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「匿名希望」氏へのレス:微温主義の反撃 投稿者 あっしら 日時 2002 年 8 月 30 日 22:19:16:

「匿名希望」氏の『あえてあっしら氏の微温主義を撃つ』( http://www.asyura.com/2002/hasan13/msg/342.html )に対するレスです。
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アグレッシブなレスありがとうございます。


率直に言って、微温主義の先に過激主義を持っています。

しかし、現在において過激主義と受け止められる内容も、実施段階では、微温主義の積み重ね過程で微温主義の内容になっているものだと考えています。

過激主義が必要だと考えている基礎は、『【世界経済のゆくえ】 「定常状態」あるいは「歴史段階的動態均衡」という経済状況』( http://www.asyura.com/2002/hasan12/msg/1190.html )で簡単に触れた「国民経済が恒常的な均衡状態すなわち利潤なしの状態に陥る」という見通しにあります。

これは、利潤を動機として動いている「近代経済システム」にとって根源的な“事情変更”です。
言ってしまえば、「近代経済システム」は有効に機能せず、「経済学」も通用しない世界です。

「近代経済システム」は人々が形成しているものですから、有効に機能しないからといっても自動的に死滅するわけではなく、システムを変更しない限り、世界中で災厄が継続することになります。
国民経済として利潤が得られないのに利潤を得ようと個別経済主体が蠢き合えば、どのような事態になるか推測できるはずです。(まさに、弱肉強食の世界で、強者が食べる対象の弱肉さえ減少していきます)

マクロとして利潤が得られないという経済条件のなかで、経済主体の経済的活動=財の生産と交換を活発に行いながら国民生活の充実を図っていけるようにするかが、私のグランド・デザインのテーマです。
そして、そのような経済条件でも、官僚統制に依存するのではなく、市場=交換と競争を通じてそれらを実現する方法を構築すべきだと考えています。

利潤が得られないというのは、個別経済主体や個人が使わずに握り占める通貨が得られないというだけで、拡大的投資=資本化は可能です。(この意味で、資本化される株式投資も継続されますが、既発株式の取引内容は移転のみといった制限的なものになります)

供給を通じて経済主体が得た通貨は、再生産にすべて投じられなければなりません。(握り占められる通貨の量だけ、GDPは縮小していきます)
個人が保有している通貨も、消費か投資かに使われることになります。(貯蓄があるとしても、本来的な意味での投資信託のかたちになります)

利潤が得られないと言うことと多額の労働対価が得られないこととは別の話ですから、新システムでも、競争条件はつくれますし、貧富の差も生じます。

GDP的に言えば、「労働価値」の上昇分だけ経済成長を遂げることになります。
通貨供給量が一定であれば、名目経済成長率は変わらず、実質経済成長率のみ「労働価値」の上昇分だけ増加します。

現状の「近代経済システム」は、“余剰通貨”の増大により、既に「恒常的な均衡状態」に近い状況に陥っていると認識しています。
(“余剰通貨”の増大は、金融資産偏りの拡大と考えてもらったほうがイメージしやすいと思います)


「国民経済が恒常的な均衡状態すなわち利潤なしの状態に陥る」という認識を正とするのか否とするのかで論議そのものが変わってしまいますが、とりあえず、貴殿の批判について反論します。


● 「改革推進路線」と「デフレ脱却路線」

「改革推進路線」の内容を小泉政権が表明したりちらつかせているものだとすれば、GDP的に言えば、名目・実質ともに縮小させていく政策です。

もちろん、民主制ですから、そのような事態が進んでいけば、「改革推進路線」で偏った通貨を政府が吸い上げるか、ハイパーインフレを覚悟した財政赤字の拡大でリカバーされることになります。

「改革推進路線」はサイプライサイドに立っているようでありながら、実は、サプライサイドを毀損していくもので、頓珍漢な福祉国家やケインズ主義につながっていくものです。
「改革推進路線」は、通貨で通貨を稼ごうとする経済主体に通貨をより偏在させる政策であり、その結果、通貨で通貨を稼ぐことすらできなくしてしまうものです。

