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(回答先: 【経済学理論の虚妄】 「比較優位」というリカードの“詐欺的理論”が今なお生き延びている不可思議 − 「自由貿易主義」は「保護貿易主義」である − 投稿者 あっしら 日時 2002 年 10 月 26 日 21:05:48)
あっしらさん、こんにちは。
ここに展開された「自由貿易主義」批判は当っている点が多いのだと素人ながらに感じます。リカードの、あまりにも単純化した経済モデルにより、捨象された多くの問題に焦点を当てつつ、その現実性に疑問を投げかけ、ヘクシャー=オリーンの定理も非現実的なほどに限定された条件下でしか成立しないことを指摘した点は重要だと思います。
その上で、今日的なテーマとしてこの問題をとらえるに当り、それでは自由貿易主義に代わり、如何なる貿易体制、世界経済システムが望ましいのか、という遠大な論点が浮かび上がってきます。
そこで翻って私など浅学な者はこう考えます。
確かにリカードの主張はいつでもどの国にでも当てはまる類の理論ではないだろう。少なくとも19世紀後半のドイツの隆盛、初期ソ連の経済運営の成功、戦後の日本の復興など歴史的事例を見ても、リカード派の主張する方法以外の成功の方法があったことは明らかである。
しかし、これらの事例は世界が障壁のないグローバル・シングル・マーケットに向かうにあたっての単なるプロセスの一部として見ることも可能なのではないか。つまり、発展の遅れている国にゴルフで言うハンディ・キャップを与えられたようなものなのではないか。事実、それなりの経済的プレゼンスを高めた国は戦後の日本でも、今の中国でも様々な自由化を求められる運命にある。国家主権を行使し、その国際的要請を断ることは可能だが、その結果、それに見合う又はそれよりも格段に大きな果実を失うことになる。
つまりは、アメリカというトップ・ランナーがいて、(幾つかの重大な例外はあるものの)自由貿易主義を理想として世界経済秩序というものを形成している。各国はそれぞれの成長進度と能力に応じて今よりも大きな果実を得るためにこれに参加しようとしている。遅れた国々が保護主義を取るのは、競争条件をより有利にするための便法に過ぎず、まだ私の力はこの程度ですから大目に見て下さい、ということなのではないか。この意味で、自由貿易主義理論をいかに批判しても有効打足り得ないのではないか(皆、できればグローバル・マーケットに打ち出してゆきたい)。
このような観点から見ると、およそ複雑過ぎる経済社会というものを理論で説明し尽くすのは無理があり、貿易問題もリカード経済学の問題というよりは国際政治学の問題なのではなかろうか、と考える次第です。そして、現在のグローバル・マーケットを前提とした(それぞれのハンディ・キャップを前提とした)諸国間の競合状況をひとまずは認めざるを得ないのではないか、と考えるものです。