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(回答先: Re: 資本主義と民主主義が両立できるのか,という問題にも関わる非常に厄介で重要なご指摘だと思います。 投稿者 騙されて脳内ホルモン 日時 2002 年 9 月 18 日 20:49:57)
『言葉の定義上、パニックといえるかどうかは分かりませんが,基本的に資本主義の世界では,富裕層がメディアを通じて,情報の流通と操作を手掛けている,という理解が一般の人々の間でもっと警戒的に共有される必要があると思います。つまり,今,自分が持っている思考や感情は,自分が独自に持ったものなのか,持たされたものなのか,を突き放して観察する訓練が必要になると思われます。』
おっしゃることは全て共感します。ただ自分の思考や感情がどこまで独自に持ったものなのかということを自分で観察・認識するということはとても困難なことではないでしょうか?認識論に踏み込んでしまうような…
正直なところ、『資本主義と民主主義が両立できるか』と言う問題に関しては、深く考えたことがありませんでした。資本主義における競争原理のシステムが議会制民主主義の中に巧妙に取り込まれてしまっているからだと思います。
僕がなにか言うにはあまりにも問題が大きすぎて困ってしまうのですが、「民主主義」と僕らが言うとき、なにかいくつかの間違いを既に犯しているという「感じ」がするのです。
1.民主主義が「主権在民」と言われるように、自動的に「われわれが主体的に社会を運営するもの」という幻想があるが、民主主義であろうが、共産制であろうが、基本的には「統治」のシステムであることを忘れがちではないのか?
2.「統治されるもの」が「統治するもの」を投票で選ぶと言うこと、もっと言えば自分の生殺与奪の権利を持つものを自分で選ぶということは。とてもパラドキシカルな行為ではないのか?
3.政治的な行動に関係する利害は非常に錯綜したモザイク状で、神の視点を持たない限り、政府やメディアが今何をやらかそうとしているかの判断はとても困難ではないのか?
4.3のような状況があるとき、さらに、かつての労組や軍部のようにある程度明確な利益を意識しそれを政策に反映させる組織がないとき、人は自ら望んで「劇場型」政治を現出させてしまうのではないか。
5.「劇場型」を望み、その勝者に大きな拍手を僕らが送るとき必ずその内部に「自分は無垢であり」「自分は無実であり」「そして与えられるべきものを与えられていない」という不安が張り付いているように思えてなりません。
お返事になってるかどうかもひとつ不安ですが…