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(回答先: 「原罪論」はパウロやキリスト教神学者の錯誤の産物!? 投稿者 あっしら 日時 2002 年 10 月 17 日 15:21:08)
あっしらさんの張りつけられたスレはなぜかうまく見られませんでした。
そこでちょっと外れるかも知れませんが、下の方で行司さんの投稿にあったマックスウエーバーについて長年疑問に思ったことについてどなたか教えてください。
行司さんによれば、カルヴァン派の考えでは救われる者とそうでない者とが予め神によって決められているが、人間がそれを知ることはできない。人間はその不安を解消するためにキリスト教で勧められている禁欲、勤労につとめ、それが資本主義の原始蓄積になった、これがマックス・ウエーバーの議論の概要であると。
私も上のように理解し、ずっと疑問に思ってきたのです。だっておかしいと思いませんか。禁欲、勤労に努めようと努めまいと救われるものは決まっており、自分の努力は一切関係ないのです。これじゃあ生活を律するインセンティブになり得ません。放蕩と快楽の限りを尽くし、「どっちにしろオレの運命は決まっとるんや。」という方が人間らしい(笑)振る舞いと言えますまいか。
しおらしく禁欲に努めるというのは、何かやっぱりカルヴァンの理論上ご褒美みたいなものがあったんじゃないでしょうか。