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キャリア官僚も集っている★阿修羅♪サイトだから、大手メディアの人だってたまには覗いているのだろうと推測する。
個々のメディア従業者に、属するメディアの無能性・堕落性・犯罪性を語っても仕方がないことであることは重々承知している。
「大東亜戦争」という“国家総力戦”の遂行においてきわめて重要な役割を果たしながら、敗戦後は、ごめんなさいレベルの出直し宣言と旧軍部への全面的な責任転嫁で乗り切ったのが大手伝統的新聞社やNHKである。
そして、大手新聞社は、戦後復興期から高度成長期にかけてテレビという新たな電波利権も手に入れ、高度成長期から現在に至るまで他を圧する影響力と商売条件を維持してきた。
新聞とテレビという主要メディアが一心同体とも言える深い資本関係にある状況であれば、テレビが政府認可事業であることから、新聞も、政府の意向に逆らった記事や論調を書きにくいことは推察できる。(政府も、コールサインの送出やCM時間を放送法通りに規制しないことでご機嫌をとってきた)
新聞は政治的規制がしにくいメディアと言っても、日刊新聞を全国的に販売するシステムを築くことは大変なコストと時間を必要とするため、既存大手新聞に対抗するような新しい日刊新聞の出現を望むことは難しいだろう。
「自助努力」や「規制緩和」を声高に叫んでいる新聞社が、新聞の再販指定解除については、文化や言論を盾に声高に反対したことは記憶に新しい。(政府もそのようなメディアの声は無視しない)
日々の忙しさに追われている読者は忘れかかっているかもしれないが、不況になればすぐに財政出動や公共事業と声高に叫んできたのは、現在、財政危機を盾に公共事業縮小や構造改革を訴えている大手メディアである。(そんな昔の話ではなく、つい5年ほど前までの話である)
財政危機を招くような財政政策を要求してきたメディアが、手のひらを返して、財政危機を叫び、財政支出を抑制するよう主張しているのである。
(手のひらを返してというのは、論理的な反省がないままという意味であり、主張を変更すること自体は何ら問題ない)
そのようなメディアが発っしている主張を正しいものとして受け止める読者が短慮とも言えるが、「社会の木鐸」を自認しているメディアは、読者や視聴者を超えたレベルで責任があるとは言えるだろう。
濃淡の差はあるとは言え、大手メディアは、小泉首相流の「構造改革」(「民営化」・「規制緩和」・「低中所得者負担増」)を支持している。(読者や視聴者の反発を買う「低中所得者負担増」については、触れなかったり(テレビ)、危惧心をみせながら必要悪的な論理で乗り越えている(新聞))
大手メディアの中核従業者は「高額所得者」もしくは「高額所得者途上者」と言える給与水準なので、消費税アップ&所得税減税は経済利益に反しない政策である。(別に、大手メディアの中核従業者が、経済的損得で現実を見たり記事を書くと言っているのではなく、事実関係を確認しただけである)
これまでの書き込みでも書いてきたように、「構造改革」は、低中所得者を直撃するものではあるが、それを通じて、現在の高額所得者を低中所得者に徐々に引きずり降ろしていく政策である。
メディアの方々は自分たちが引きずる降ろされることはないと高を括っているかもしれないが、従来の不況とは違い、今時の「デフレ不況」はそのような生易しいかたちで進行していくものではない。
『『中央公論』7月号掲載の榊原論文を評す [歴史的アナロジー編] 〈19世紀末「デフレ不況」を克服した米国経済に学ぶ〉』( http://www.asyura.com/2002/hasan12/msg/1049.html )のなかで、ホワイトカラーに起きる大量失業の危機を書いたが、これは、そのまま広告媒体として主要な位置を占め、その収入に大きく依存している大手メディアにもそのまま適用できる論理(危機)なのである。
需要減少のなかでメーカーが価格支配力を劣化させているが、そうなれば、営業活動や広告宣伝活動という従来的なシェアアップ手法に投じられる費用が減少していく。
危機を煽るようで恐縮だが、効果性が明確ではない広告宣伝よりも、活動すればそれなりの効果が得られる営業の方が重視される。
既に販売ルートやブランド(知名度)を確立しているメーカーは、「デフレ不況」のなかで、シェアアップの手法を古典的な価格政策に求めていくようになる。
製品をできるだけ多く高く売りたいというのはメーカー共通の願いだが、これまで、そのためには厖大な販促費を投じてきた。しかし、同等の販売ルートやブランド力を持っている競合企業が、販促費を減らして商品価格を下げることでシェア拡大に動けば、対抗上、同じような価格政策を採らざるを得ない。
ただでさえ収益が圧迫されている現状では、それは、広告宣伝費の減少でまかなわれる部分も少なくないだろう。(製品を造ることのコスト軽減も追求されるが、製造以外の諸費用はいっそう強く追求され、その対象は試行錯誤的に巡ることになる)
このあたりの事情は、メディアの広告局などに勤務している人であれば、肌身で感じているかもしれない。
テレビであれば、メーカーの広告費縮小を中心的に補ってきたのは、サラ金と呼ばれる金融経済主体である。
「デフレ不況」やすさんだ社会状況ではサラ金・保険会社・警備会社・資格取得関連・製薬会社といった経済主体の広告が増えるのは理に叶っているが、これとて中長期的に安泰なわけではない。
「デフレ不況」が深化すればサラ金の貸し倒れも増加するし、運用先に悩んでいる銀行もがサラ金に近い融資活動を行うようになる。
不況時に強いと見られている業種も、不況が長期化しその度合いも強まれば、不況業種に転化していく。
最悪の不況状況をイメージすればわかるように、生存を維持するための食品関連や基礎的な生活必需品がマスで売れる商品になる方向に動いていくのである。
「デフレ不況」という経済状況で進んでいるテレビの多チャンネル化やデジタル化は、テレビ局の苦境をさらに進めるものであっても救いにはならない。
インターネットの普及も、紙媒体である新聞の販売を阻害するかどうかは微妙だが、促進するものではないことは確かだ。
「デフレ不況」は古典的なかたちである価格競争の再来を促す経済状況であり、大手メディアに勤務している人たちでさえ経済的な安泰が維持できるものではないことは心に留めておいて欲しい。
大手メディアが小泉首相流の「構造改革」を支持することは、経営が広告収入に依存している自分の首を絞める行為なのである。
そうなってからみっともなく再び手のひらを返すことは目に見えているから、今のうちに、冷静に「構造改革」がもたらす経済状況を論理的に見直すことをお奨めする。
読者は責めないだろうからみっともないとも自覚しないことになるだろうが、その時になってから主張を変えても、おそらく、間に合わないはずである。
※ テレビを通じて高額の収入を得ている芸能人も、企業やテレビ局の苦境が収入の減少に及ぶようになる。このサイトを覗いている芸能人がいるとは思っていないが....