端的に言えば、「改革推進路線」は、産業主義ではなく、金融主義に基づく政策です。


>本当に改革が明日の日本を開くと信じて疑わない者は専門家にも多い。平たく言え
>ば、「本当にデフレ・スパイラルなんて起こるのかね?」と思っているわけだ。

“悪意”(金融主義を心から望んでいるという意)を持っている専門家は少ないと考えていますので、意識状況はそのようなものだと思います。

98年から4年ほど経過してなお、「改革が明日の日本を開くと信じて疑わない者」や「本当にデフレ・スパイラルなんて起こるのかね?」と思っている者は、専門家の資格がないとは言いませんが、ものにしている経済理論や抱いている価値観に囚われて現実が見えていないと断言します。(レガノミックスの破綻という歴史的現実を検証すればわかることですが...)

経済学は自然科学レベルでの検証ができないため、理論がイデオロギーに転化しやすいものです。


>どう考えても説明のつかない高値と言われた米国の株高はその後も続き、ついにはか
>のグリーンスパンですらも99年頃自らの発したirrational exuberence(根拠なき熱
>狂)という言葉を撤回し、百年に一回のニューエコノミーが始まったかもしれないと
>誤断するに至った。

日本経済が97年に回復していれば、米国の株式バブルは98年にも崩壊していたはずです。
国内不況による余剰通貨の拡大と円安状況が、対米株式投資に向かわせ、それによる持続的な米国株価の上昇が、欧州やアラブのマネーもそこに引き寄せるという“好循環”をもたらしただけの話です。

グリーンスパン氏は、「根拠なき熱狂」と言った96年の時点で、そう遠くない株価崩壊をきちんと認識していたと思っています。
「百年に一回のニューエコノミー」は、ブッシュ政権の経済閣僚が今なお「経済は回復している」と語っているのと同じレベルのリップサービスでしょう。

今年3月後半から下落を開始した株価も、私が、『【小泉政権と金融庁に警告!】2001年第4四半期GDP成長率を+1.2%上方修正『米国経済は急激なデフレ状況』で「バブル崩壊」が進む』( http://www.asyura.com/2002/hasan7/msg/621.html )と予測したくらいですから、氏も当然のように予測していたはずです。


>米国人の心理を奈落に突き落とした昨年の911は確実に消費を冷やすと予想された
>が、実際のその後の経緯はどうだったか。

米国の2001年第4四半期は、クリスマス商戦が30年来の不調であったように、とんでもない「消費不況」だったのです。(その事実がきちんと報じられていないし、データで検証する専門家も少ないということです。これについても、この阿修羅で書き込み済みです)
既に第3四半期が落ち込んでいたことと、デフレによってその実態(統計データ)が覆い隠されたわけです。
もちろん、長年培われてきた消費好きという国民性をベースに、住宅価格の上昇が続いていることや「逆資産効果」のタイムラグ、そしてデフレでなんとかデータ上の消費が維持されていることは認めます。
(住宅価格の上昇は、借り換えによる消費資金の捻出につながっていますから、住宅価格が下落に転じたり失業者が増加すると、消費が減少するだけではなく、銀行の不良債権も増加します。今年末から来年初めに現象するはずです)


>リーゾニングだけで将来起こる「現実」に立ち向かう事には限界がある。あけすけに
>言えば、「将来は起こってみないと誰にも分からない」ということでもある(過去の
>蓄積を元に確率予想程度はできるが)。

経済事象が正確に予測できないことは認めます。
しかし、変動傾向は予測できます。だからこそ、変動傾向を論理的に追い詰めなければなりません。そして、それは、確率論や計量経済学ではなく、原理論的な論理で追求できるものです。
ある方向に経済事象が変動していくことについては、確率を超えた絶対性があります。


>こうした相互に対立する経済政策(思想)の拮抗状態にあって、政策転換を論理と説得
>の力によって進めて行こうとする考えには自ずと限界が生じる。

歴史的経済事象についてさえ様々な解釈ができるわけですから、先行きを巡る論理の対立は解消できるものではないと思っていますが、論理と説得で、集約的な傾向を変えることができると考えています。


