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(回答先: チーズは誰が作るのか? 投稿者 /ユー 日時 2002 年 9 月 28 日 10:49:44)
/ユーさん、こんばんわ。
まず、下に書き込んだ「所有権と占有権の違いそして競争原理」を参照していただければ幸いです。
>資本主義の初期には蓄積された資本により、労働者の資本装備率があがり生産性が
>飛躍的に向上するが、ある時期を境に、独占と労働者の窮乏化が起こる。これは、
>資本利益率を最大化しようとする資本そのものの性質により、生産の減少がおこる
>ため。この限界を超えて生産力を高めるためには、資本の無政府主義を改め、公的
>所有とする以外にない、というのがマルクス主義では?(修正資本主義によって相
>当程度克服)
利潤率逓減は、マルクスが資本制経済の行き詰まりを説いた一つの論拠だと思っています。
マルクス−レーニン−スターリン主義的には、生産力の発展が生産関係とのあいだで矛盾に陥り、それを止揚するためには生産手段の公的所有を行う共産主義革命が歴史の必然だという主張になると思われます。
「修正資本主義」は、生存費的な賃金を歴史的生活費的賃金にシフトさせたこと、赤字財政をいとわず国家による有効需要拡大の“正当性”を理論付けたことで“延命効果”をもたらしました。
資本主義では、国際取引がなければ、国民経済に供給−未資本化利潤の値に相当する需要不足が生じることになります。逆に言えば、国際取引がプラスマイナス0であれば、未資本化利潤を減らして賃金を引き上げなければ恒常的な需要不足に苛まれます。
戦時及び戦後の資本主義で顕著なように、赤字財政支出が非資本化利潤による需要不足を補うことでここまでやってきましたが、日本に限らず先進諸国はそのようなかたちで需要不足を補うことができなくなっています。
(70年以降の日本経済の原動力は、世界最大の貿易黒字を誇りながら、赤字財政支出を拡大してきたことです。このような国家丸抱えの経済成長第一主義が、バブルの要因であり、現在の苦境の要因でもあります)
資本主義につきまとう隘路の解消を「修正資本主義」的手法で解決できなくなったことで、これから「世界同時デフレ不況」に移行していきます。
>マルクスは明確に分業と賃労働には敵意を持っていますよ。その結果生じる市場に
>も。共産党宣言、ちょっと感動的な文章。
オリジナルの該当部分は、マルクスの言説を云々しているのではなく、ソ連を代表とする「共産主義国家」の認識を説明したものです。
>ブルジョワ革命は直接的には王族、貴族のもつ徴税権に対する闘争だったが、共産主
>義は富そのものの収奪をめざし、実現するものだった。こうした政治化の段階で@やA
>の文化がすっかり破壊しつくされてしまったことは容易に想像できること。
>共産主義の破綻は、それ自身の内包する、政治性、収奪性にこそ求められると私は考
>えていますが、いかがでしょうか。
ブルジョワ革命が王権が有する恣意的徴税権への闘争であった側面も認めますが、それは貴族・騎士階層も行ったことであり、本質的には、法の適用の平等・営業活動の自由・資産の私的所有保証を求める闘争だったと考えています。
(フランス革命は、ブルジョワ革命からプロレタリア革命までの幅を持った闘争だと考えています。共産主義までの近代思想が全て出揃い、欧州諸国にも多大な影響を与えた興味深い革命です)
共産主義が富そのものの収奪をめざし実現するものだったという説明は、私的所有資産の収奪を指すものであればその通りでしょう。
「共産主義国家」の破綻要因は、オリジナルに書いた内容だと考えています。
付け加えれば、共産主義思想の絶対的善性を信じ込んでいたことと戦時体制が重なり合うことで、反「共産主義国家」思想の人々を頭がおかしな精神障害者とまで考えるほどの排除政策を採ったことも破綻要因の一つでしょう。(日本の左翼も、自分たちはこれだけ人々のために戦っているのに愚かな人々はそれが理解できないと考えている節があります)
政治性と収奪性を取り上げるのなら、資本主義の破綻要因だと言ったほうがふさわしいと思われます。
(私的経済主体の利益のために一般国民までも戦争にかりだす政治性、私的経済主体の資本増殖のために借り入れた政府債務の返済のために貧乏人にも重税(付加価値税)を課す政治性、失業者が溢れているのに資本化しない通貨を抱え込んでいる収奪性など。ソ連も、愚かなことにアフガニスタンに介入して政治による破綻要因をつくりましたが...)
「@商品を売って利益を得る」と「Aサービスを提供し代金を得る」というのは異質のものだと考えています。
「@商品を売って利益を得る」というものを純粋商業活動(仕入れた商品を販売すること)として考えると、それは産業資本の商行為を代理するものであり、産業資本から商業資本への利益の分配です。(商業活動そのものは“価値”を生まない活動であるという意味です)
「Aサービスを提供し代金を得る」のは、「共産主義国家」でも、科学者・技術者・教師・医者・芸能人などが優遇されていたことでもわかるように否定されていたわけではありません。(科学者や技術者が軍事優先で動員され、教師がプロパガンダ的側面を持ち、芸能や出版活動が官許であったことは否定しませんが...)