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(回答先: 平等と政治的社会 投稿者 あっしら 日時 2002 年 9 月 30 日 23:59:20)
/あっしらさん、今日は
”平等”をもう少し定義しないといけないのかもしれません。たとえば「法の基の平等」というとき
の平等は”例外が無い”という意味ですね。まあ、法はともかくとして、万民は「万有引力の基に平
等」とは言えるでしょう。マルクス主義であれば”歴史発展の法則の基に平等”といった言い方もで
きるのかもしれません(聞いたことはないが)。他方で”平等”が現実の社会問題となる場合は”ジェ
ラシー”を伴うかどうか、ということでしょう。私はイチローが年俸10億円貰っても、全く”ジェラ
シー”を感じません。私はイチローになれるわけもないし、野球などやってみようとも思わないから
です。これは想像してみるしかありませんが、多分シュードラはバラモンに”ジェラシー”を感じる
ることはなかったのではないでしょうか。ところが、同じ仕事をしている同僚の給料が1000円高けれ
ばこれは殺意を感じる。
> もちろんより理念的な共産主義国家のほうがより政治化しやすい体質であると思っています。
勿論、現実的な社会はアナーキーよりはどんな形であれ秩序を選ぶでしょう。ファシズムが生まれた
のもこうした背景でしょう。まして文革期の中国はソ連との国境紛争、親ソ政権によるベトナムの統
一といった背景があったわけですから、このリアクションとして(革命直後のソ連と同じように)「富
国強兵路線」と「革命の輸出路線」が対立したのでしょう。ところがこの文革の輸出版、クメールル
ージュがとんでもない失態をやらかして、もはや勝負あったという状況ではないでしょうか。
共産主義国家が政治化する理由は権力を奪取するか権力に取り入るかしなければ、何も得られないと
いった状況に陥ってしまうからではないでしょうか?。ですから安易に共産というのはどうも・・
無論、私がこうした結論に至ったのはヤマギシ会(昔のことですが)の体験からです。
あまり分析的ではないのですが資料は出ています。
http://www.lcv.ne.jp/~shtakeda/
http://www.koufukukai.com/index.html