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『【世界経済のゆくえ】「競争モデル」から「独占モデル」へ − マルクス主義批判も若干 −』
http://www.asyura.com/2002/hasan9/msg/581.html
の内容に直接連なるものです。
その前の内容は、「論議・雑談」ボードにまとめてアップしています。
『【世界経済のゆくえ】前半部分一括アップ』(全部で5本)
http://www.asyura.com/sora/dispute1/msg/787.html
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前回の最後に、次からは現実的なテーマでと書いたが、「競争モデル」と「独占モデル」の根源的同一性に関する説明が不足していたという反省から、予定を変更させてもらうことにした。
前回、「独占モデル」という仮構の経済社会を想定して、そこでは、経済主体が利潤(利益)を“絶対”的に得られないことや国民経済(モデルでは世界経済)のGDP的成長もないことを説明した。そして、その論理は、「独占モデル」のみに適用されるものではなく、「近代経済システム」の過去及び現在の現実モデルである「競争モデル」でも、まったく同じように適用されるものだとした。
「独占モデル」の説明自体にホントかいな?という疑念や実現され得ないモデルだから考慮の必要なんかないという感想を持たれたり、「独占モデル」=「競争モデル」という決めつけはなんにしろ間違いだろうと思われているかもしれない。
そのような認識の基礎には、「現実の経済システムでは、利潤(利益)も得られているし、GDP的経済成長も実現されている」という論理(言葉)を超える現実の重みがあるからと思われる。
「独占モデル」の説明内容が正しく、「独占モデル」=「競争モデル」であるならば、経済主体の資本増殖が活動の目的である「近代経済システム」は存続できない(破綻する)ことを意味し、極端に言えば、いくら知力を振り絞ろうがどんなにバタバタしようが、経済成長を継続することはできないという結論になる。
確かに、「独占モデル」ではなく「競争モデル」が生きている現実の世界経済では、日本企業に限らず経済主体は利益を拡大させることができるし、日本に限らず国民経済は経済成長を遂げることができる。
世界経済総体ではなく個別経済主体や個別国民経済であれば、経済合理性に則った経済活動を行う経済主体は利益を拡大できるし、それを通じて、国民経済も成長する。
(但し、経済主体が生産活動や投資を“グローバル”に行っている状況では、個別経済主体の合理性が、必ずしも国民経済の合理性に直結するわけではない。逆に、個別経済主体の合理性が、国民経済に災厄をもたらすことさえある。販売活動は別として、経済主体が国内で生産活動や投資活動のほとんど行い、海外での生産活動や投資活動がごく低い比率であれば、個別経済主体の合理性が国民経済のメリットに直結する)
「独占モデル」=「競争モデル」に対する最大の疑義も、おそらく、「そうはいっても、日本は経済発展を遂げたし、日本の有力企業も世界的な名声を得るまで大きくなった。それは、経済成長を持続的に遂げたということであり、企業も利益を上げ続けてきたからではないか」というものだろうと推測する。
「独占モデル」=「競争モデル」であり、利潤も経済成長も得られないという“公理”が存在するにも関わらず、現実には、経済主体が利潤を獲得し、経済成長が達成される源泉は、「独占モデル」と「競争モデル」のそれぞれが内包している経済的関係性の差異にある。
「独占モデル」には外部経済主体が存在しないが、「競争モデル」には外部経済主体が存在する。国民経済として考えると、外部国民経済(共同体)が存在するか存在しないかの違いである。
この違いにこそ、利潤の源泉がある。外部経済主体とりわけ外部国民経済こそが利潤の源泉である。
外部国民経済をことさら強調したのは、個々の経済主体はともかく、経済主体すべてが、閉塞した国民経済で長期的に利潤を得ることはできないからである。(長期的としたのは、貯蓄を考慮したからで、貯蓄がなければ一時的であっても無理)
この論理を具体的なイメージとして捉えるためには、“村落共同体”を考えるとわかりやすいかも考え、レスとしてその村落の生活ぶりを添付するので参照して欲しい。
■ 生活水準上昇の意味
もう一つ明らかにしなければならない問題は、戦後日本人の平均的な姿として、食事も豊かになり、自家用車まで持てるようになり、海外旅行も楽しめるようになった生活水準の上昇が何によってもたらされたかであろう。
(資本主義に反対するいわゆる左翼運動の凋落もソ連圏の崩壊も、そして、左翼勢力の“改良主義的変容”や“弱者救済運動化”も、「先進諸国」のこのような生活レベル変動に伴う国民意識の変化に拠るところが大であろう)
