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(回答先: 大変よく分析されており、感銘を受けました 投稿者 匿名希望 日時 2002 年 7 月 25 日 17:43:20)
公開可能データの選択の煩雑さ、本サイトの投稿様式、閲覧諸氏のニーズ等の諸制約のため、極力専門性を排し概略的な反論を試みることに致しました。
貴殿のご主張をごく簡単にまとめると次のようになると思います(誤認があればご指摘下さい)。
日本経済の低迷と財政の危機的状況を抜け出すには、デフレの克服(インフレの招来)が不可欠である。そのためにはデフレ・ギャップの解消が必要であり、これは個人消費の増大によりなされる。この個人消費の増大は、税負担を高所得者層に相対的に重くする事(中低所得者層の可処分所得の増大)によって実現する。この結果、公定歩合引き上げなど諸金利引き上げに向けた体制が整い、デフレがマイルドなインフレへと転換してゆく。
この考え方に対しやや刺激的な言い方をしますと、「この程度の事で今の難問が解決するなら、すぐにも必要な法案を成立させますよ。」ということになろうかと思います。
想定しておられるのは、所得税の累進税率の変更と思いますが、確かに累進カーブをきつくしてやることによって、現在よりは個人消費が若干高まる事は間違いないでしょう(所得階層ごとに限界消費性向が異なるのは自明ですから)。ただ、現在の日本の経済や財政が抱えた問題のマグニチュードからして、その効果は全く不充分と言わざるを得ません(それこそ焼け石に水です)。
84年の税制改正以前よりもさらにきつい累進性や低所得層へのマイナスの所得税(つまりは補助金ですね)といった社会主義的な累進課税まで想定しておられるとしたら、民主主義国家体制下における法案成立の難しさもさることながら、活力減退や脱税の横行など別の弊害も発生します。
貴殿の仰る微温的な(と、私は判断しました)政策は効果を発揮しないばかりか、90年代の先送り政策を別の形で踏襲するものに過ぎないというのが率直な感想です。つまり、そのような政策ではデフレは止まらず、いたずらに低迷を長引かせるだけだ、ということです。ただ、財政支出の使途の見直し等、貴殿のご指摘になられた多くの点で同意できることがあったことを申し添えておきます。
90年代の日本を指して「第二の敗戦」と呼んだ文芸評論家がおりました。これからの日本は過去の延長線上にはないのだ、という決意を新たにする意味で、この言葉の重みを味わう必要があります。
日本のあらゆる組織や制度が、新たな時代に対応した文字通りの意味でのリストラクチャリングの洗礼を早急に浴びる必要があるのだと思います。財政も身の丈に合った時代の要請に合う構造に急いで作り変えて行く必要があります。
貴殿のアイデアも排除する必要はありません。少しでも現状の改善に貢献するなら現実の政策に反映してゆくべきだと思います。ただ前述の通り、残念ながらそれはone of themに過ぎず、個人消費を劇的に改善させ、GDPの伸びをリードするほどの力はありません。日本経済の底力を信じつつ、たとえデフレ圧力を一時的には増やすと分かっていても、財政建て直しに着手する必要があるのです。
言葉は悪いですが、もはやここまで来たら観念すべきです。小手先の如何なるビホウ策も通用しません。最低限のセーフティ・ネットは行政で確保しつつ、どんな苦境にも耐えて見せる、という国民一丸となった対応をしたいものです。
盲腸が痛いと言って薬で散らすことを続けるのではなく、外科手術を断行し、病巣そのものを抉り出すのが回復への早道です。手術をいつまでも避けると腹膜炎に発展し、最後には命を落とします。
デフレ・スパイラルを恐れる言説もいまだに見かけますが、これは外科手術の失敗を恐れるのと同じです。しかし、いずれにしても手術は避けられないのであれば、早ければ早いほど手術成功の確率が高まります。
最後に金融の量的緩和について一言触れると、現実が正しく証明している通り、残念ながらこの政策に経済をインフレに導く効果はありません。規模を拡大しても同じ事です。問題は銀行の信用創造機能が崩壊の危機に瀕しているところにあるのであって、日銀のマネー供給に問題があるのではないからです。