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(回答先: 日本民族の特性 投稿者 たこです 日時 2002 年 11 月 14 日 08:27:14)
みなさんどうもです。
どうも私のような無教養者が到達できる限界に近づいて来た
ような気がしますが、あっしらさんにも御参画頂けて助かります。
たこさんの書き込みも、主張こそ違えとても誠実で、考えを深める上でとても参考になります。
さて、ちょっと要素が多くなってきたようなので、今までの経過をざっとまとめてみるべきではないかと思います。
間違っている点はどんどんご指摘いただければ助かります。
。
○するめいかとあっしらさんが指摘する点
・天皇は少なくとも名目上は責任を負うべき敗軍の将で裁かれるべき存在
・戦没者を侮辱するかのような無責任な転向も許しがたい
・そういうものを許す土壌が、今の国家の危機と直結している
・統治によって得た理性には自主性が欠けており機能が信頼できない
・つまり戦後政治を進歩と呼ぶのは軽率
こうして見るとちょっと原理主義的ですね(笑)
○たこさんが指摘する点
・天皇はもはや国民を結束させる神などではなくなった、
帝国の消滅とアメリカの統治をもって、それが初めて可能になった
・犠牲者を無視するわけではないが、占領政策から得た国民の理性は
確かなものだし、天皇を裁く意味など無いしもう遅い
・連帯責任を優先して意識し、集団の失敗を水に流すのは美徳であり
日本人独自のもので、そこから得るものは少なくない
・天皇を断罪すれば日本は共産化したはずだ
・日本的手法にはどうしても自主性が欠如するので、新路線への転換には
強力なリーダーが必要だ
こちらは実利主義といった感じでしょうか?
要するに極限まで単純化すると、
○大東亜戦争は原理主義の敗北
○高度経済成長の暴走と失速、歯止めの利かない倫理荒廃と社会の混沌化は実利主義の敗北
つまり、
戦前はもっと水濁併せ呑む柔軟さが必要だった
戦後はもっと物の道理を通す強靭さが必要だ
☆結局どちらも肩手落ちなのでうまく行かない
こんな感じでしょうか?
○以下は独り言みたいなもんですが・・・
だから私なりに思うのは、敗北したにせよ命懸けで貫いた日本なりの原理は
放り投げて踏み付けて忘れてそれで良しとするべきものではなかったと思うんです。
アジア太平洋の各地に置き去りにしてきた同胞の骸と同じで、
どれだけ何を費やそうとも、一度取り戻して、感謝と敬意をもって葬るべきなんです。
日本人が気概と自尊心と人間性を持つためには絶対に不可避なはずのそれを
どういうわけか怠っている事の重大性をもっと知るべきだと思います。
この点では、裕仁天皇などは(天皇としては)ご自身で敗北を認め、
天皇そのものの価値とともにお隠れになったも同然の選択を
なさったので深く追求するのもあまり意味が無いかもと思ったりします。
残念な話です。