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70年前の昭和恐慌は旧平価での金解禁を無理矢理やったせいで引き起こされたと言
われています。すなわち、円の為替レートを引き上げ、国内物価水準を引き下げる
ために、極端な引き締め政策を国民に強いたことが恐慌の原因だったのです。そし
て、そのような無謀な政策が可能になったのは世論の後押しもあったからです。
印象的なのは、当時の世論と現代の世論、当時の論争と現代の論争が非常に似てい
ることです。
以下では恐慌前夜の様子と恐慌脱出のためのリフレ政策の是非をめぐっての議論に
関係した部分を長幸男『昭和恐慌――日本ファシズム前夜』岩波現代文庫社会S40
から資料として引用しておきます。【】内は引用者による補足です。
>……大内兵衛東大教授は……「マルクスの貨幣論、信用論、恐慌論から、日本
>の問題を考えようとして」、「金輸出禁止史論」……を発表した。彼は金解禁
>を日本資本主義の資本蓄積の必然的なコースとして把え、客観的に凝視しよう
>とした。
>
> 「之を国際的に考えるとなお一層日本の物価水準は高く外国のそれは比較
> 的安い。この状況を一言にして言って見れば、生産費が割高で市場がない
> のである。それでいて技倆もあり資本もあり労働力もありあまっている日
> 本の事業が振わないのだ。かくて今や受難の財界はなお一般に不景気の急
> に恢復しまじきを予想しているものの如くである。そしてこの苦境をまぬ
> かえ得る方法は二つであるとしている。曰く、市場を開拓すること、曰く
> 、生産費を低落せしめること。海外へ! 資本と商品と人間とを。事業の
> 能率を増進せよ! 資本の合同と事業の統一、商品の生産制限と売価の協
> 定、労働の節約と賃金の値下げ、之が現代の日本社会の発しつつある最も
> 大にして最も力強き声である。」
>
>大内は「最も力強き声」=金融資本が金解禁を志向する政策体系をこのように
>把えるのである。
>
>(長幸男『昭和恐慌』岩波現代文庫S40、156頁より)
大内がまとめた金解禁前夜の日本における「声」は現代の日本における「声」とほ
ぼ完全に一致していることがわかります。当時も今と同様に痛みを伴う改革が経済
低迷を救うのだという「声」が強かった。しかし、昭和恐慌はまさに大内がまとめ
た「声」の力によって引き起こされたのです。
>……大内はじめ、マルクス主義者の多くは、抽象理論のレヴェルで原則的に資
>本主義下のインフレーションに反対であっただけでなく、満州事変・【金輸出
>】再禁止というコースは軍事インフレをもたらす結果になるであろうという政
>治的警戒心から、新平価解禁を積極的に支持しなかったのであろう。しかし、
>そのことが「多数の人々」を軍事インフレではなく平和維持と経済拡大の側に
>組織する積極的プログラムの作成を困難ならしめていなかったろうか。
>
>(長幸男『昭和恐慌』岩波現代文庫S40、161頁より)
これもまた、(当時のように「軍事インフレ」の可能性はないももの) 現代の日本
にかなり適用できそうな意見だと思います。
保守派と左派が共に不況を放置したままのシバキ的改革の断行に賛成する実質的タ
カ派として一致団結してしまっている中で、ハト派の経済政策であるリフレ政策は
保守派だけではなく、左派にも徹底的に拒否されている。
しかもリフレ政策の必要性を強調するハト派は当時よりも今の日本の方が少数派な
のです。現代の日本にはハト派の経済政策を唱える政党が存在しない!
