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(回答先: 偉大なる書記長 投稿者 書記長 日時 2002 年 9 月 24 日 18:29:51)
書記長さん、こんにちは。
横レスで失礼します。
先ず、「匿名希望」氏の共産主義にたいする批判は、少なからず根底において氏が西部邁の落し児ないし申し子の部分がそうさせているのだと想像しています。しかしながら、日本という国が成立以来体質的に頗る共産主義的なものを包蔵して来たことを先刻承知の上で、操作性の範囲に収まる限りにおいてつまりリアル・ポリティックスの範疇でそうした特性を活用できるとの認識は官僚間では共通の諒解事項でありましょう。
「匿名希望」氏の肩を持つというのではありませんが、アングロサクソン・アメリカンの流儀に拮抗すべくもしくは世界に通用するような普遍的な日本的流儀を打ち立て押し出そうとするのは愚行との指摘を、甘んじて引き受けねばならぬと思います。今はその流儀を日本人の持ち前の理解力で吸収して、流儀は流儀で反証することのほうに利があると思われるのです。歴史的な新しさも関係するのでしょう、彼等が文化らしきものを何も築いて来てはいないように、アングロサクソン・アメリカンの流儀ほど基盤の不確かなものはないですが、反面それ故に言葉や理念にたいする信頼と執着心は強固なのだと思います。何もアングロサクソン・アメリカンを意識しての対抗軸の設営といった意味ではなく、以前、書記長氏に問いかけましたように、私自身も日本的流儀の擁立のために日本人の何たるかを探究したのですが、これぞと云えるものに突き当たっていません。やはり日本人の何たるかは危機迫る状況において湧出する防衛意識に反映される情緒でしかないのかも知れません。そのために、普段から声高に叫ぶことの不具合を感じないわけにはゆかないのですが。
それにしても、単なる傭兵の習性の集積であるアングロサクソン・アメリカンの流儀が世界に幅を利かせようとしている現状には非常な腹立たしさを覚えます。本来は傭兵を飼い馴らしてこそ正常な状態なのですから。そして、傭兵の知恵が捉える範囲が如何ほどか、然したるものではないと私は踏んでいますが、当面は飼い馴らす時期が到来するまでは志ある人達の研鑚と成果を期待しつつ随伴していくのを容認する外はないでしょう。何よりも彼等傭兵の存立要件を構成するものに戦うべき敵の存在があり、その流儀(存在価値)の中核には敵の制圧があるのです。それを充分見据えて、かかる傭兵を飼い馴らし情勢に沿って使用していくを旨とすべきと考えます。
官僚の本懐とするところは何と云っても国家の継続なのです。それは官僚機構の存続と官僚自身の存続と同義ですが、私は国家運営に際しての官僚の機能が果たして来た経緯やその現状について罪より功のほうがより大きいと捉えている人間の一人です。強いて云えば時限的な官僚独裁体制、果たしてそれに民主主義的独裁もしくは自由主義的独裁の文言を被せることが適当かどうか判断がつき兼ねますが、大半が戦中戦後生まれの官僚出身の代議士で構成される政権、一度は試してみるべき価値があるのかも知れません。尤も、例えば間接的操作ながらも彼の傭兵の制御を成し遂げられるという確信と気概が今の官僚達にあることが大前提なのですが。しかしながら、何時の日にか文民統制が如何に有効に機能するものか世界にその範を示すことができるとしたら、その魁が日本であって欲しいと願わずにはいられません。