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(回答先: 【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:通貨・物価変動論など 〈その2〉 投稿者 あっしら 日時 2002 年 7 月 05 日 16:26:47)
用意して置いたデータを書き忘れた部分がありましたので、捕捉させてもらいます。
---------------------で挟まれた部分が捕捉です。
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遊び半分で日本経済をこのような視点で見てみたい。
58年から70年の12年間で、日銀券発行高(8,910億円:55,560億円で6.23倍)・消費者物価指数は1.8倍・就業者数は1.18倍になっている。
紙幣量÷物価変動÷労働力増加の計算をすると、2.93倍という値になる。
非労働成果財の取引を無視しているなど実に雑ぱくな見方だが、これは、「労働価値」が2.93倍になったと言える。
紙幣の量が6.23倍も増えたのに消費者物価が1.8倍にしかならなかったのは、「労働価値」が上昇したからである。
紙幣の量が58年当時のままであれば、70年の物価は、1/3になっていたということでもある。
そして、勤労者家計の実収入は、36,663円から113,949円と3.1倍になっている。これは、「労働価値」の上昇以上に増加しているので、実際にそうだったのか、非労働成果財に向けられた紙幣の割合が増え、労働成果財に向けられる紙幣の割合が減少したために、消費者物価の上昇が抑えられたかであろう。(景気状況による紙幣の回転数の違いもある)
「労働価値」の上昇以上に勤労者への配分が増えたとは考えにくいので、58年から70年の12年間で、「労働価値」は、おそらく3.1倍以上になったのであろう。
金融時代であるとともに大混乱時代でもあるのでより意味がないと思われるが、90年から00年の10年間は、日銀券発行高で1.59倍・消費者物価指数で1.08倍・就業者数で1.03倍である。
同じ計算をすると、「労働価値」は1.42倍になっている。
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この期間に勤労者家計の実収入は、1.08倍になっている。
高度成長期は、計算上の「労働価値」上昇よりも、実収入のほうが伸びている。
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「デフレ不況」期間である98年から00年の2年間は、日銀券発行高が0.95倍・消費者物価指数が0.99倍・就業者数が0.99倍である。
同じ計算をすると、「労働価値」は0.97に下降している。
先ほど、「近代経済システムでは、利潤の源泉である「労働価値」の上昇は常に追求されるので、「労働価値」が低下するという想定はしない」と説明したのに計算上は下降している。
もしも、定理が誤っていて「労働価値」が下降しているのなら、物価は上昇して当然だし、それを紙幣の量を減らすことで抑制したと言える。
しかし、定理が正しいのであれば、「労働価値」が下降したかのように見える原因を見つけなければならない。
変数を紙幣量変動と物価変動に絞ると、労働価値を上昇させる要因は、紙幣量がより増えるか、物価がより下がるかである。さらに絞ると、紙幣量は物価に影響を与えるが、価値実体には関係がない変数だから、物価になる。
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この期間に勤労者家計の実収入は、0.95倍になっている。
97年から00年の3年間では、実収入は、0.94倍になっている。
就業人口の減少と実収入の減少がダブルで進行し、そのなかで経済主体が“高値販売”したことが、あり得ない「労働価値」の低下現象をもたらしたのかもしれない。
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結論的に言えば、できるだけ高く財を売りたいと常に考える経済主体が価格を下げ渋ったことで起きたことになる。(外部要因(輸出入)は別に考察する)
例えば、物価指数が0.95倍であれば、「労働価値」は1.01倍と上昇する。
これは、「デフレ不況」長期化の一因が、不況のなかでできるだけ財を高く売りたいと考える経済主体の“高値”販売にあることを示唆している。
もちろん、物価変動は0.99倍のままでも、紙幣の量が0.99倍であれば「労働価値」は上昇するが、紙幣の量は価格調整機能しか果たさないものなので、経済主体が論理を超えた“物価高”を志向したという結論になる。
このような論理は、経済主体の活動判断の基となる経済のダイナミズムを捨象した、「労働価値」・物価・紙幣量という関数でのみ成立することなので、経済主体の“高値販売”を非難しているわけではない。(できるだけ高値で売りたいものだし、インフレは経済活動の糧である)
経済主体がそうせざるを得ない経済状況をもたらした当局の責任に帰するものである。