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(回答先: 戦後精神と英霊への弔い 投稿者 書記長 日時 2002 年 10 月 10 日 17:05:00)
まず、国家間の戦争については理念と理念の衝突という側面
だけでなく社会と社会の衝突という側面もあります。
後者のレベルでの戦争を問題にするときは必ずしもその掲げ
ている理念を強く考慮する必要はないと思います。例えば、独
ソ戦の際ソ連は「母なるロシア」とか「偉大なるロシア民族」
という概念を前面に押し出して国民を鼓舞しましたが、それは
ソ連の打ち出す理念である「共産主義」とは別のものです。ソ
連崩壊後も、「赤軍」戦没者の「大祖国戦争の戦士の墓」はロ
シア国民に篤く祀られています。
つまり、「大日本帝国」の理念や国体とその戦争・戦死者を
分かちがたく結びつけて扱う必要は、少なくとも「戦死者の追悼」レベルでは必ずしもないと思います。
ああいう国家間戦争の戦死者は「祖国」という社会のために
戦ったわけですから、その社会かそれから生まれた社会に属す
る者が、自分たちの社会のために働らき犠牲になった戦士を祀
ることは自然なことだと思います。
そしてそうした意味合いで戦士を弔う場合は、「祖国のため
」みごと勇敢に義務を果たしたことになっているわけですから
、あまり「悲惨だ」とか「かわいそうだ」とかいう理不尽な力
の被害者とか騙され利用された被害者という扱いをしてはなら
ないのです。勇敢に祖国のために戦った誇りある勇者として扱
うべきです。
何をもって「オウム的」とするかはっきりさせないとあまり
意味のある話になりません。それがただ、理念や宗教を掲げる
団体を指すのなら、カトリックやアメリカやソ連もオウム的と
いうことになります。伝統やそれを基にした理念を掲げる場合
も指すのなら、あらゆる王政・帝政国家は立憲君主制国家も含
めて大日本帝国、ロシア帝国、ドイツ帝国などすべてオウムに
なります。
そうした中で人殺しをする国家・団体を特に指すというのな
ら、大勢の自国の人間にすら人体実験を行い、原爆・劣化ウラ
ン弾・枯葉剤を人間に使用してきたアメリカ合衆国は中共やソ
連と並んでもっともオウム的でしょう。
それ以上のことを言うならば、オウムはオウム、ナチスはナ
チス、ソ連はソ連、中共は中共、アメリカはアメリカ、大日本
帝国は大日本帝国というだけのことです。
>それまでの国際的いきさつがどうであれ、日本は特定の
民族に対する差別や迫害を政策として掲げたこともないこ
ともあわせて考慮すれば、上記の状況下での「対戦国の領
土に攻め込む」戦争は普通の戦争であって、政策として他
国への強引な侵略併合を行いユダヤ人やスラブ人を幽閉・
虐殺したナチスの戦争とは人道的観点からは性質が異なり
ます。
つまり、以上のことから当時の日本政府・軍部をナチス
と同類に扱うことはずさんな歴史認識に基づくあやまりな
のです。
以上のように私はすでに述べています。私はいかに当時の日
本が他の国々同様多くの問題点を抱えていたにせよ、それがゆ
えに当時の日本が存在すら許されない他国に滅ぼされてしかる
べき国家であったとは考えませんし、そのあと独自の進歩も発
展も他国のようにはできない国家であったとも思いません。
また、戦後の日本こそ非現実的なマインドコントロールや洗
脳を受けた国家だと思っています。国際的な平均的意識を「普
通」というのだったら、1930年代の日本人の精神のほうが
よほど現代世界においては普通だと思います。なぜそう判断す
るかは今までさんざんあちこちで述べてきたことなのでここで
繰り返すことは勘弁させてもらいます。
私は教育と洗脳、神話とカルトの間に境界線などなく、つき
つめて考えれば同じものだと思っていますが、現行OSソフト
・マック45(日本国憲法のこと)は非現実的で奴隷道徳的で
あるところに特徴があると思います。
>もうすでに述べたことですが、歴史的・国際的条件が全くこ
となる戦前と戦後の日本の優劣を比較することはできません。
ただ、アメリカの占領下で徴兵制のことを考えてすらこなかっ
た状況というのはよほど特殊な状況であって、戦後の日本はま
ともな独立国とは呼べません。だから(戦前の日本を含む)あ
らゆる独立国との比較ができないのです。本来徴兵制はなくて
当たり前のものではなく、国際環境の変化や国民の努力や工夫
によってなくすことができるのです。
少なくとも今までは、あらゆる国家は社会を構成し秩序を維
持し、他国の人間による権利侵害を防ぐため社会システムの構
成・機能の基準となる理念を必要としてきました。憲法にもそ
れの基となる理念が必要なのです。その理念が歴史的伝統やそ
れを解釈・発展させた思想であることはおかしくともなんとも
なく、むしろそうするべきなのです。他国の占領下で、他国の
できあいの理念をそのまま採用するほうがおかしいのです。