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(回答先: 諦観と見られない事を希望しつつ 投稿者 匿名希望 日時 2002 年 8 月 22 日 05:51:52)
レスありがとうございます。
貴殿が書かれた内容にどういうレスを書くかでけっこう呻吟しました。
自分自身が匂わしているだけで明確にはしていないドラスティックな“私案”でなければ問題を解決できないと考えていますし、これまで書いてきた内容も、“どうのこうの言っても通常範囲状態”と判断されている状況で権力機構及び拡声装置(主要メディア)に受け入れられることもありません。
これまで書いてきた内容は、“どうのこうの言っても通常範囲状態”での政策提言でしかなく、それでさえ自分自身が受け入れられるものとは思っていないという自己矛盾の塊です。(そうであっても、意義はあると思っています)
最大の危惧は、貴殿が言われる「デフレをさらに深刻化させるであろう構造改革路線」も、ある種の正論に立った政治家や議席確保を何より優先するという政治家の反対で微温的なものとなり、ずるずるべったりのデフレ不況が進行していくという事態に陥ることです。
そうこうしているうちに、遅れて「デフレ不況」に到達した国々でデフレ対策が実行されることになります。
>正直に告白しますと、デフレをさらに深刻化させるであろう構造改革路線が成功する
>確率は1割か2割だと考えています。それよりもはるかに高い確率で破綻を経験し、
>非伝統的政策を持ち込まなければならないということになるでしょう。
率直に言って、経済論理は冷徹ですから100%破綻を経験することになります。
しかし、現実には、主体的な「構造改革路線」で破綻するのではなく、米国などから移入したデフレ対策で破綻を迎えることになると予測しています。
このような推移で破綻すれば、政府通貨の導入等により問題が解消する機会も失われます。
米国などが実施する次の一手を真似るだけの哀れな状況になります。
そうして、“無間地獄”が続いていくでしょう。
そうであるならば、米国政権が景気回復を唱えている段階で、前回書いたように、「政治状況から、“破局を迎える”ことなくして政策の変換ができないのであれば、有無を言わさず一気に破局を導き出すということも必要なのかも知れません」と考えます。
その後ろに“「第1の敗戦」の二の舞ですね”と付け加えましたが、それは取り消すことにし、「愚かな政治家を選ぶ民主主義のコスト」とします。
一応いろんなことを考えていますから、個人的にはどのような状況を迎えようとも覚悟はできています。
近代に生を受けた者たちが近代という歴史過程を乗り越えるためのコストだと受け止めます。