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(回答先: 【国家戦略】栄誉ある孤立化政策 投稿者 まじなおじさん 日時 2002 年 8 月 22 日 22:33:31)
まじなおじさん、初めまして。
論考を興味深く拝読させていただきました。
経済という枠組みにとどまらず、個=類という視点から人々の生存様式(文化)に関してきわめて重要な提言として受け止めています。
「近代の終わりが始まった」という認識をベースにこれまでも書き込みをしてきましたので、近代経済システムを説明する体系である経済学の範疇では、現状及び将来の経済問題すら解決できないと考えています。
しかし、一方で、人の生存が継時的であると同じように、人々の活動関係及び活動成果の総和である歴史も継時的なものですから、近代の経済及び制度的諸条件を基礎としながらできるだけスムーズに穏和なかたちで次なる歴史段階に移行していかなければならないと思っています。
私を含む人々の現実認識や価値観は、論理的な現実やその現実に求められる価値観よりもたぶんに遅れるもののようです。
これは、継時的である歴史を安定的に変化させていくために有効な働きをする保守主義として評価できるものですが、現実が歴史の変わり目に向かっているときには、災厄をもたらす要因となります。(新自由主義や共産主義も、近代の枠内にあるものとして保守主義だと捉えています)
現実の問題をそれなりに考えている人であれば、おそらく、「まじなおじさん」が提示された内容(結論)に反対するとしても、同様の危機感は抱いていると思っています。
歴史は既に死んだ人々を含めた活動の継時性が基礎ですが、生身の個人の生はたかだかと言える短い期間ですから、それに執着して物事を判断する人も少なからずいると思われます。
(近代経済システムの発展原動力の一つがそういった個人の判断を是認することですし、そのような価値観を好ましいと受け止める思潮も強くあります)
「匿名希望」氏とのやり取りで、大災厄に見舞われなければ大きな政策転換ができないと考えていることを表明しているのも、そのような思いが基礎にあるからです。
優位な条件を持っている人は、その優位が崩れない限りなかなか価値観の転換ができないというのがひとの性(サガ)のようです。
「栄誉ある孤立化政策」に対しては、「開かれた地域主義への移行」を対置したいと思います。
地域という概念は、国家・地理的地域・家族のいずれと考えてもらってもいいものですし、その重層的なものとして受け止めて欲しいものです。
個=類(社会)という考えや“奇妙なサプライサイド”に立脚していますから、個人を出発点としては据えません。
生を受ける場(関係性)であり、個を確立する始源である他者との関係性の端緒である家族を“地域”の基礎単位として考えています。(別に、近代及び前近代の家族制度をイメージしているわけではありません)
良きにつけ悪しきにつけ、近代の歴史過程でグローバル化が進んできましたから、それを拒否したり否定するのではなく、グローバルな関係性の基礎として“地域”を確固たるものとして据えようという考えです。
抽象的で限定者の利益を実現するためのグローバリズムではなく、様々な人々の具体的な価値観を“超地域”との関係性を含むかたちで達成できるような世界構造を実現すべきだと思っています。(外部地域を害さないものであるのなら、閉鎖的な地域主義も許容されるものです)
「定常状態」という国民経済的利潤が論理的に発生しない経済状況になれば、外部地域(外国や外部国民経済と考えてもらったほうがわかりやすいと思います)との関係は現在とは異なるものにならざるを得ません。それを、漠然としたもので恐縮ですが、「開かれた地域主義」にすべきだという考えです。
以降は、「まじなおじさん」が提示された内容に即して書いていきます。
> 私の考えるに、根本原因は国際金融システムにあると思う
>のです。
> つまり、日本人は対外貿易で稼ぎを上げさえすれば豊かに
>なれると単純に考えてきたこと、そのことが間違いなのでは
>と思うのです。
私は、国民経済ひいては個々の経済主体の利益(利潤)源泉は貿易収支の黒字にあるという論理を提示し、それが実現不能になることで「定常状態」に陥るという考え方をしています。
そして、利潤がなくても、国民経済は成長することができるし、人々の生活も財レベルに限らず向上していけると主張しています。
> 対外貿易で稼ぎを上げてドルを日本に持ってきてもそのま
>までは国内経済は豊かにはならないのです。
貿易で稼いだドルを日本円に転換することが国民経済の実質的な利潤だと考えています。
それを資本化(投資・消費)することで、日本経済は、「労働価値」(生産性)を上昇させながら、“拡大的”に発展することができたと思っています。
