
    会えなくなるかもしれない別れぎわに、そんな言葉しか口
    に出せないわたしの心は悲痛の極みだった。しかしわたし
    はそんな素振りは見せなかった。[1,p10]
    
   戻ってこれるだろう、と言ったその2月12日午前9時頃、
  黄と腹心の金徳弘は、北京の韓国大使館に亡命した。黄の亡命
  を知った途端、北朝鮮は数百人の保衛部(秘密警察)要員を動
  員して、韓国大使館に乗り込もうとしたが、中国政府は120
  0名の武装警察と装甲車を動員して、それを防いだ。
  
     金正日国防委員長の憤怒も大きく「黄狗(黄長華前秘書
    を指す)の首を刎ねよ」という命令が下された、という説
    もあり、黄氏の直系家族はもちろん、八代を滅ぼしたとい
    う話が出回るほどに、大々的な粛清が断行されたことが伝
    えられられる。処刑されたり、政治犯収容所の会寧22号管
    理所などで黄氏の親戚、知人、同僚が大挙して連行され、
    職場を失ったり、ひどい場合には離婚させられた人まで含
    めば、1万名以上が黄長火華の亡命事件で被害に遭ったと
    される。 [2]

   これだけの犠牲を払ってまで、なぜ黄は亡命したのか。黄は
  その心境を「金正日への宣戦布告」という著書で明らかにして
  いる。その軌跡を辿っていくと、これから小泉首相が訪朝して
  会談する金正日という人間がどのような人間なのか見えてくる。
    
■2.金正日の独裁権力と経済破壊■

   黄は主体思想研究所を統括して、金日成や金正日の名で論文
  を代筆したり、国際秘書として北朝鮮外交を指導するなど長ら
  く政界の中枢で活躍していた。1987年末には文書整理室をまか
  されたが、そこには北朝鮮での各種統計データが揃っていた。
  
   北朝鮮当局は、金正日の指示で虚偽の数字を金日成に報告し、
  外部にも偽りの発表をしていた。しかし、文書整理室にある正
  確な統計では、北朝鮮経済の悪化傾向が如実に現れていた。金
  正日が後継者として浮上した1975年から下降線をたどり始め、
  とくに金正日がすべての実権を掌握することになる1985年以降
  からは急激に悪化している。
  
   金正日は70年代に実権を握ると、自分の力を誇示するため
  に、初歩的な経済学も無視して、がむしゃらに人民を生産に駆
  り立てて、設備を酷使し資材と労力を浪費して、国家経済に致
  命的な打撃を与えた。たとえば石炭産出に高い目標を要求する
  ので、関係者はすでに掘進されていた鉱脈からのみ石炭を掘り
  出し、手間のかかる新たな鉱脈の掘進は放棄した。その結果、
  石炭生産がストップしかけたが、金正日は自分の功労を誇張し
  て金日成に報告するのがお決まりだった。

   金正日は独裁権力を掌握することしか関心がなかったので、
  現実の経済を心配する実務者たちは敗北主義だとして遠ざけら
  れ、経済を知らない、しかも金正日に無批判に付き従う党幹部
  たちが経済運営を牛耳った。

■3.北朝鮮経済は完全に止まってしまうだろう■

   ソウルでオリンピックが開かれると、金正日は平壌でも開く
  のだと騒いで、国力を無視して多くのスポーツ施設を気の向く
  ままに作らせた。またソウルオリンピックに対抗するために世
  界青年学生祝典を開催して、無数の人民を動員した。さらに平
  壌を世界第一級の近代都市にすると言って、光復通り、統一通
  りなどの建設に人民を駆り立てた。
  
   副首相たちですら、黄と一緒に出張にいくと、北朝鮮経済が
  このまま進んでいけば、近いうちに完全に止まってしまうだろ
  うと断言して、やるせない心情を吐露した。
  
   黄は中国の珠海などの開放地域を訪れ、改革開放政策の成果
  に深い感銘を受けていたが、金正日は北朝鮮人民がそれらの地
  域を訪問することを禁じた。こうした中で、中国に倣った改革
  開放路線を主張することは、自殺行為であった。
  
   ソ連の崩壊は北朝鮮に衝撃を与えたが、金正日は驚きを隠し、
  朝鮮式社会主義の必勝不敗を宣伝する文章をあいついで発表し
  た。しかし、韓国の運動圏(反体制運動)の学生の動揺は、そ
  の程度の論文ではおさまらず、結局、黄が文書整理室の要員た
  ちを指導して「社会主義建設の歴史的教訓とわが党の総路線」
  という論文をまとめて、金正日名で発表すると、学生たちの沈
  静化に多大の効果があった。
  
     こうしてわたしはまた、韓国の世間知らずの運動圏の学
    生たちを欺瞞する罪をもう一つ犯すことになった。
    [1,p273]
    