>あっしら氏は、ご自身にそれなりのステータスがないから自らの正しい論理が黙殺さ
>れるのだとの心情を吐露しておられるが、そうではない。東大教授が言おうと、財務
>官僚が言おうと、有力政治家が言おうと同じことである。この点をまずはっきりと認
>識する必要がある。

ステータスがないからということも思わないことはありませんが、誰の論理であれ、それがパラダイム的な経済論理を巡るものであれば、論理として理解されて支持されるというより、価値観(世界像)的な親和性で支持されるものだと思っています。

また、知らないパラダイムに基づいて知っている概念で語るものに対しては、知っているパラダイムに基づく概念説明として了解されるものです。

ステータスがないということに関しては、貴殿が猪瀬氏について語っていたように、論理的理解に劣る“庶民”に対する影響力においてはまったく異なるものになります。
猪瀬氏と同じことを私が言っても、“庶民”が溜飲を下げたり拍手を送る度合いは大きく下がります。だからこそ、小泉首相も。何を望んでいるかは別として、猪瀬氏を委員にしたのでしょう。

単純な話で、自分がわからないことについては、東大教授が言ったのか、ノーベル賞学者が言ったのか、どっかのおじさんが言ったのかによって、感じる“確からしさ”が異なります。(文部科学賞の官僚よりも、財務省の官僚のほうが“確からしさ”を感じてもらえます)

誰が語るかというのは、善し悪しは別として、きわめて重要な問題です。


微温主義のなかには、できるだけ、価値観=イデオロギーではなく論理で物事の判断がされることを望むという構えもあります。
(旧約聖書に登場する無視され続けた預言者の気持ちはそれとなくわかりますが...)


● 提示政策の妥当性や有効性

>氏の唱える中低所得者層への減税と高所得者層への増税は微温的政策の範疇にあると
>は言えない。これは抜本的政策の一つに数えられるべきである。

価値観状況に照らして言われる意味はよくわかりますが、高所得者や資産家の身分や財産を奪えという政策提示に比べれば、なんとも微温的なものでしょう。

現在の高所得者や資産家が「デフレ不況」のなかでぽろぽろと落ちこぼれていくと考えているからこそ、私の政策は、究極的な「企業優遇策」であり「金持ち優遇策」だと“自負”しています。

そこそこの高級住宅地に住んでいますが、ここ3ヶ月ほどで近くにある3件の“立派な”家が“没収”されたようです。一件は、竣工後1年も経過していないものです。(この時期ですから、投機の失敗というより、事業の破綻だと思われます)

旧あるじが、いつぞやの時点まで「改革推進路線」支持者であるとしたら、自業自得とも言えます。(現在の高所得者や資産家が3年後もそうであり続けるかというと、90年までに比較すれば、そうである確率はずっと下がっているわけです)

ご理解はいただいているとは思いますが、破綻者をなくせとか、金持ちを守れと言うものではなく、高所得者や資産家が従来を大きく上回る確率で落ちこぼれていく経済状況は、国民経済が疲弊し、多数派国民もそれ以上に疲弊しているということです。


私の主張が抜本的なものであると感じられる価値観状況が、まさに倒錯なのです。
そして、大企業経営者や金融資産家が、私の主張が自分たちの利益に適ったものであると受け入れない限り、日本は厳しく苛酷な経済状況が続いていくと思っています。他に方法はないのですから..。

革命的状況の現出を条件としないで、別の方法があると言われるのなら、ご提示ください。

>一つ前の投稿で、氏の法人減税活用法はつづめて言えば所得減税とあまり変わらない
>こと、恒久的措置でない限り効果が限定的であることを説明した。また、もっと前の
>投稿ではこれらの政策群と小渕政権下で打たれた大型財政出動とを比較し、前者は後
>者ほどのインパクトをもたらさず、後者ですら有効でなかったのに前者が有効とは思
>われない事を示した。少々きつい言い方をすれば、微温的政策とは過去からのコンシ
>ステンシーを重視した弥縫策に過ぎず、抜本的な経済システムの見直しでも何でもな
>いため、問題の根本解決からはほど遠いということである。