「先進諸国」の一般国民の生活向上は、利潤や経済成長によるものではなく、“生産性の上昇”と“対外的通貨価値の上昇”によって実現されたものである。
“生産性の上昇”は、単位労働力が単位時間で産出する量の増加である。それが、個別経済主体に限定されず、産業連関的なつながりで実現され、最後には全産業において実現されることで、ある国民経済に属する人々に生活向上をもたらす。
これまで、1000万人で生活必需品を生産していたのが、800万人で生産できるようになれば、200万人が生活利便品の生産に移行することができる。そして、500万人で生活必需品を生産できるようになれば、さらに、100万人が生活利便品の生産に加わり、100万人が贅沢品を生産し、70万人が精神的快楽享受サービスに従事できるようになり、30万人が科学的研究に没頭できるようになる。
これは、1000万人が同じ量の労働をして得られる成果物の量と多様性が大きく増大したことを意味する。生産性の上昇は、労働量を減らして、さらに多くの成果物を得ることも達成する。
生活必需品を1000万人で生産していたのが、500万人で生産できるようになったということは、生活必需品の価格(価値)が半分になるということである。平均年間可処分所得がずっと100万円だとして、ある時は100万円すべてを生活必需品に支出していたのが、50万円で済むようになり、残りを他の財やサービスに支出できるようになるということである。
このような論理の“緩和的”な進展が、日本人の平均的生活水準を上昇させてきたのである。
“緩和的”と言ったのは、「競争モデル」の経済主体は、利潤を得る一つの手法として、“生産性の向上”のすべてを価格低下に反映させないという選択を行うからである。価値(労働量)が半分になっても、価格を30%しか低下させないことで利潤を得ることができる。
しかし、価格を10%しか低下させないとか、据え置くという選択すると、総需要の“絶対的な不足”(販売額の総和が生産のために支払った金額の総和以上)という要因から、販売不振に落ちるか、裏付けのない貨幣が増発され公的債務が拡大することになる。
戦後日本は、米国の世界支配構造のなかに入り、唯一の国際通貨であるドルを借り入れ、それを原資に、米国式の最新生産システムを購入したり原材料を輸入することで、製品輸出の拡大につとめ、生産性も飛躍的に高めていった。
最初は、智恵と器用さを武器に米国の勤労者よりも安い給与(低い生活水準)を拠り所として、繊維や玩具などの軽工業品を輸出し、朝鮮戦争という一大“追い風”を受けることで、総合的な近代(現代)産業基盤を確立していった。
既に出来上がった米国式の最新生産システムを導入するということは、それに支払う金額以上のメリットがある。
長い研究開発に必要な労働や生産現場で見つかる問題点を解消するために要する労働は“時間=歴史”でもある。借り入れたドルでそれを買うことで、本来ならば必要な長い歴史過程を一気に短縮できたのである。
ドルを貸した金融資本(国際機関を含む)は、利子付きで返済を受けるために、日本が生産した財を輸出できるようにしなければらない。債権者は日本円を受け取らないので、ドルで支払うことができる国でなければならない。戦後しばらくそういう国は、米国以外にほとんどなかった。
輸出が思うようにできなければ、いくら最新式生産システムを買ったとしても、供給過剰で国内物価が下がることになり、対外債務も返済できずに「国家破産」に至る。(物価下落=デフレを避けるためには、稼働率を下げざるを得ないから生産性はそれほど上昇しない。稼働率の減少は労働従事者の減少を意味するので、結局、現在の「デフレ不況」と同じ循環的状況に陥る)
日本は、既に近代産業の基礎があり、低賃金(米国比較)であることから、特定分野では米国製品より優位に立てたが、鉄鋼・化学・電機・機械(生産設備や自動車など)・通信などでは、輸出できるほどの量が生産できなかったり、生産すること自体ができなかったり、価格は安くても品質に難があるという状況だった。
借りたドルを利子付きで返済しなければならないから輸出に力を注がなければならないし、米国民が謳歌していた生活は多くの国民の目標でもあった。
日本企業は、価格(量産)・品質・デザインで米国製品を上回るために、給与水準を抑制し、米国の技術や米国式生産システムをより効率的なものにしていった。そして、それらを“国策”が支え推進した。
これが、高度成長期の日本の姿である。年率10%という高度成長は、年率10%近くの“生産性上昇”と言い換えてもいいものである。“労働成果”が7年で2倍になる勢いで生産性が上昇したのである。
高度成長期は、貿易収支が黒字だったわけではない。
