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(回答先: 高失業社会を恐れる必要はない 投稿者 たにん 日時 2002 年 8 月 28 日 11:15:20)
「たにん」さん、こんにちわ。
>トヨタレベルの国際競争力のある企業を40社(全国民の2%、連結で8%弱)でも
>育成すれば、非採算企業の半分以上を倒産させ失業率50%以上になったとしても、
>適正な課税(法人税減税と外形標準課税導入、個人資産の完全捕捉と厳しい累進課
>税)と規制緩和を行うことで、全ての国民は今以上の生活水準を享受できるというこ
>とである。
戦後日本の高度成長期は、まさに言われるような産業育成を、1〜2%というほぼ完全雇用状況のなかで達成しました。
外需の伸びと内需(政府支出を含む)の伸びがシンクロすることで、年率平均10%という高度成長を実現し、輸出企業も資本活動力を飛躍的に高めていったと言えるでしょう。
「たにん」さんが前提としているミクロ条件で適正な課税を行えば、全ての国民が今以上の生活水準を享受できるという説明も、論理的には正しいと認めます。
既にいくつかのレスが書き込まれていますが、すべての国民が今以上の生活水準を享受できるのですから、トヨタに限らず多くの企業の国内売上も増加するはずです。
しかし、前提としているミクロ条件が実現されないのであれば画餅であり、そのような政策を推し進めてしまうことで、とんでもない経済的災厄がほぼすべての国民にふりかかります。
● 国際経済取引の見通し
国民経済についてはある程度まで政府の統御が有効に働きますが、米国ではない日本が、他の国民経済の在り方を制御することはできません。(米国ほどもできないという意味で、米国なら十全にできるという意味ではありません)
高度成長期のように、国際的水平分業がお互いの経済成長にメリットがあり、メリットがあると認識されていた歴史段階であれば、お説も短中期的に有効かもしれません。
しかし、予測している「世界同時デフレ不況」を持ち出すまでもなく、日本や(西)ドイツを除く先進国が低迷期(成熟期)に入った73年以降、お説は有効性を失っていると言わざるを得ません。
今後の世界は、不況の進展とともに、保護主義とブロック化が進むと考えています。
先進国は民主制ですから、国民経済が疲弊していくのを放置することができません。そうなれば、供給の減少=失業者の増加をもたらす国際競争財の輸入を抑えようとしつつ、供給の増加=需要の増加を内部循環的に達成できるブロック化を志向します。
日本の輸出企業も「企業の資本の論理」で動きますから、輸出で売上が確保できないとなれば、対象国もしくはブロック内に生産拠点を移すことになるでしょう。
「たにん」さんがお説を納得させるためには、このようにはならないという論理的見通しを提示する必要があります。
● 失業者の増加は国民経済の活力を衰退させる
「労働受苦」説的な価値観を持つ人であれば、国策及び産業構造的要因で生じる失業であり、けっこうな公的保障も得られるのですから、悪くない話だと判断するかもしれません。
しかし、活動力を発揮する過程でなんらかの快楽を得られることに価値観を持つ人は、そのような場を失い続ける状況にいたたまれなくなるでしょう。
また、50%(10%でもいいのですが)の失業率が“構造”であり、それでもけっこうな生活水準があまねく保証されるのであれば、失業者の道を意識的に選択する人もいるでしょう。
このような社会を基盤とした国民経済が、国際競争力を長期に渡って維持できるとはとうてい考えられません。
否定的なことを書きましたが、50%の失業者でも所得移転政策で平均的な国民生活の水準が高めで維持できるのなら、労働時間を現状の半分にして、ほぼ完全雇用状態にするほうがいいとは思っています。
週に3日も働ければ、今以上の生活水準(財のみが基準ではありませんが)を手に入れられるという経済条件は、既に達成されていると考えています。