■4.とるに足りない経歴も嘘でだます者らが、、、■

   1992年には金日成が80歳、金正日が50歳を迎えた。金日
  成はもはや元気も失せ、どうすれば息子に権力を移譲できるか、
  という事しか念頭になかった。そして息子に露骨なおべっかを
  使うようになった。
  
   その例が、息子の50歳の誕生日をたたえる詩を書き、これ
  を碑石に刻んで白頭山の小白水にでっち上げた金正日の「生
  家」付近に建てたことだ。金正日がロシアで生まれ「ユーラ」
  という名前で幼年を過ごしたことは世間周知のことであった。
  
   息子が生まれた頃、金日成はハバロフスク周辺に待避し、ソ
  連軍特殊工作部隊の青年幹部として訓練されていた。その頃の
  抗日パルチザン出身者たちを呼んで、金正日が生まれた白頭山
  密営を探せと命じたが、存在しない場所を見つける事はできな
  かった。すると、金日成は自分で直接出向いて、景色も適当で
  それらしい場所を見つけて、ここだと指摘した。
  
   そのうしろの山を「正日峰」を名付け、党歴史研究所は大き
  な岩にその名を書いて、山の上においた。さらにスローガンの
  木をそこに用意した。これは金日成パルチザン部隊が国内に入
  ってゲリラ工作を行った時に、木の皮をはいで「金日成将軍万
  歳」「朝鮮独立万歳」などと墨で書いたというものである。19
  74年に金正日が実権を掌握した途端に、金日成の神格化を高め
  るために、「スローガンの木」発見運動を全国的に展開したの
  だが、それに倣ったものであった。こうした仕業に黄はいらだ
  った。
  
     とるに足りない経歴も嘘でだます者らが、どうして人民
    のために犠牲的に働くことができようか。[1,p285]
  
■5.拍手が少ないと危険■

   1992年4月、金日成の80回目の誕生日を祝うために主体思
  想国際討論会が東京で盛大に開かれ、その後、外国人学者たち
  はチャーター機で平壌に招待された。経済的に苦しかったのに、
  こんな事をしたのは、北の人民に外国からこれほど多くの人々
  が「首領様」の誕生日を祝うために来ているのだ、ということ
  を見せつけるためだった。
  
   金正日は自分専用の宴会場に学者たちを招いて、盛大な宴会
  を催し、これまた専属の芸術団の公演を見せた。それは堅実な
  思想を持つ人たちの目には嫌悪感を催すものであった。黄がし
  きりに拍手するのを見て、隣に座っていた生真面目な井上周八
  教授が訪ねた。
  
    黄先生は本当に面白くて拍手しているのですか?
    
    いいから無条件に拍手しなさい。命令だよ。
    
   黄と兄弟のように親しい井上教授は、この言葉に従い、いや
  いや拍手をした。金正日は自分専属の芸術団の公演で拍手が少
  ないとひどく腹を立てた。黄はカメラを通して自分が監視され
  ているのを知っていたので、常に力いっぱい拍手するのが常だ
  った。
  
   1994年7月8日、金日成が死んだ。黄は金日成が残した負の
  遺産を考えると、悲しみの気持ちなど起こらなかったが、全人
  民が「泣き競争」を繰り広げている時に、一人だけ眼が乾いて
  いるのは危険だった。無理に涙を流さざるを得なかったが、子
  供たちは葬儀に参列した黄をテレビで見て、泣き方が少なかっ
  たとなじった。
  
   病院に入院中で葬儀に出られなかった者は、病状に関わらず
  処罰され、主体科学院のある有能な博士は金日成が死んだのに
  自転車を修理していたとしてクビになった。

■6.広がる食糧難■

   95年に入ると食糧難が深刻になり、餓死者が大量に出始めた。
  食糧狙いの強盗殺人が急増し、はなはだしくは党幹部が夜道で
  軍人たちに乗っていた車を壊され、持ち物を略奪される事件ま
  で起きた。
  
   ある時、黄が台所で妻の弁当箱を見たら、飯が半分ほどと、
  おかずは大根のキムチがいく切れか入っているだけだった。妻
  は自分の仕事を持ち、家では孫たちの面倒を見たり、家庭菜園
  を作物を作らなければならない。
  
     なぜ飯をこんなに少ししか入れずにでかけるのか? こ
    んなものを食ってどうして仕事ができるのか?
    