高度成長期が終焉を迎えようという68年に黒字基調に転じた。貿易収支が黒字として本当に定着したのは、“第一次石油ショック”と“第二次石油ショック”を経た後の80年以降と言ってもいいくらいである。
このようなことから、高度成長と言われるものが、実は債務と輸出を支えに実現した生産性の上昇であったことがわかる。高度成長期の経済成長は、生産性の上昇と労働従事者の増加によって達成されたものである。
貿易収支も経常収支も赤字であったから、外部国民経済との関係で言えば、“貨幣=労働価値の流出”である。
急速に上昇した生産性の一部を勤労者に還元しつつ(還元しなければ大きな需要不足になる)、一部は債務の返済に充て、一部は利潤として確保し、それをさらに生産性の上昇や規模の拡大に向け投資していくという構図である。(対外債務は、政府・日銀が管理しながら返済していく)
この時期のネックは、ドル不足を除けば、完全失業率1%に見られたように労働力人口の不足だった。ドルと労働力が日本経済を規定したのである。
日本は、米欧諸国が金融資本的収穫期に転換した80年以降に、産業資本的収穫期に入ったと言える。
産業資本的収穫とは、外部国民経済からの“貨幣資産の移転”である貿易黒字である。
そして、現在なお収穫期間にあるが、愚かな政策により、まもなく貿易収支の赤字に転化し、その終焉を迎えようとしている。
このような意味で、80年になってはじめて、日本は、かつての英国や米国のような本当の意味での利潤と経済成長を得ることができるようになったのである。
生産性上昇という“見掛け”で得る利潤と外部国民経済からの“貨幣移転”で得る利潤とは、本質的に異なるものである。
しかし、そうなったときの世界経済は、英国や米国が繁栄を誇っていたときの世界経済からは大きく変容していた。(これは、「世界経済のゆくえ」のキーなので、具体的な内容は今後に...)
■ 「円高」などの“対外的通貨価値上昇”の意味
“対外的通貨価値の上昇”は、輸入物価の下落・対外投資の価値上昇・輸出物価の上昇をもたらす。(輸出物価の上昇は一概に言えないことだが、短期的にはそうなる。海外旅行のメリットは、輸入物価の下落と対外投資の価値上昇という側面が個人の行動に反映したものと考えればいいだろう)
対外的通貨価値は、基本的に、頻繁にかつ大量に取り引きされる国際商品の生産性に規定される。
海外旅行で多くの国を訪れた人ならわかるだろうが、発展途上国では生活必需品はべらぼうに安いが電機製品や自動車は日本とそれほど変わらなかったりかえって高いくらいであり、先進国ではばらつきはあるが日本と物価水準はそれほど変わらない。(スイスは交通費がべらぼうに高いが、先進国同士の比較では、食糧品を筆頭に総じて日本のほうが物価が高い)
これは、対外的通貨価値が輸出入の主要対象品目になっている財の“労働価値”によって規定されていることの反映である。
発展途上国は低賃金だと言われているが、生活必需品が安いので生活は維持できる。日本ほどの物質的豊かさではないが、職に就いている多くの人はそこそこの生活ができる。しかし、日本製のパソコンや自動車を買おうとすると、とんでもない価格でなかなか手が出ない。航空運賃もとてつもなく高いものに感じるが、先進国に旅行でもしようものなら、その物価の高さに驚愕することになる。
一大農業国でもある米国は農産物の輸出拡大をはかっているが、日本など少数の国を除けば、食糧という生活必需品のなかでももっとも重要度が高い財は、極力国内で賄おうと考えている。これは、基礎的食糧は、輸出入の対象品目としてそれほど拡大されないということであり、その生産性が対外的通貨価値を規定しにくいということでもある。
(発展途上国は、インドネシアのように、このような対外的通貨価値の秘密を知っていたわけということではないだろうが、外国人の土地購入を規制していた。土地も生活必需(財)である。対外通貨価値が、土地の利用価値によって規定されるのではなく、近代産業の原材料や製品で規定されているなかで自由な土地取引を認めれば、近代産業の生産性が高いことで通貨価値が高くなっている国の人たちが自国の土地を“安く”買い漁ることを認めることになる。インドネシア人向けの事業であれば、土地を安く買ったからといって利益が得られると言うわけではないが、リゾートホテルなどやってくる外国人を相手にした事業を行うのなら、大きなメリットである。バリ島のホテル料金は、“法外”と言ってもいいものである。実態がわからない人は、自国であれば1泊30万円はとられると思われるホテルに5万円で泊まれることに喜ぶ。基準はどうしても自国の物価になるからだ。しかし、バリの人にとってみれば、5万円は年収に匹敵する価格である。97年の通貨危機を契機に行われたIMFの“強制”により、インドネシア政府も、外国人の土地取得規制を緩めた。土地取得をめぐる詐欺は減少するだろうが...)
