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(回答先: 「共産主義国家」の破綻原因 − 所有形態や計画経済にあらず − 投稿者 あっしら 日時 2002 年 9 月 28 日 00:02:53)
あっしらさん今日は。
共産主義を考える場合に踏まえておきたい議論があります。
まず、富(財、サービス)は誰かが生産しなければ存在しない、という自明です。
一方で富を得る方法は諸々あります。
@商品を売って利益を得る
Aサービスを提供し代金を得る
B権力を得て税を徴収する。
C他国を侵略し収奪をはたらく
D資金を貸し出し金利を得る
E強盗、身代金誘拐などの犯罪によって略奪する
無論、全体的な福利の向上に資するものは@A、場合によってはBDと言えるで
しょうが、これは誰かが指導したからそうなる、といった性質のものではなくて、
文化として、倫理、モラルとして広範なコンセンサスを得て初めて機能する性質
のものだと思います。この担い手こそ産業資本家だったのではないでしょうか。
たとえばローバート・オーエン(松下幸之助なども)は、支配下の労働者の福利
向上に熱心だった。単純に帳簿上で考えれば労働者は絞れば絞るほど儲かるはず
ですが、まさに現場の経験から事実はその逆であることを知っていた。さらに、
労働者が豊かになれば、こんどはその労働者を顧客としてモノが売れる。つまり
こういった産業資本家は”モノを売って儲ける”以外に儲け方を知らない。だか
らこそ生産力向上には投資を惜しまなかった。
>● 自国の経済制度が資本主義であることの無理解
> 資本の増殖を通じて人々の経済条件が向上していくという「国民経済の論理」に規定されていることを認識
>できず、“搾取”がなくなれば経済条件が改善されるとノーテンキに考えた。
資本主義の初期には蓄積された資本により、労働者の資本装備率があがり生産性が
飛躍的に向上するが、ある時期を境に、独占と労働者の窮乏化が起こる。これは、
資本利益率を最大化しようとする資本そのものの性質により、生産の減少がおこる
ため。この限界を超えて生産力を高めるためには、資本の無政府主義を改め、公的
所有とする以外にない、というのがマルクス主義では?(修正資本主義によって相
当程度克服)
>最初に書いたように、「共産主義国家」も、計画経済だと言われるが、社会的分業と通貨を媒介とした交換と
>いう市場原理を基礎とした市場経済システムである。
マルクスは明確に分業と賃労働には敵意を持っていますよ。その結果生じる市場にも。
共産党宣言、ちょっと感動的な文章。
>ブルジョワ階級は、歴史においてきわめて革命的な役割を演じた。
>ブルジョワ階級は、支配を握るに至ったところでは、封建的な家父長的な、牧歌的な
>いっさいの関係を破壊した。彼らは、人間の血の繋がったその長上者に結び付けてい
>た色とりどりの封建的絆を容赦なく切断し、人間と人間の間に、剥き出しの利害以外
>の、つめたい「現金感情」以外のどんな絆も残さなかった。
>彼らは、信心深い陶酔、騎士の感激、町人の哀愁といった清らかな感情を、氷のよう
>に冷たい利己的な打算の水なかに溺死させた。
>彼らは人間の値打ちを交換価値に変えてしまい、お墨つきで許されて立派に自分のも
>のとなっている無数の自由を、ただ一つの、良心を持たない商業の自由と取り替えて
>しまった。・・略
>ブルジョワ階級は、これまで尊敬すべきものとされ、信心深いおそれを持って眺めら
>れていたすべての職業からその後光を剥ぎ取った。彼らは医者を、法律家を、僧侶を
>詩人を、学者を、自分たちのお雇いの賃金労働者に変えた。
>ブルジョワ階級は、家族関係からその感動的な感傷のベールを取り去って、それを純
>粋な金銭関係に変えてしまった・・・
ブルジョワ革命は直接的には王族、貴族のもつ徴税権に対する闘争だったが、共産主
義は富そのものの収奪をめざし、実現するものだった。こうした政治化の段階で@やA
の文化がすっかり破壊しつくされてしまったことは容易に想像できること。
共産主義の破綻は、それ自身の内包する、政治性、収奪性にこそ求められると私は考え
ていますが、いかがでしょうか。