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(回答先: 日本の朝鮮半島政策 − 対アジア戦略としての朝鮮半島 − 投稿者 あっしら 日時 2002 年 9 月 24 日 16:27:58)
あっしらさん、こんにちは。
常日頃から、多くのあっしら派に紛れて氏のStudiesの開陳を楽しみにしている一人です。
実は、氏の一聯の言説に通底するもの、あるいは源泉はなんだろうと思料していました。そんな詮索よりも論には論で、すなわち立論を以って対峙すべきとカウンター・パンチが飛んできそうですが。ディティールはまたの機会にさせていただくとして、今回は私の想い込みについて述べさせていただきたく思います。
「貨幣」に関する内容に触れるにつけ、そのたびに古い記憶を取り戻していました。それは、下に引用したカール・マルクス(城塚登・田中吉六訳):『経済学・哲学草稿』(岩波文庫)の一節です。ご記憶には遠いことでしょうが、ついては他の読者の興味にも資するべく過去の冊子を紐解いてみました。
「人間を人間として、また世界にたいする人間の関係を人間的な関係として前提してみたまえ。そうすると、君は愛をただ愛とだけ、信頼をただ信頼とだけ、その他同様に交換できるのだ。君が芸術を楽しみたいと欲するなら、君は芸術的教養をつんだ人間でなければならない。君が他の人間に感化をおよぼしたいと欲するなら、君は実際に他の人間を励まし前進させるような態度で彼らに働きかける人間でなければならない。人間にたいする―また自然にたいする―君のあらゆる態度は、君の現実的な個性的な生命のある特定の発現、しかも君の意志の対象に相応しているその発現でなければならない。もし君が相手の愛を呼びおこすことなく愛するなら、すなわち、もし君の愛が愛として相手の愛を生みださなければ、もし君が愛しつつある人間として君の生命発現を通じて、自分を愛されている人間としないならば、そのとき君の愛は無力であり、一つの不幸である。」
― 第三草稿[四][貨幣]―
当時、この反語的ディスコースに触れたとき、自分達は何をしようとしているのか、今となっては大部分を青春の血に駆られたとしか云いようがない、しかしある種使命感のようなものを強く意識したと記憶しております。
自己疎外状況の根本的な解決を図るか、それとも最終的な決着は時代的解消論に委ねて当面の問題について戦術的に改善を図っていくのか。そうしたテーマに遭遇した一人、バートランド・ラッセルは、当初マルクス主義的世界観のヒューマニスティックな側面に共感を覚えかなり深い入りをしますが、その後裔達の振る舞いに幻滅しマルクス主義的世界観の構図をキリスト教の組成に擬えて訣別すると、後半生は自己疎外の元凶であるキリスト教的世界観を突くべく全知を傾注することになります。
あっしら氏が置かれている時代の状況とは随分違うでしょう、人それぞれに論理が鍛えられ感性が研ぎ澄まされているかの差異はあるかも知れません、けれども問題意識の発する源を辿ればそれほどの違いはないのではと推察されるのです。秀峰見えぬ稜線越えの艱難辛苦に絶えかね身体性の限界に直面し慄き、あるいは頽廃の魔力に魅せられ、しばしば人は思考停止してしまいます。それに抗うようなあっしら氏の奮闘は当世非常に貴重に思います。そして、醸し出される熱情に魘されながら氏の問題意識の方行を追尾してゆこうと考えている次第です。
ところで、[田中宇:小泉訪朝の背景]、[田中宇:イラク攻撃・イスラエルの大逆転]と題する、最近の日本の朝鮮半島政策に絡む景色を描写した田中宇氏のニュース解説について、あっしら氏の論評をうかがえれば幸いに存じます。恐らくご存知であろうと思いますが、因みにURLは http://tanakanews.com/ です。尚、あっしら氏が田中宇氏のニュース解説に関して今までにどのように評価しているか存じ上げぬと断りつつ、宜しくお願いいたします。