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(回答先: そんな「さあ、答えてみな。」という感想をわざわざ他人に言う必要はない。 投稿者 黙ってそこから立ち去るか、あるいは努力して理解をしていればよろしい。 日時 2002 年 11 月 04 日 18:37:44)
投稿者:読者 投稿日:2002/11/03(日)23時45分57秒 ■ ★
おい、名無しよ。
お前さんがあっちこっちに転載しまくって
自分の過ちを晒しているので、ここも色々なヒトが来るようになったな。
でだ、そうやってアレコレ話しを広げて誤魔化していないで
そろそろ明確に答えてくれないか。
君はいったいどのように「戦争が起きないようにがんばっている」んだい。
‐
他人のHNを騙ることは楽しいかい?
そうやって一時憂さを晴らしていったい何にどういう効果があるんだい。
単に君の気分が一時晴れるだけなんじゃないのかい?
それでもすぐにまた、気分が悪くなるだろう。
当然だ、一時の気晴らしで誤魔化している間、
君の心はどんどん弱くなっていく。
北風に立ち向かう針葉樹の幹は硬く締まっていくのに引き換え、
南洋の樹木は緩くスカスカの幹を作る。
君は君の心を南洋の樹木にしている。
君の気分を害する(本当は君の心自体が作り出した歪んだ)世界観に
君は君の心を向けようとしない。
君の心がいつまでも晴れないのは、
簡単な事実を認めようとしないからだ。
「君は戦争を止めようとがんばってなどいない」
「君は今、自分を守ることだけに精一杯だ」
「君は何も生み出してなど居ない」
「君は社会と適合できていない」
「君はまだ、社会をちゃんと認識できていない」
君の予測や観測が外れるのは、
君の想定する世界観に誤りがあるからだ。
君の意見に同意を得られないのは、
君の意見自体に齟齬があるからに他ならない。
それら少々の誤り、齟齬など、修正すればすむことじゃないか。
いったいいつまでその歪んだ世界観にしがみついているんだ?
いったいいつまでその肥大化して、何も生み出すこともできない、
どんなちっぽけな事すらも実現化できない脆弱な自我を守らなければならないんだ?
自分自身でその脆弱で、少々の刺激ですぐにへこたれてしまう自我を鍛え上げなければ、誰も君自身を助けてなどくれない。
君が一時の憂さ晴らしで他人のHNを騙り投稿する姿を、
常に一人の人物が見ている。
それは君自身だ。
君は、君自身にすら嘘をつき続けるのか?
さあ、答えてみな。いったいどう「戦争を止める為にがんばっている」んだい?
http://www.strange-x.com/he/bbs.cgi
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バルドーの導き(前編) ビデオ全文
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人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。
死を見なくても死ぬ。
死を見ても死ぬ。
人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。
そして、その死の前には、お金は無効だし、恋愛も無効だし、それから社会的地位も無効だし、権力も無効だし、一切のものが無効であると。
人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。
どんなに人間が頑張ったとしても、人生は僅か80年である。
この80年の人生を、既に私たちは20年・30年・40年とつぶしている。
残りの60年・50年・40年を、どう生きるか。
ネ、そして三悪趣に転生するのか、あるいは、人間・憤怒天・戯忘天といった高い世界へ転生し、楽を長い間にわたって享受するのか。これは、あ なた方が選択する道だといえるでしょう。
人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。
死の前には、財産も無効だし、権力も無効だし、あるいは、愛著しているもの全ても苦しみであると。
もちろん、この現実の生活、これよりもっと大切なもの、それは、「死を越える」ということがあります。つまり、人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は 避けられない。どんなにこの世で大金持ちになろうとも、事業を成功させようともとも、愛し合おうとも、死という、その死の境目によって、苦しまなけれ ばならないという事実があります。
人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。
どんなに権力を持っていても、あるいはどんなに大金持ちであっても、あるいはどんなに愛する人がそこにいたとしても、多くの人に賞賛される人で あったとしても、必ず死にます。ところが私たちは、その死について、考えた事もないし、あるいは、それに対して対応する何らかの方法を実践もしな い。
人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。
どんなにお金があろうとも、どんなに夫婦関係が楽しかろうとも、どんなに子供が優秀であろうとも、どんなに権力を有していようとも、人は必ず死に ます。
人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。
そして死だけではなく、病、あるいは老い、これも避けることはできない。
この、避けることの出来ないものに対して、目をつむるのではなく、しっかりと見つめ、どのようにしたら、病を克服し、老いを克服し、死を克服できる のかと。それを説いているのが、真理なのです。
人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない。
この日本仏教において生だけを見つめさせ、生において、つまり生きるっていうことにおいての幸福だけを説きます。しかし、この生きる期間はあま りにも短すぎる。そしてあまりにもはかなすぎる。
わたしたちのターゲットはこの世だけではなく死、死を境とした来生をしっかりと見つめ、それを超え、確信をもって輪廻転生したいものです。
人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。
どんな権力を有している者でも、この世で、いかなる満足を味わったものでも、あるいは、多くの人に賞賛された人でも、愛する対象がいて、その愛す る対象と戯れ、そして、別れたくないと考えたとしても、死は必ずやって来ます。
人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。
どんなに大金持ちであっても、どんなに権力を有していても、どんなに周りから賞賛されていても、どんなに愛する対象といっしょに生活していたとし ても、人は必ず死にます。そして、死を前にした場合、どんな大国の王でも、あるいは、多くのものを支配している者でも、あるいは、どんな大金持ちで も、その死に対しては、その権力やお金は一切無効です。
人は必ず死ぬものである。
私の周りにいるもの、全ては死ぬものである。
生命を持つもの全ては死ぬものである。
これは正しい。
よって私は、死の体験をする。
これから死の体験をする。
これから死の体験をする。
これから死の体験をする。
これから死の体験をする。
そして私は死の体験をするように努力しよう。
私は死の体験をするように精進しよう。
私は死の体験をするように勇猛に精進しよう。
この「死の体験」は、私の心を喜ばしてくれる。
この「死の体験」は、私の心を喜ばしてくれる。
なぜならば、人は必ず死ぬものであるから、その死ぬ前に、それを体験することは、私に、死の恐怖を取り除いてくれる。死の苦しみを取り除いてく れる。死のショックの苦しみを取り除いてくれる。よってこれは喜ばしいことである。大変、喜ばしいことである。 そして、死の恐怖を投げ捨てた、死の ショックの苦痛を投げ捨てた、私の心と体は軽快になる。私の心と体は軽快になる。
この死の瞑想は、私の心と体を軽快にしてくれる。
この死の瞑想は、私の心と体を軽快にしてくれる。
私は、深い深い瞑想によって、死の体験をしよう。
私は、深い深い瞑想によって、死の体験をしよう。
私は、深い深い瞑想によって、死の体験をしよう。
これによって、この人間の世界、人生に、遠離(おんり)し、離貪(りとん)し、そして滅尽し、喜捨することができる。
そして私は、死の恐怖を投げ捨てよう。
死のショックからくる苦痛を投げ捨てよう。
この法をお説きになったシヴァ大神及び諸仏に感謝の意を表して
オウム アー フーム
ヴァジラ ナマ シヴァ ヤ
ヴァジラ ナマ ブッダ ヤ
ヴァジラ ナマ グル ヤ
ヴァジラ ナマ サティアン ヤ
ヴァジラ ナマ タントラヴァジラヤーナ ヤマ ニヤマ ヤ
http://www.bekkoame.ne.jp/i/sinzinrui/doc/varudo.htm