     そんなことおっしゃらないで。これでも持っていったら
    一人で食べるのが申し訳ないくらいですよ。みんな草ばか
    りのお弁当を持ってきているのよ。
    
   96年の年末、近くに住む3番目の娘の家に、ある朝、幼い二
  人の児童がやってきて、汚れた手を差し出して「ご飯をくださ
  い」と言う。娘が事情を尋ねると、「お母さんもお父さんも飢
  えてふせっているので、ぼくたちだけでも外で物乞いして生き
  ていけと言うので南浦(平壌から40キロほど西の港町)から
  歩いて来ました。」
  
■7.年間100万人の餓死者■

   黄は娘からその話を聞いたあと、側近に命じて、餓死者の統
  計をとっている組織部の幹部から、データを出させた。
  
     組織部幹部の話によると、95年には党員5万人も含め
    て50万人が餓死した。96年には11月中旬現在で、す
    でに100万人ほどが餓死したとのことです。[1,p335]
    
   金正日はこういう惨状を気にもせずに、金日成の死体を保存
  する宮殿を飾りつける事に莫大な資金と資材を投じ、建設現場
  で人民を労働に駆り立てている。96年の穀物生産は210万ト
  ンにしかならなかったが、宮殿を飾り付ける費用の3分の1を
  節約しただけで、200万トンのトウモロコシを買い、食糧不
  足は解決できるのだった。
  
   食料を求めて、平壌でも女性を自転車の荷台に乗せて走る光
  景が見られるようになった。金正日はこれを見て、「朝鮮の美
  風良俗に合わないから禁止させよ」と命じた。以後、女性は自
  転車の荷台に乗れなくなった。金正日は放蕩三昧の生活をしつ
  つ、人民の苦しみを増すような事しかしなかった。

■8.黄の決断■

   軍部指導者たちは、米軍が韓国にいても、戦争をすれば確固
  たる勝算があるとして、経済が完全に破綻する前に戦争を仕掛
  ける事を主張していた。こんな情況の中で金正日に追従しつつ
  ける事は、歴史と民族の前に取り返しのつかない罪を犯すこと
  になると黄は思った。
  
   今後、南(韓国)を主体として、民族の統一されるのは間違
  いない。自殺も考えたが、どうせ命を捨てるなら、南側の人た
  ちと連携して、戦って死ぬことが北朝鮮の同胞たちを救い出す
  助けになるだろう。
  
   しかし、黄が南に行ってしまえば、これまで中心幹部の身内
  として栄誉と幸福を享受してきた黄の家族には、反逆者一族と
  しての処刑や迫害の運命が待っている。いつも食事をしている
  と、二歳になる孫の智成が「あーあー」と小さな口を開けて、
  食べさせてくれとせがむ姿が思い浮かぶ。しかし、このまま何
  もしなければ、未来の歴史家はこう言うだろう。

     あのとき、北朝鮮ではあれほどひどい暴力と非合理が人
    民を打ちのめしていたのに、堂々と批判したり、抵抗した
    知識人はただの一人もいなかった。
    
■9.わたしを呪ってくれることを願っている■

   黄は決断した。小さな「わたし」を殺し、大きな「わたし」
  と生かす道へと。97年2月12日、黄は北京の韓国大使館に亡
  命した。2月17日、北朝鮮は「変節者は去らば去れ」との声
  明を発表した。同じ日、黄は韓国大使館の中で、妻宛の遺書を
  書いた。
  
     わたしのために君や愛する息子、娘たちがひどい迫害の
    中で死んでいくのだと思うと、自分の罪がどれだけ大きい
    かを骨身にしみて感じている。わたしはもっとも愛する君
    と息子、娘、孫たちの愛情に背いたのだ。わたしは許しを
    請うのではなくて、むしろわたしをもっとも過酷に呪って
    くれることを願っている。・・・
    
   しかし、これだけの思いをして亡命した韓国では、当初こそ
  出版や講演など言論闘争ができたが、99年夏頃からは金大中大
  統領のもとで金正日と融和する太陽政策が進められ、以降、黄
  は「身辺保護」という名目で執筆も講演もできない「事実上の
  軟禁状態」に置かれた。黄は最近の心境をこうもらしている。
  
     金正日と争って死のう、と家族も捨てたまま命をかけて
    韓国にきたのに、私たちをがちがちに縛って置いてどうす
    るのか。私の武器は文章を書いて講演することだけなのに、
    武器がなくなったのと同じでないか。[2]
                     (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(137) 金正日の共犯者
 核武装に突っ走る北朝鮮・金正日政権を育てた責任はアメリカ
と日本にある
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog137.html
b. JOG(072) 温室の隣の飢餓地獄
 人口2300万人の北朝鮮で、すでに3百万人の国民が餓死、
病死したと推定されている。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_1/jog072.html
c. JOG(055) 北朝鮮、管理された飢餓地獄
 数十万人規模の餓死がここ数年続いている
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog055.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 黄長華、「金正日への宣戦布告」★★、文藝春秋、H12
2. 週刊朝鮮、「黄長火華氏、事実上『軟禁』状態」、2000年11月9日

============================================================
購読申込・既刊閲覧: http://come.to/jog お便り: jog@y7.net
購読解除: http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/quit_jog.htm
JOGのアップデイトに姉妹誌JOG Wing:  http://come.to/jogwing
広告募集: http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jog/jog_pr.htm
============================================================
mag2:25696 pubzine:7415 melma!:2593 kapu:1517 macky!:2112

 次へ  前へ



フォローアップ:



 

 

 

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。