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(回答先: 政治家の仕事とは 投稿者 書記長 日時 2002 年 8 月 15 日 21:15:09)
>資本主義社会は個人は自分とせいぜいその家族
>までの利益だけを追求して意思決定・活動をすることが前
>提された上で経済・社会システムが構成されているのです
。
>今の資本主義を経済原理とする利己的で卑劣な大衆社会
>ではそのような傾向を政治に取り入れていくことはやむを
>えないと思います。
政治家の任務についての話題のようですが、若干疑問をもちました。
かなり資本主義に関する曲解があると思います。
資本主義が広く知られるようになったのはマルクスの思想によるもので、
日本は自国文化体制の劣等感から並立する思想だろうが対立する思想だろうが、
海外の思想文化を際限なく吸収し折衷主義的方針を長い間とってきて
そこに含まれる真理についてはほとんど触れずに放置されてきたために
思想が形骸化して思想の最も重要なところが解らなくなってしまっている、
末梢の事柄と根幹の事柄を取り違えてしまっているのではないでしょうか。
アダムスミスもケインズもフリードマンも、資本主義に関してあのようなことは
一言も言ってません。
アダムスミスは資本主義社会において会社という組織形態が最も効率的に
平等に富を人々に分配できると言っていますし、ケインズは公害や老人福祉や失業者は
不経済要素だから利己的原理で経済活動を優先して問題を先送りしても良いなどと
全く言ってません。資本主義と利己主義を強引に融合和解させてしまったのは、
経済活動を営む中で生じた自己の利己的思想に正当性を持たせるがために
現在様々な不祥事を続発させている一部の会社経営者や役員のような人達の勝手過ぎる言い訳で、
経済発展の大義名分に依り打った利己的思想ゆえの詭弁や出任せだろうと思います。
犯罪一般が反社会的行為であることを知る泥棒が自己の泥棒という犯罪行為に
一握の後ろめたさと大きな誇りを共存させているように
利己主義の下で彼らの詭弁にも十分に正当性を与えていったと思われます。
そしてその結果が現在の日本の姿なのでしょう。
マネタリズムにも必ず限界があるはずです。札束で頬を叩かれ金を口に捩じ込まされて、
言わなければならないことも言えなかった人々と、言えないようにした
一部の人々の悪影響と罪は大きいと思います。
本来、資本主義の目指すところはそんなことではありません。
かつての日本社会は、隣近所の家族ぐるみの交流が深く自然に助け合うことが
できた社会だったと聞きます。そういう所まで利益追求を最優先し、子供達にまで
他人を蹴落として自分が成り上がることだけ考える利己的思考を教える社会を
なぜ大衆が快しと思い続けることができるのでしょう。少しでも利己だけでなく
公共ノ福祉のためにも良くして行こうと考えることを止めないでほしいです。