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(回答先: この場を借りて行司さん江 投稿者 エリア 日時 2002 年 10 月 17 日 18:18:41)
>だっておかしいと思いませんか。禁欲、勤労に努めようと努めまいと
>救われるものは決まっており、自分の努力は一切関係ないのです。
>これじゃあ生活を律するインセンティブになり得ません。
来世のことは考えす、現世での成功を考えよということなのでしょう。
それまでローマ・カトリックの教えでは、貧困は美徳であり、金儲けは罪深いこと
と見なされてきたのですから。
カルバン主義は、各人は司祭を介さず直接自分の創造者に対して釈明すべき立場に
ある、というのが基本的な信条でした。このような理想によって、自分の運命はひ
たすら自分で切り開き、自分の労働の報いは専ら自分が刈り取るという気質が養わ
れました。
ですが、「予定説」は確かにうんざりする教理ですね。
宗教改革は、ヨーロッパを封建的な教会支配から自由にし、資本主義の推進にも
貢献したかもしれません。とはいえ宗教的には、どんな解放や救いをもたらした
のかなと考えてしまいます。
こんばんは、エリアさん。隣人でした。