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(回答先: Re:私も、あっしらwatcherかな。 投稿者 Ddog 日時 2002 年 7 月 06 日 12:17:14)
Ddogさん、こんにちわ。
1)金の問題
金の有用性に関する具体的な説明ありがとうございます。
仏像と金箔の関係などは、奢侈ではなく実用という点で、電力エネルギーに満ちた歴史社会に生きているものとして実に示唆的だと感心しております。
(ミニマムで同等効果が得られるように、金無垢ではなく、金箔を貼るということでも...)
「金が、希少性が薄かったら電気がない時代だったら、部屋中金箔したかったでしょう」については、希少性が薄いこともさることながら、少ない労働力で金箔が造れたらとういう点を付加したいと思います。(「労働価値」の問題=限られた労働力を何に使うかという問題です)
使用価値は、直接的には量化できませんが、労働力配分の優先度である程度の量化できると考えています。
そして、「労働価値」が上昇すると、使用価値(不可欠度)の低いものも生産されるようになると思っています。
「金も銀も有効な金属だったからこそ通貨となりえたと思う」については、その通りだと思います。
工業用も、金の生産における「労働価値」が上昇し、安価に買えるようになると思っています。(これまでも、金を使ったほうが長期的に安定すると判断したものにも、価格との関係で代替品を使ってきましたから)
2)労働価値
[金の生産をベースにした「労働価値」の算定式]
(1gの金価格−1gの生産で磨耗した生産設備価格−1gの生産で消費した原材料価格)/1gの生産に要した労働力量
>ということは、裏の川で砂金すくいをして得た金と、佐渡の金山で、幾多の生命を犠
>牲にして掘った手掘りの金が、同じ価格の場合、砂金すくいのほうが、労働価値が高
>いことを示すわけですか?
「労働価値」は、基本需要を満たす量が生産されるまでの「平均労働価値」と考えてもらった方がいいと思います。
江戸時代は、「近代経済システム」ではないので、「労働価値」理論は擬似的にしか働きません。
金を採掘する労働者が明日も労働力を発揮できる状態にするコストと金の販売価格(通貨ですから買える財の量)の関係で見ることができます。
金1gを生産するために必要な労働者の生活物資の価格が、金1gを使って買える生活物資の価格を超えていたら、金を生産する意味がないということになります。
上げられている例は、「生命の犠牲」がどれだけの代償を伴ったかによって異なります。罪人などを使って、自己で死んでも無保障で補充も効くのであれば、生きている労働者の生活費だけの問題になります。
死亡補償が0だとすれば、労働者1名が1日に佐渡で何gの金を生産し、労働者1名が1日に川ですくった砂金から何gの金を生産したかの比較になり、量が多いほうが「労働価値」が高いと言うことになります。
3)金の経済的特性
金は、経済的な意味でも“非腐食=非消費”という特性を持っている。 これは、金が、株式(証券)や土地といった非労働成果財と同じ経済的意味を持っていることを意味する。新産金は労働成果財だが、蓄蔵された金は非労働成果財と考えなければならない。
>金が、証券と同じなら、日々鉱山より生産される金は、日々増資されているのと同じ
>でことを意味しますね。世界が、古い言葉で、ゼロサム社会の場合、採金が継続され
>れば、日々金の価値は減価していくことを意味しますよね。世界経済における採金
>ペースと、工業製品としての消費量も考慮すべき要素としないと・・・。
基本的にはその通りです。
スペインが南米から大量の銀と金を欧州に持ち込んだことで、インフレ(金や銀の減価)が生じました。
採金ペースは、金の価格と金鉱山のコスト(抽象化されていない「労働価値」)の関係で基本的に変動すると考えています。
但し、現在の通貨は金とは切り離されていますので、金の生産が消費量以上に増えたといって、16世紀から17世紀の欧州のようにインフレになるということはありません。
(宝飾品は顕著ですが、工業用も含めて、金は金塊に戻りやすいという問題もありますが)
物々交換→金貨(金属貨幣)制→金本位制→管理通貨制という流れは、「労働価値」を「労働価値」で表現する世界から、「労働価値」をより無価値の物で表現するようになっていく“倒錯化”の歴史過程であったことを示唆している。
>倒錯化とされるのなら、吉本隆明氏の共同幻想論を哲学的解釈と断ずるのはちょっと?
“倒錯化”という言葉を使ったことを少々反省しております。(最大の価値と考えられがちな通貨が、実は無価値のものであるということを強調したかったという思いの現れです)
「共同幻想」の哲学性は、通貨は無価値のものであるという重要なポイントをついた認識だと思っていますが、「共同幻想」に支えられている通貨を媒介として国民経済及び国際経済が現実に動いている根拠を探らないと経済(学)理論にはならないという意味です。
>今回の、あっしら労働価値説で補足してもらいたい私の疑問は、楽観派氏の言うとこ
>ろの経済学で、経済事象を説明できないとの主張も理解できますが、世界が、密度が
>濃い地球社会へ推移していく過程で起こりうる、矛盾についての説明です。上記し
>た、砂金すくいと、佐渡金山の労働価値での矛盾、ウォール害のアナリストの労働価
>値と、中国の青海省の農民を同じ土俵で比較していいのか?(為替の仕組みが、万能
>かという説にもなりますが)コンゴ共和国の奥地の住民と、ウォール骸のトレーダー
>は同じ労働価値で計る土俵まで世界は究極的に近づくのか?そのことを、特殊労働価
>値説理論とするのか、一般労働価値説理論と分けるべきか。いや、統一理論だよ、と
>されるかも興味が湧くところです。
前回のレスでもいただいたテーマですし、常々意識していることでもあるので、それらを頭の片隅に置きながら思考しています。
無味乾燥とも思われるような書き込みを行ったことで、自分自身の頭の中も、これまでよりは整理されたように思っています。
抽象的論理体系で現実の経済世界が説明し尽くせるとは思っていませんが、ある特定の抽象的論理体系で現実の経済世界を見つめれば、末梢的な事象までがそうなってしまう理由がなんとなくわかるというレベルまで論理を煮詰めたいと思っています。