ゼネコンの経営規模維持や債務の返済が主たる役割となり、地価の下支えにも使われた小淵政権下の大型財政出動とは異質のものだと考えています。

それは、増加した通貨を使う主体が家計になるという違いだけで十分な話です。

家計が政策の実施で増加した所得を使わない財や用役を提供している企業には、恩恵が回らないのです。すぐというわけにはいきませんが、3年ほど経過すれば、生き残れる企業と死すべき企業が峻別できるようになります。

「大型財政出動」は、死にかけている企業をなんとか延命させようというものであったり、望むべくもない地価の上昇を願うという的外れの政策です。
また、そのような政策でGDP的拡大をはかれば、年々財政出動規模を拡大しなければならないという“罠”にはまります。


「改革推進路線」は、問題の根本解決につながらないどころか、ますます問題を悪化させるものです。
貴殿も認識されていると思いますが、問題の悪化が国民生活の悪化に直結して“反乱”が起きることもないので、抜本的政策を問う機会も抜本的政策に軌道変更させる機会も訪れません。

>第三点目は最も重要な視点である。微温的政策が有効性に欠ける結果、その政策実施
>は、国民経済の土台の腐食を助長するもので、90年代の先延ばし政策と何ら選ぶとこ
>ろがないという点である。

「改革推進路線」が国民経済の土台を腐食させることに比べれば、国民経済の土台がすぐ改善されるとは豪語しないとしても、維持はできる政策です。

90年代の政策は、「先延ばし政策」ではなく、98年税制(社会保険)負担変更・資産価格維持と公共事業偏重の大規模財政出動による財政の危機化など「悪化政策」と呼べるものです。
「先延ばし」ではなく、「悪化」であったという反省が求められます。

需要=供給を選択する主体が政府ではなく家計であるかという点だけでも、私の政策のほうがまっとうな改革路線だと思っています。


>税制を例に取ろう。氏は可処分所得を増やすために減税が必要だとする。ここまで痛
>んだ財政事情だ。先の見通しが得られるなら少々の悪化は目をつぶっても良い。
>だが、将来のあるべき経済の姿へと繋がる筋道が明らかでない中、どうしてこの減税
>政策が経済の自律的成長軌道への復帰を確信させるものだと言えるだろう。

まず、私の法人税減税アイデアは、黒字企業の増加によりそれほど減税にならないもので、所得税と消費税を加味すれば税収減にならないものと予測しています。

個人の所得税については、「低中所得者減税」と差し違えに「高所得者増税」が望ましいと主張しており、「高所得者増税」が政治的に無理であれば、「低中所得者減税」単独でもやるべしというものです。

「改革推進路線」は、名目GDP及び資産価格をじりじりと縮小(下落)させていくものですから、法人税・所得税・消費税・固定資産税・金融利得税などあらゆる税収を減少させていきます。
それこそ、「国債サイクル」を維持するためだけでも、国外流出防止策を採った上で預金封鎖して預貯金に課税したり、金塊などの保有状況を捕捉して課税しなければ、二進も三進もいかないという状況に追い込まれます。


>減税効果がじきに消え、またぞろ追加減税や他の財政手当てが必要になるのは火を見
>るより明らかである。国家や地方財政の現状をほとんど全ての国民が認識し、将来に
>向けて抱えるさまざまな不安が存在する中、微温的政策は害あって益なしと言える。
>有効なのは抜本的なシステム改革のみである。

「低中所得者減税」効果はじきに消えるものですから、貴殿が実質所得減税と言われる法人税減税を継続しなければなりません。
そして、法人税減税を継続しても、法人の利益が増加し、個人の所得が増加し、消費も増加させるものですから、税収としては、減収になるどころか、増収になります。


破滅状況を待望した「抜本的なシステム改革」は実現されません。


「抜本的なシステム改革」の一端でも、お示しいただければ幸いです。

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