> 国際金融システムに組込まれた国は外貨が黒字であっても
>その外貨ドルを使わなければ何の意味も無いのです。
黒字を貯め込めんだり、国内の経済拡大のみに使えば、それまで貿易を通じて通貨的“富”を日本を提供してきた国民経済は疲弊するだけですから、貿易黒字を維持するためであっても、対外投資や輸入にドルを使うことは必要だと考えています。
> その為日本は余剰外貨ドルを無理に使い、その結果国内産
>業を空洞化させてまで色々なものを輸入し、製造業に従事し
>ていた多くの方々が失業してしまったのです。
「空洞化問題」は、日本が「デフレ不況」に陥ったために、コストを下げて生産し、国内生産より安い価格で売っても利益が増加できるようにと考えた愚かな企業経営者の責任だと思っています。
生産に従事する人が減る供給削減は、すなわち需要減少ですから、「デフレ不況」はさらに進み、愚かさに気が付かない経営者はさらにコスト削減をめざして海外に製造拠点を移して輸入するというかたちでデフレ・スパイラルに落ち込みます。
家電メーカー・資本財メーカー・商業経済主体などは、気がつかないまま自分で自分の首を絞めているのです。(賃下げも供給減少=需要減少ですから、同じように自分の首を絞める政策です)
もちろん、個別企業は自分が生き残ることに必死ですから、愚かさは指摘できても、それを非難することはできないと思っています。
> 経済屋は製造業従事者はサービス産業へと職を転換しろと
>無責任に断言します。
> しかし、日本人多くの気質はサービス産業向きではないの
>です。
> 真面目にコツコツ働き、花鳥風月に赴きを感じ、自然を神
>とあがめ生きていくのが日本人の幸せなのです。
非難を受けることは承知で言いますと、人が生活上必要な行為(労働)を代わりにやってあげることで収入を得ることは、“時間及び形態限定の執事”(サーバント)だと思っていますので、古来より奴隷や被支配者の仕事であったことでわかるように、日本人に限らず、ほとんどの人が向いていないのではないでしょうか。
(このような社会的分業が、効率性と相互扶助性を実現していることは認めています)
また、サービス業に限らず、近代の労働は、「労働価値」の上昇を追求するなかで行われるものですから、人向けではないと思っています。
近代経済論理そのものが、「日本人の「匠の気質」」を失わせていくものです。
(企業の不祥事=犯罪も、根っこは同じものに求められると思っています)
労働を旧約聖書的な“受苦”だとは考えていませんが、労働の在り方は、根底から変更されなければならないと思っています。
(労働を“受苦”と捉えるユダヤ・キリスト教的な価値観と日本の歴史的価値観とは大きく異なるものです)
近代が短期間のうちに達成した「労働価値」の大幅な上昇が、そのような変更を実現できる基礎をつくりました。
労働時間も大幅に短縮でき、労働形態もより好ましいものに変えることができ、「真面目にコツコツ働き、花鳥風月に赴きを感じ、自然を神とあがめ生きていく」ことも可能になります。
アイロン掛けも、料理も、掃除も、たっぷり時間があれば、楽しんでできるという人も少なからずいるでしょう。(パチンコで楽しみながら一日時間をつぶせるくらいですから...)
働くことは必須だとして、それを限られた時間で安全にかつ創造的にできるものにし、自由になった時間は、それぞれが好きな活動をするようにできればと思っています。
(もちろん、ダラダラ寝るだけというのでもいいのです)
> このままいけば世界恐慌は避けられないとも思います。
>もうそろそろ気が付いた方が良いのではないでしょうか、
>世界とのお付き合いも程ほどにした方が無難である事に。
通貨制度が異なるので、「世界恐慌」には陥らずに、「世界同時デフレ不況」に陥ると予測しています。
世界(諸外国)との付き合い方を、日本を含むそれぞれの国(国民)が考え直さなければならない歴史段階にあると思っています。
>A 日本人が現在ほんとに必要としているのは石油または天
>然ガスのエネルギー資源とレアメタル等工業原材料と食料だ
>けなのです。
> それを稼ぎ出すのは現在日本にしか生産できない高度工業
>製品や部品原材料を用いて貿易バーター主義(2国間貿易拮
>抗主義)でこれらを確保することが可能と考えられるのです。
ドル為替本位制は、実質的に言えば、バーター貿易です。
ドルも、日本円と同じように、価値実体の裏付けを持っていない通貨です。
国際取引におけるドルの継続使用を主張しませんが、価格表示機能及び一般的交換手段としての国際通貨は存在してもいいかなと考えています。
(それをグローバリズムの立場から追求している人もいるようなので、注意しなければなりませんが...)
