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(回答先: Re: 宗教に深入りしないという宗教 投稿者 アッバース 日時 2002 年 10 月 09 日 08:50:36)
アッバースさん、こんにちわ。
>宗教を信じる人にとっては信仰の違いが大変大きな壁となっています.人類永遠の課
>題となるのでしょうか,日本人にとっては既に時代遅れですがねえ…
西欧キリスト教世界では、近代化のなかで信仰が“心の問題”に変容していき、フランスなどでは無神論者が半分近くを占めるようになっています。
今次の「対イスラム戦争」は、今を生きているムスリムにとってイスラムとは何か、西欧的近代価値観とは何か、アジア的価値観の現代的意義は何かなどを世界中の人々に思念させるとてつもない「価値観=宗教戦争」につながっていくと予測しています。
>><イランのイスラム共和制は、シーア派にとっては好ましい<ものでしょうが、ス
>>ンニ派とは肌が合わないものです。<(宗教指導者が政治指導者という構造はシー
>>ア派的です)
>宗教指導者が政治指導者という構造はイスラムの教えであるので、シーア派的とはい
>えないのでは.逆にいうと,シーア派はイスラムの教えに忠実といえるのでしょう
>か.シーア派は一般に過激というイメージが定着していますが,なぜでしょう,スンニ
>の宣伝文句でしょうか,それとも欧米の宣伝文句でしょうか,どう過激なのか,本当に
>過激なのか…湾岸戦争当時出版された吉村作治さんの本(題名忘れました)に、シー
>ア派はもともと正統派だったのだと書いてあった気がします.
>イメージ的にも,シーアはより敬虔といった感がありますが…
ムハンマドの娘婿であるアリ、そして、その息子であるフセインを正当カリフと考え、政教一致を宗とするのがシーア派だと理解していますが、フセインを殺したバクッダド王朝(名前は失念)が政治的権力を握り、政治的支配者と宗教指導者の分離構造を創り上げ、その構造のなかで“多数派”のムスリムが生活するようになりました。
正当という視点で言えば、シーア派のほうが政党的なのかも知れませんが、少数派であるというのも現実です。
スーフィズムやアサシン派に比べれば、シーア派は至極穏健な宗派だと考えています。
>話は別ですが最近アメリカがレバノンのシーア派組織をプッシュし始めましたね.イ
>ランへの間接的圧力でしょうか.
イランというよりサウジアラビアへの圧力だと考えています。
>サウジのワハブは原理主義の主流となった教えですから,イスラム復古派は現存して
>いるといえないでしょうか.
サウジも政治的支配権と宗教指導権の分離というスンニ派的構造です。
サウド王家が、自己の存続のために宗教界を庇護しながら、米英の庇護のもと経済権益を得ている“歪な”国家形態にあると見ています。
右手にコーラン、左手に通貨的“富”というバランスで王家の権力を維持しているのが、サウジアラビアです。
ウサマ・ビンラディン氏を“裏のない”イスラム復古派だとすれば、「湾岸戦争」を契機に王家のそのような眉唾を洞察し、反王家運動を始めたということでしょう。
「
<しかし、米英が、アラブ社会主義=イラク・イスラム王制<=サウジアラビア・イスラム共和制=イランを倒そうと軍<事行動を起こすことで、“最後の拠り所”としてイスラム<復古派が急速に勢力を拡大することになると思っていま<す。
この文では最後のよりどころがサウジもイランもいっしょですが
<スンニ派・シーア派でそれぞれ“拠り所”が異なります<<が、アラブ社会主義・イスラム王制・イスラム共和制が瓦<解することで、イスラム本来の姿である非国家組織が、西<欧への対抗力として浮上してくるはずです。
ではスンニとシーアのよりどころが違うとおっしゃっておりますが,これはどういうことでしょうか.スンニもシーアも結局は同じコーランに帰しますから,最後のよりどころはコーラン,同じ終帰点では?
」
当初はスンニ派とシーア派が独自的に結集するかたちになると予測しています。
それらの反英米闘争を通じて、イスラムという共通基盤に収斂していくのではと見ています。