本来政治的左派はリフレ政策というハト派の政策の可能性をもっと追及するべきだ
と思うのですが、なかなそうはならない。これは今も昔も同様のようです。
次に引用するのは金解禁後の1931〜1932年頃における「インフレ論」に関する論争
です。当時の昭和恐慌下の日本は旧平価による金解禁のせいでひどいデフレになっ
てました。
>1.「(『東洋経済新報』の) 再禁止論が景気建直し策であったということは、
>それ自身、再禁止論が経済危機の混乱から生れた一つの泡ぶくであり、そして
>、為替相場の暴落=新平価による輸出商品の価格昂騰と債務の切捨てとをもっ
>て景気立直りを招来しようとするそのイデオロギーは、いうまでもなく、金融
>資本のデフレーション政策の下で四苦八苦の態をつづけた弱小資本の悲鳴であ
>るに過ぎない。」
>
>(笠信太郎 (大原社研研究員、マルクス主義貨幣理論家) によるインフレ論批判
>を長幸男『昭和恐慌』岩波現代文庫S40の163頁から孫引き)
「弱小資本の悲鳴であるに過ぎない」などというシバキ主義的発想で金輸出再禁止
を唱えるインフレ論に反対しているところは、現代のリフレ政策に対するある種の
反対論にかなり似ています。
>2.「一切の商品の価格が五割ずつ騰貴したとするなら、その結果はどうなる
>か? そのための大衆の消費力が増加するであろうか? そんなことはありえ
>ない。一切の生活必要品の価格が五割ずつ増加したと同時に、労賃 (労働力と
>いう商品の価格) も同じように五割騰貴したとするならば……一切の商品の価
>格は呼称の上では五割ずつ増加したが、変化はただそれだけのことで、社会の
>生産力と消費力との不均衡はこれがため少しも改善されぬであろう。」
>
>「だが実際においては、物価は一率に騰貴するものではない。吾々がもし売買
>される総ての諸商品を、 (一) 労働力と (二) それ以外の諸商品との二大範疇
>に分かつならば、言うまでもなく労働力の価格 (労賃) の騰貴は、それ以外の
>諸商品の価格騰貴に後れることを常とする。だから吾々は、次に事態をその通
>りに仮定して見よう。結果はどうなるか? それは一般物価に変動なくしてた
>だ労賃のい引下げられたのと同じことである。社会総生産物に対する労働者階
>級の分前は減少する。従って大衆の消費力はただに増加せざるのみか、却て減
>少する。過剰生産はこれによって毫も救われはしない。」
>
>(河上肇 (1928年に京大教授を辞任したマルクス主義研究者) によるインフレ論
>批判を長幸男『昭和恐慌』岩波現代文庫S40の183-184頁から孫引き)
>3.「博士は、其物価騰貴と言う事を、何処から持ち込んで来たのであるか。
>物価は、唯だ通貨を増加したとて、誰れかが其通貨を購買力として働かさねば
>騰貴するものではない。博士の考えには、それが抜けている。而して唯だ物価
>が、前提なしに突然と騰貴し、同時に労賃が同率に上ったり、或は上がらなか
>ったりする場合を仮定するから、右記の如き議論が出て来るのである。が事実
>は……物価は如何なる場合にも、購買力の増加 (厳格に言えば、生産に比較し
>て相対的に増加) なしには上らない。故に博士が、労賃の騰貴又は不騰貴と同
>時に仮定した物価騰貴には、既に何処からか、物資に対する購買力の働いてい
>ることを前提しているのである。前提しなくては、左様の仮定は現れて来ぬの
>である。然らばそれは何処から働いて来たのか。」
>
>「先ず想像せらるる一つ (殊に河上博士の説く如く……生活必要品の価格の騰
>貴である場合に於て) は、……インフレーションの作用に依りて企業が刺戟せ
>られ、従って産業界に於ける労働者の被傭数が殖え――或は労働者の仕事高が
>殖え――為めに河上博士の仮定の如く個々の労働者の労賃は騰貴せず、或は物
>価と同率の騰貴であるに拘らず、労働階級総体の所得が増加したのであろうと
>言うことである。之は、今日の如き失業操短時代から企業の活動を回復する場
>合には必ず起る現象である。」
>
>(石橋湛山 (『東洋経済新報』主幹) による河上への反論を長幸男『昭和恐慌』
>岩波現代文庫S40の183-184頁から孫引き)
石橋はインフレに関する河上の無理解を丁寧に正しています。結局、高橋是清によ
るリフレ政策の実現によって昭和恐慌は終息しました。 70年前の歴史は大いに参
考になります。経済状況だけではなく、当時の世論や論争の内容までそっくりであ
ることは印象的です。
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/keijiban/b0050.html#b20020826191601