>C このまま多くの国々が自由貿易により大量生産大量消費
>を行いつづけた場合、地球の浄化力を超え、生態系は破壊さ
>れ、人類社会の成り立ちを許さない環境に至る事が懸念され
>ています。
> 事態は徐々に進むのではなく、ある限界点を越えた後急激
>に進むのであって、その時多くに国々では多くの人口を抱え
>食料の枯渇や資源の枯渇から侵略的国家間戦争がおこるであ
>ろうことが予想されます。
宣伝広告活動もさることながら、労働形態や価値観が、人々を大量消費に駆り立てている側面があると考えています。
生存を確保するために必須である労働が好ましいものではないために、限られた自由の時間と空間では、精一杯憂さを晴らしたいという思いもあるのではと..
自然現象は、「事態は徐々に進むのではなく、ある限界点を越えた後急激に進む」という見方をしていますので、指摘されている事態も憂慮しています。
(この意味では、早く経済的なドツボにはまるほうがいいのかもしれません)
社会事象は、主体的に変えていかない限り限界点状況が続いていきます。
>E 本来的には資源・食料に乏しい日本人がその英知と努力
>とで自立循環社会を形成する事は、全人類にとっての手本で
>あり、各民族生存の希望となるであろう事も明らかなのです。
近代的資源には乏しい日本ですが、食糧については、世界有数の恵まれた条件を持っていると考えています。
数十年後の日本は、食糧輸出国にもなるべきだと思っていますし、なれるとも思っています。
> グローバリストの長期展望に立てば、破壊的な経済変動が
>起ころうが、世界戦争が起ころうが、それは創造的破壊なの
>であって、あえて享受すべきものであり、結果それでも人類
<の歴史は続き、まだまだ近代化に遅れた旧共産圏や第3世界
>が残されている以上、日本は人類世界の中で積極的な関連性
>を保つ必要があるとの事でしょう。
グローバリストが合理的な長期展望を持っているとは思っていませんが、ご指摘のような論理を提示しながら事を進めていくとは思っています。
好ましい「定常状態」に移行するためには、グローバリストとは違う考えに基づいて、日本が、旧共産圏や第3世界と積極的な関連性を保つ必要があると思っています。
> 何故なら、地球環境問題、資源問題、宗教問題、人口問題
>等々立ちふさがるまさにグローバルな問題は各国民国家にと
>ってほとんどが利害がぶつかるものであり、現在の欧米近代
>合理主義思想では解決不可能と考えられるからです。
そう思います。
> 国家財政が破綻している中で、そのような事はもう不可能
>であるとの意見が聞こえますが、全世界の金融システムが崩
>壊するような状況になったときにチャンスがあると私は考え
>るのです。
> つまり、金融システムが崩壊し対外資産が無に帰した時、
>国家権力はその存在意義を真に発揮するはずである。しなけ
>ればならないと思うのです。
実に残念で、バカバカしいことですが、破綻が現実化しなければ、次を切り開くことができないと十中七八思っています。
食糧自給派ですし、将来的には自然条件に恵まれない地域に食糧を輸出すべきだと考えていますので、農業育成政策に大賛成です。
以前、書き込んだ『ささやかながら少しはましな経済状況を』( http://www.asyura.com/sora/dispute1/msg/119.html )でも、最初に失業対策としての農業育成政策を提示しました。
> また、日本全体は国内経済のみで循環継続する真の構造改
>革が起こると思います。
最初の方で書いた「地域」は、できるだけ自己完結的に循環できる構造になるべきものだと考えています。