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(回答先: Re: 論陣を張るものは態度表明を求められる 投稿者 ジョン・スミス 日時 2002 年 10 月 08 日 09:16:43)
RES有難う御座います。
>益」が示すように、キリスト教ではマイナスのとされていた利得心や利己心を社会的にプラスの価値として
>大転換した人物です。スミスはこれを経済理論(理想的市場参加者の動機の措定として)に組み込んでおり
>、彼の道徳家としての著作の価値判断と矛盾するではないか、という指摘がよくなされています。
@まず疑問の一点ですが、キリスト教は「利得心や利己心」をマイナスと考えていたのでしょうか?
たしかに福音書には「地に富を蓄えてはならない。天国に富を蓄えなさい」とありますが、これは
その方が利益が多い、つまりは「利得心、利己心」に訴えていることにほかならないのではないで
しょうか?
A恐らく中世の宗教的な社会と近代の違いはここにあるのでしょうが、キリスト教(他の宗教も)来
世も含めた利益を考えるのに対し、近代の合理主義者は現世利益のみを考察するといった違いでは
ないでしょうか。
B神が来世の利益を約束できないとしたら、そもそも崇拝の対象になるかどうかはかなり疑問ですし
もし神でないとしたら何が道徳や秩序の担保になるのかと。ここに「社会契約」や「観客」「歴史発
展の法則」への考察といったものがあったのかもしれません。
C放蕩息子の例えのように、ある種の悪徳がむしろ救いへの原動力といった弁証法は、いかにもキリ
スト教的な発想のようにも思います。
ところでウエーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」をどう思われますか?