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(回答先: 自由貿易主義批判の向こう側には何があるか。 投稿者 せいがく 日時 2002 年 10 月 27 日 07:21:33)
せいがくさん、お久しぶりです。
レスありがとうございます。
「自由貿易主義」や「比較優位」を現在に至るまで俎上に乗せなかったのは、自由貿易そのものがそれほど重要な主張として意味をもっていない(もたないようになる)と考えているからです。
(それでありながら、「比較優位」批判を書いたのは、そのような理論を真に受けているレベルの経済学者が現実を分析したり政策を提案している恐ろしさに警鐘をならすためです)
そのように考える根拠は、
● 元々財の輸出は手段であって、目的は、通貨的“富”をできるだけ効率よく増大させることだから、他にもっといい手段があるのならそれにこだわることはない。
● 日本・中国・韓国などが産業主義国民経済として成功を収め、「自由貿易」は世界経済支配層にとって通貨的“富”の増大手段として魅力を失っている。
(現段階で「自由貿易」が現実化すると、もっとも有利なのは日本経済です)
● 「自由貿易主義」や「保護貿易主義」は国民経済的視点で意味のある考え方であり、世界をトータルに経済支配層の権益にするというグローバリズムの考え方とは異質のものである。
といったものです。
>しかし、これらの事例は世界が障壁のないグローバル・シングル・マーケットに向か
>うにあたっての単なるプロセスの一部として見ることも可能なのではないか。つま
>り、発展の遅れている国にゴルフで言うハンディ・キャップを与えられたようなもの
>なのではないか。事実、それなりの経済的プレゼンスを高めた国は戦後の日本でも、
>今の中国でも様々な自由化を求められる運命にある。国家主権を行使し、その国際的
>要請を断ることは可能だが、その結果、それに見合う又はそれよりも格段に大きな果
>実を失うことになる。
“自由化”の標的が何なのかが問題だと思っています。
経済発展の原動力として外資を大々的に迎え入れ、食糧輸入国になる中国に求める“自由化”は、金融・サービス活動に絞られています。
日本に対して実質的に求める自由化は、農産物を除いてないという状況ですから、産業・金融・サービスをいかにして手中に収めるかということになります。
「国家主権を行使し、その国際的要請を断ることは可能だが、その結果、それに見合う又はそれよりも格段に大きな果実を失うことになる」というご指摘ですが、誤った“要請受け入れ”を行えば、日本も中国も、国民経済という性格を喪失し、世界経済支配層の利益に直接的に奉仕する経済社会になっていくと考えています。
>つまりは、アメリカというトップ・ランナーがいて、(幾つかの重大な例外はあるも
>のの)自由貿易主義を理想として世界経済秩序というものを形成している。各国はそ
>れぞれの成長進度と能力に応じて今よりも大きな果実を得るためにこれに参加しよう
>としている。遅れた国々が保護主義を取るのは、競争条件をより有利にするための便
>法に過ぎず、まだ私の力はこの程度ですから大目に見て下さい、ということなのでは
>ないか。この意味で、自由貿易主義理論をいかに批判しても有効打足り得ないのでは
>ないか(皆、できればグローバル・マーケットに打ち出してゆきたい)。
近代国民経済を発展させるためには、外部諸国民経済から通貨的“富”を得なければなりません。
そのために、財の生産で国際競争力が高い国家は「自由貿易」を標榜したり押しつけ、財の生産でそこそこの国際競争力で軍事力もそこそこの国家は保護貿易的政策を採りながら自国製品を独占的に販売できる市場を確保しようとし、遅れた国家は、保護貿易的政策を採りながら外資を誘致しその輸出力を国内発展の梃子にしようとします。
(国際基軸通貨を自国通貨としている米国経済は特異な手法が採れます)
どれも共通しているのは、自国からの通貨的“富”の流出を抑えながら、外部国民経済からの通貨的“富”の流入を増加させようというものです。
>このような観点から見ると、およそ複雑過ぎる経済社会というものを理論で説明し尽
>くすのは無理があり、貿易問題もリカード経済学の問題というよりは国際政治学の問
>題なのではなかろうか、と考える次第です。そして、現在のグローバル・マーケット
>を前提とした(それぞれのハンディ・キャップを前提とした)諸国間の競合状況をひと
>まずは認めざるを得ないのではないか、と考えるものです。
「複雑過ぎる経済社会」を論理的に抽象して、それが内包している本質的な法則性を示すのが経済学の役割だと思っています。
貿易を含む現実的な国際経済問題は国際政治のテーマとなるものですが、国家が現在突き付けられている国際経済問題についてどう判断するのが自国国民経済にとって有利になるのかは、経済論理(経済学)に基づかなければならないと考えています。
世界経済支配層が志向しているのは、「自由貿易」ではなく、世界レベルで金融活動を手中に収めることであり、これまで国家が培ってきた公共財(企業)を手に入れることであり、有力なグローバル企業を支配することだと思っています。