日本円の相対的対外価値上昇は、日本の近代産業が対象通貨国との相対的な比較で生産性を上昇させていることの現れである。(国際商品である工業製品を単位時間の労働で生み出す量が外国よりも多いことの“褒美”が円高である)
それが、輸入物価を押し下げ、日本円の海外での購買力を高め、海外旅行ブームをもたらしたのである。
最近の円高傾向で、「円高」を危惧する人もいるが愚かなことである。
詳細は近いうちにアップする予定だが、自国通貨が高いということは、その国民の労働価値が高く評価されているということであり、その国民が生産した財を外国人に高く販売できるということであり、外国人が同じ労働で生産した財を安く買えるということである。(日本円を基準に説明すれば、平均日本人の1年の労働は500万円として評価されるのに、ある国の平均人は同じ労働をしても50万円にしか評価されていないということである。労働の内容ではなく、労働時間と考えて欲しい)
高度成長期以降のデータを見ればわかるように、「円高」の節目節目で、さらに高いレベルの貿易黒字に移行している。
輸出企業の“短期的”な「手取り日本円減少危機意識」に惑わされてはならない。
「円安」を求めるということは、自国民の労働価値を低下させるということであり、自国民が生産した財を安く売り払うということである。
米国との関係でいえば、1ドル=360円から始まり、1ドル=80円まで変動し、現在は1ドル=120円程度である。およそ50年で、日本円の通貨価値は、対ドルで3倍も上昇した。85年の「プラザ合意」では政治的動きで短期間に対ドル価値を40%も上昇させた。
しかし、それでも、70年頃を境に大きく転換した日米の競争力が、再び逆転することはなかったのである。
「プラザ合意」があった85年以降、貿易収支の黒字水準が10兆円前後で推移するようになったのである。それ以前は1兆円から2兆円で推移し、83年に5兆円、84年に8兆円に達した。(“ニクソンショック”があった71年以降も、千億円台から兆円台へと、それまでよりも1桁多い貿易黒字にステップアップした)
日本経済の80年代以降の“成長”(利潤)は、輸出(外部国民経済からの“貨幣移転”)を源泉にすることができるになった。
86年から始まった「バブル形成」は、輸出で急増した外部国民経済からの“貨幣移転”をうまく利用できずに、不動産や株式に向けさせてしまった“咎”だとも言える。
そして、「バブル崩壊」によって、外部国民経済から移転してきた貨幣の一部が、日本から外に移転してしまった。これが、日本経済の長期大不況の一因でもある。
(それ以上の悲喜劇は、米国債などの米国証券投資による流出だが...)
これを、“金融資本的収穫”と“産業資本的収穫”のせめぎ合いと言うこともできる。
個別経済主体の利潤は、国内外を問わず別の経済主体からの“貨幣移転”であり、国民経済レベルでいえば、外国(外部国民経済)からの“貨幣移転”によって実現されるものである。
(日本とは逆に、貨幣流出の国民経済が長期的にどうなるかは、ラテンアメリカ諸国を見ればほぼわかる)
次回からは、本当に、もっと現実的な「世界経済のゆくえ」に入っていきたい。
世界最大の対外債務国家が世界最高の繁栄を謳歌するという“経済的神秘”を見せてくれた米国、10年を超える長期大不況に喘ぎさらに「デフレ不況」を悪化させようとしている日本、日本と並んで「世界の工場」となり“経済成長第一主義”を掲げている中国、通貨統合を遂げさらにその地域を拡大しているEU、これらの国々(経済圏)のゆくえを考えながら、それらの連関的経済活動で変動して世界経済のゆくえを考えてみたい。