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(回答先: ひまわりの贋作 投稿者 楽観派 日時 2002 年 7 月 08 日 22:31:30)
そうなんですよ。
私がいいたいのはそのことです。
要するに価値の計量単位としての貨幣は、労働価値を基礎としているのではなく、労働価値は貨幣の性質の一部を成すにすぎないということです。
要するにゴッホのゑがどうしても欲しいという「人」(法人ではない。)にとってはそれは何億出しても手に入れるべき対象なのです。
ですから、絵画に公正な取引所の相場というものが仮にあったとしても、ある画家のコレクターはそんなものに評価損が出たなどと一喜一憂しないものです。
また、仮に砂漠で遭難して脱水症状で死にかかっている時に、通りかかったベトウィンからお前の持っているカネを全部渡すなら水をわけてやると言われたら、例え100万払っても水を買うのが人間というものです。
つまり、価値とは人の心と体の欲求と必要が産みだすものなのです。
人間が紙幣などという紙切れに価値があると信じているから紙幣を誰も只の紙と思わずに使っているのです。