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(回答先: 「あっしら」考+γ( こちらが“正”です) 投稿者 如往 日時 2002 年 11 月 06 日 02:50:29)
如往さん、こんばんわ。
ボードの破壊騒動があったこともありレスが遅くなりました。
マルクス的理念を掲げて政治権力を奪取しながら「国家資本主義」経済構造しか構築できなかったソ連を考えるとき、「生産諸手段の共有と個人的領有」という仕組みの現実化が持つ重みを取り上げざるを得ません。
(「個人的所有」よりも「個人的領有」という言葉のほうが、所有概念との識別も明瞭なので好んでいます)
約めれば、「類(共同体)的個人領有」と言えます。
生存及び法的観念として類性が現実化されていながら、活動力の対象化(自己実現と言ってもいいでしょう)の個人性も現実のものとなる社会関係状況です。
自己の共同体性(他者依存関係性)を自覚しながら、自己の欲求を実現していく個人ということになります。
共同体性と個人性の有機的関係性が理解できていないことが、共産主義国家でマスゲームやパレードなどの集団活動が“集団利益”の体現であるかのように尊重されている価値観的基礎ではないかと考えています。(“集団利益”を体感で染み込ませるという目的もあるのでしょうが...)
そのような意味で、如往さんの問題意識である「「共有」については日本人に比較的受け容れ易い概念でしょうが、「個人的所有」が自立を意味することの認識を如何に涵養すべきか、歴史的にも決定版と称せる術が見当たらずしかし忌避し難い課題であると思います」には強い共感を覚えます。
この問題は、国家や支配者が上からどうのということでは解決できないものですから、他者との関係性のなかで諸個人が自分自身で解決するしかありませんが、家族的農地所有が圧倒的な少数派になった現在では、そのような意識の“日常化”はそれほど難しいものではないと考えています。
生産諸手段の個人的配分は、物理的なものではなく論理的(法的)なもので済むと考えています。
その一方で、大規模工業制は、物理的に細分化されると予測しています。
生産性を考慮する必要はなくなるのですから、活動力の対象化の個人性を現実化するためにも、厖大なエネルギーのムダである輸送活動を減少させるためにも、生産設備の地域化が求められると考えています。(活動力の対象化の個人性は遠隔地でも情報技術でカバーできますが)
現状の問題だけではなく将来の方向性もたたき台として提示したいと考えていますが、ご存じの通りの情勢ですから、現実に追われているというのが実情です。
それを言い訳にして、簡単な説明にとどめさせていただきます。
※ なお、「歴史学研究会」の研究活動についてはまったく知りません。
左翼関連の書籍・論文はほとんど読んでいないというのが現状です。マルクス以外ごく限られた人のものしか読む価値はないのではと思っています。
さすがに、近代主義に立脚した書籍・論文は、玉石混淆ながら、現実や歴史的過去を知るために読む価値があるもの数多くあります。
左翼関連?は如往さんの投稿が刺激的でそそられるものなので、頻繁にお越しいただくよう願っています。