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(回答先: 横レス失礼致します 投稿者 せいがく 日時 2002 年 7 月 30 日 10:07:25)
「せいがく」さん、こんにちわ。
ご愛読いただきありがとうございます。
(難しくて分からないこともままありますが)は、
● 説明の仕方は拙い(端折ってしまっていたり、自分自身が曖昧性を残している)
● 見えている世界=イメージしている世界が微妙に違っている
のいずれかだと思いますので、「議論・雑談」ボードに質問を遠慮なくお書きください。
それが、書籍ではなくネットのメリットだと思っています。
>バブルの崩壊や不良債権の増大(によって生じた穴)というのは、
>労働価値と結びついていない貨幣上の現象だと考えるのは間違いでしょうか。
おっしゃられる通りだと思います。
貨幣で貨幣を儲ける銀行と金融資産を媒介とした貨幣で貨幣を儲ける株式や土地への投機家が一体になることで起きたのが「バブル形成」で、その結果が「バブル崩壊」です。
株式や土地への投機で儲けた人たちもいるわけですから、その人たちに渡ったお金が預金・銀行の自己資本・銀行の日銀からの借り入れだったということで、それが不良債権の元です。
土地や株式をやり取りするだけで経済活動が順調にいくのなら、こんな楽な話はありません。香辛料程度で金融取引を行うのはまだいいとしても、それが、漬け物になり、そして、おかずへ、さらには主食へと拡大していけば経済活動は必ずクラッシュします。
みんなが働かなくても贅沢な生活が出来るという理想郷は今のところ実現されていません。(ある部分が働かなくても贅沢な生活が出来るという現実は古来より実現されていますが...)
>もしそうだとすると、その穴埋めに国民の血と汗であがなった金を回すのは(匿名希
>望さんの主張)、なんともアホらしい話しです。(榊原教授の提案するような)政府通
>貨でも、日銀の国債直接引き受けでもやって、穴埋めすべきです。バブリーな欠損の
>補填にはバブリーなマネーをあてがっておけばちょうど釣り合うんじゃないですか。
>実体経済の大事な部分は影響されないと思うんですが、ちょっと単純過ぎますか?
経済社会におけるバブルの責任は、商業銀行(貸し手)→中央銀行(貸し手)→債務者という序列になります。
しかし、最も大きな責任を負うべきは、日銀を含む金融行政を担っていた旧大蔵省です。
「穴埋めに国民の血と汗であがなった金を回す」のは誤りですし、それでは、解決に途方もない時間がかかってしまいます。
通貨が資本化=労働価値付与過程に結びつかない状況が解消されない限り、現在の泥沼が続きます。
「国民の血と汗であがなった金」とはそういう金で、それが少ないために「デフレ不況」になっているのですから、それをあてにしていたら、解決できないというのは自明です。
「バブリーな欠損の補填にはバブリーなマネーをあてがって」も、それがその範囲の量でかつ供給=資本に結びつくかたちであれば、実体経済の大事な部分に問題を起こすことはありません。
榊原教授の論文は7月号なので未入手・未読なのですが、政府紙幣は、発展途上国ならいざ知らず日本をはじめとした先進国では革命に匹敵する金融改革になりかねないものです。
貸し付けではなく政府の支払いから通貨が流通を始めるというのは、前近代では当たり前の仕組みなのですが、近代で廃棄されたものです。
日銀の国債直接引き受けと違って返済不要・利払い不要という点で政府紙幣に魅力を感じますが、2種類の通貨が混在することになるので混乱をきたし、政府紙幣で巧く動くことがわかると日銀不要論に結びつくはずです。
政府紙幣は、日銀券と違って利息付きの返済で戻ってくるわけではなく、金貨や銀貨のように生産要素で量が規制されるわけでもないので、数量調節がたいへんです。
また、日銀券と通貨機能がまったく等価なのかという点も気に掛かります。例えば、日銀券では利息付きの預金や株式の購入が出来るが、政府紙幣は、無利息の預金ができるだけで、私的及び公的支払いに使えるのみで株式は購入できないとか...。
政府紙幣は、「管理通貨制の下には、貨幣そのものには価値がなく、労働価値と結びついて初めて意味あるものになる」という考え方が現実として明確になるきっかけになります。
未読なので論評は控えますが、官僚のほうが民間人よりも“平気で大胆”であることが、政府紙幣構想や「匿名希望」氏とのやり取りでよくわかりました。
榊原教授の「中央公論」論文はバックナンバーなので入手もしくは読了にしばらくかかりそうです。
ご面倒でなければ、論文内容の概要を投稿していただければ幸いです。