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(回答先: 「開かれた地域主義」への移行は急がねばならない。 あっしらさんへ 投稿者 まじなおじさん 日時 2002 年 8 月 25 日 05:33:01)
まじなおじさん、こんにちは。
>さて、一つ疑問があるのですが、純経済的な論理展開の中に時間軸はあるのでしょうか。
経済論理でもっとも重要なことは“変動”だと考えていますから、時間軸が重要な要素になります。
そして、経済論理がマクロ及びミクロに対して時間軸的な変動をもたらすので、経済事象の予測可能性も存立すると考えています。
何年何月という暦的な時間軸ではなく、傾向的時間軸です。
>戦後復興期において比較的短時間にそれがなされたのは生産工場は破壊されたけれど
>も技術を持った熟練工達が大勢居た事を忘れてはいけないと思います。
戦後復興期は、労働活動力と通貨が近代の経済活動力を決することを如実に示したと思っています。
労働活動力は、復員兵・旧領土引揚者・満州引揚者が国内に集約することでいっそう優れたものになり、通貨は米国との協調関係で獲得することができました。
朝鮮半島や満州が支配地域として残っていれば、労働力に余剰があるため、完全雇用状況・終身雇用制・実質給与の上昇なども実現されていなかったでしょう。
(日本が近代的な原材料を自前で調達できる条件にあれば、ペースはダウンしたとしても、労働活動力で復興・成長を遂げることができたはずです)
厖大な犠牲を伴った生産設備の破壊や放棄が否応なしの諦めをもたらし、米国からの資金貸し出しが“進んだ”米国式生産財の導入につながり、輸出の急拡大と制限的な労働力供給事情が結合することで脅威的な経済発展を実現しました。
>この10余年日本は熟練工を育てる環境にありませんでした。すなわち今の20代や
>30台前半の連中には技術を身に付けているものが極めて少数なのです。
近代経済システムの生産性上昇(私の言葉では「労働価値」の上昇)は、熟練工を単純工に置き換える歴史過程でもあります。(このような意味で、近代は「匠」が失われてしまう歴史段階です)
日本経済は、汎用的な製品の大量生産に甘んじることなく高度技術製品の開発・生産を追求してきたので、熟練工(現代的科学技術を基礎として対象に働きかける活動力を持っている人)が重用されてきました。
新幹線や科学技術研究などの国家政策も、大量生産品ではないものを使わざるを得ないことから、熟練工の養成に貢献してきました。
バブル崩壊以後、このような基礎的条件が揺らいでいます。
80年代後半に導入した生産設備が経営的な重荷になっているくらいですから、新たな設備投資は停滞しています。財政支出も、資産価格下落に対応する使われ方で破綻状況に陥り、熟練工を養成していくようなかたちでは使われ難くなっています。
機械・ロボット・NC制御装置などが、単純工の活動を置き換えるというものではなく、熟練工が持っている能力を反映させたものでもあるという視点が欠落しているように見受けられます。生身の熟練工がいなくなれば、先進的な製造装置も造れないと言うことです。
人種的民族的な能力の差は、自然条件などで規定された歴史過程で生じるものがあることを認めても、本質的にはないと考えています。(しゃかりきにならなくても生きていける自然条件にあるのなら、労働活動力をそれほど高める必要はありません)
ご指摘のように、日本が歴史的に培ってきた「匠」が、中国人に吸収され、中国的な改良を加えられてより熟練することも素直な流れです。
>どのように日本を復興させるかの青写真も重要でしょうがその時間軸も非常に重要で
>あると考えるられるのです。
高度成長期は、物づくりで劣っているという自覚のもと、品質と価格で優れた物を生産することに注力していた日本企業も、中級品生産において世界一になることで、利潤を上げることや投資した通貨をより多くを回収することにこそ企業活動の眼目があると考えるようになりました。
これが、バブル形成の価値観的背景であり、頭脳部分や熟練的活動部分の外注化を推し進めさせ、犯罪的不正行為が横行する素地だと考えています。
これまでの誤った政策ではなく合理的な政策で日本を復興する作業も、今年中にその緒につき、来年(度)からはその政策を本格化しなければ間に合わない可能性が高いと思っています。
(日本の資金が支えてきたとは言え、米国経済の崩壊的縮小は、欧州やアジアを巻き込むもので、かろうじて輸出で現状を支えている日本経済に大打撃を与えます)
このまま進めば2005年までには、貿易収支も赤字に転落すると予測しています。
(「世界同時デフレ不況」により輸出が減少するとともに、各企業が、自分の生き残りを賭けて、移転した製造拠点からの輸入を増加させるからです)
>国家中枢の方も居られるようですのであえて申し上げますが、カタストロフィーを起
>こすことも善であると思います。
このまま行けば、カタストロフィーも起こせないまま「ダラダラのデフレ不況」が進んでいくのではないかという悲観的な見方をしています。
経済価値観と経済論理の大転換をしないと、カタストロフィーも起こせず、回復もできないという状況にあると考えています。
経済価値観と経済論を転換させないまま対策をいくら実施しても、さらに状況を悪化させるだけになります。
「ハメルンの笛吹き男」の話のように、破滅への道を喜々として歩み続けることになります。
メディアや政治家にカタストロフィーが起きれば、経済価値観と経済論理の大転換が起きる可能性があります。