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(回答先: 貴殿の論考を読んで 投稿者 匿名希望 日時 2002 年 9 月 05 日 05:19:11)
貴殿と私の根源的な相違は、統治機構構成者と民間人という立場の違いに拠るのではないかと思っています。
それは悪いことではなく、国家と(経済)社会という対立性がある近代においては、好ましいことであり、必要なものでもあります。
詐欺的「毛ばり法人減税」をもちかけて「どうだい」と言わなければならないほど、日本に限らず、企業経営者は自己の利益とマクロの利益の相関関係を理解できていないという思いをもっています。
ですから、貴殿が言われるように、企業は、様々な“提案”を無視するでしょうし、破滅への道を歩み続けると見通しています。
企業が、自己の“資本の論理”と国民経済(マクロ)の論理との分かちがたく逃れられない同一性と対立性を理解していなければ、商売(=“資本の論理”)だってうまくこなせないはずです。
(私のようなところであればそのような論理とは無関係に、手揉み商売で乗り切れますが、数千億円の売上で動いている大企業経営者には、国家統治者に近い理性が求められています)
だからこそ、詮無いことと思いながらも、理解されないであろう“大企業優遇策”を書き続けています。(「世界同時デフレ不況」が顕在化してくれば逃げ場がなくなるので、理解されないことはないという淡い期待がないわけでもありません)
そして、私の“大企業優遇策”が理解できないのであれば、倫理は全く無関係で、大企業経営者としては失格だと思っています。
大企業経営者が、現実的論理ではなく、倫理(新自由主義的経済価値観)を盾に政策要求していることに危惧心を抱いています。
(倫理や価値観が強調されるようになれば、歴史を顧みればわかるように、ある状況に陥ることで論理を吹き飛ばす勢いの国民分断や国民対立を招きます。それ以前にも、精神的荒廃や犯罪の増加といった国民意識の非秩序化を進めます)
>退蔵される通貨は、退蔵される必要のないよう社会システムを整備してゆくべきだ
>し、それでもなお余剰となる通貨は政府が吸い上げ、所得移転して行くことが必要で
>しょう。その移転される所得に対する労働対価に当たる産業を政府主導で作って行く
>必要があります。
その通りだと思います。
投資に回される割合が極端に減ってしまった貯蓄は、老後・重い病気の罹患・住宅取得頭金・失業対策などに個人が対応しているものとも言えますから、それらが国家によって保証されるのであれば、貯蓄というかたちではなく国家が吸い上げて、老後・重い病気の罹患・住宅取得頭金・失業対策といった状況にある人たちの現在的必要のために使えばいいわけです。
(そうは言っても、年金切り捨てがもっともらしく語られ、失業者も増加している現状では、「自分の番まで保証が生き残っているかいな」という疑念を多くの人が持つため、投資に回されない貯蓄がより増えています)
>それはもはや箱モノではないのは明らかです。政府は適正な歳出入規模と税収基盤を
>確保し、できるだけ変動の少ない安定した経済環境を維持するために腐心すべきで
>しょう。このようなあるべき経済の姿を実現するためには、死と再生が必要と考える
>のは、これまでの持論の通りです。
リアル・ポリティクスや価値観の保守性は理解しているつもりですから、死(破滅)がなければ、再生がないという貴殿の持論もそれなりに理解できます。
しかし、ことを為すために、その結果と過程を事前に思考し論議を通じて相互に了解する生き物として、再生のために死を待つことはあまりにも無念です。
さらに、民主制であり管理通貨制(政府紙幣も含む)であることから、死が訪れる可能性も少ないと考えています。
じりじりと落伍者を出し続けていく緩やかなデフレ・スパイラルが継続していくことになるはずです。(そうやって臨界点に達したときに、理性的な選択が行われるとはとうてい思えません)
天(国家)から降ってくる“施し”ではなく、地に生きる人々が主体的に選び取った“施し”で再生できることを願っています。