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(回答先: Re: “私利私欲”や“目的意識”について 投稿者 あっしら 日時 2002 年 8 月 12 日 18:34:27)
返信ありがとうございました。
私の考える「私利私欲」ですが、
>“私利私欲”が、絶対的な悪だとか、価値観の変化でなくなる
>ものだとは考えていません
「私利私欲」は絶対的な悪ではありませんが、「幸福」でもありません。金銭などを必要以上に蓄財することや、人より楽な仕事に就こうという意思は、確かに肉体的には快楽です。しかし、私達はこれだけでは幸福とは感じることはできません。単なる幸福と快楽とは別物だからです。
>生き生きと生活している他者と関係を持つことに喜びを感じま
>す。
多くの人々に生き生きと生活をしてほしいと願う想いは、幸福に位置するものと私も、考えております。
>そして、“私利私欲”を実現してきた人たちはその権益をなん
>とか維持しようと考えるので、世界中が経済的災厄に見舞われ
>るようになるとも予測しています。
>「近代経済システム」は、厖大な犠牲と労苦を生み出す一方
>で、そのような条件を飛躍的に高めたと思っています
「私利私欲」を追い求めることで、「近代経済システム」が確立され、文明は進歩発展を遂げました。しかし、「私利私欲」を追い求めることは、「競争」、「効率」、「自己責任」、「自力救済」という概念の追及であり、その先に位置するものは、限りない資源や食料などを奪い合う紛争・環境破壊・餓死が生じるような世界感となります。
人類は近代的に進化していくことを選択した変わりに多くのことを犠牲にして行きました。そして、これからもその様な進化の道を辿る事を選択しております。
私は、そこにおける近代化システムとは、真の「幸福」というものと逆行している様に思われます。
また、ここでいう「幸福」を追い求めることが進化を止めるものではありません。
肉体的・外面的な快楽を追求するのではなく、心と心の通い合う、より良き道の追求にこそ本来の進化する望むべき道があり、より多くの幸福が得られるものであると思います。
>一人一人が“私利私欲”をまず考え、それが実現可能なのか、
>実現が可能だとしても他者に不必要な労苦を負わせる必要は
>ないのか、“私利私欲”と心地よさは同じなのかなどを考え
>ながら、主張しあえばいいと思っています。
私もその通りだと思います。
「私利私欲」が、例えば知識を向上させるために本を読むとかいう類いの他人に迷惑のかからない「私利私欲」でありさえすれば、良き意味でしょう。しかし、「私利私欲」という言葉には、他を犠牲にして自己の利益・欲望のみを追求する意味あいがあまりにも強く含まれています。
そして、「私利私欲」を心地よさと感じるのは、強者・富者であるのが現状です。
より多くの人達が、共存共栄・平和追及・環境保護の精神を持った「私利私欲」者であることを願いたいです。