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(回答先: 東天王ヨブの拉致事件分析NEW! 投稿者 東天王ヨブはニセ「左翼」暴力集団!! 日時 2002 年 10 月 31 日 11:06:17)
何ものにも束縛されない自由な魂(3) 投稿者:まっぴょん 投稿日:11月 2日(土)18時42分23秒
●アナーキスト諸君に問う
私は共産主義思想に惹かれてきたが、それは共産社会へ到るプロセスとしての社会運動とその勝利を目指して行動しようとする政治政党の建設に惹かれたからであって、それらの運動がめざす共産社会について考えるとき、それはアナーキスト諸君がめざすものとそれほどの違いを感じない。究極の目標においては、むしろアナーキスト諸君の、何ものにも束縛されない自由な魂というものに強くひかれる。ところで、そうした信条は日常の問題について考えるとき常に試練に遭っている。今回の拉致問題がまさしくそれである。
私は拉致被害者がこんなに国家間の政争の道具に利用され、本人の意思が無視されているのに我慢がならない。拉致被害者自身の自由を踏みにじって政治主義的に発言し行動する全ての人々に対してはげしい憤りを覚える。この同じ思いをアナーキストこそが最も共有できるのではないか、と思っているが、そうではないのだろうか? 諸君もやはりこの問題を政治的に考えるのだろうか、それとも政治的問題として遠ざけるのだろうか?
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何ものにも束縛されない自由な魂(2) 投稿者:まっぴょん 投稿日:11月 2日(土)18時41分31秒
●拉致被害者の立場にたっての解決を!
拉致被害者たちはまったく理不尽にも日本から連れ去られ、二四年のあいだ北朝鮮に住まわされた。そしてさまざまな経緯をたどって二四年ぶりに日本の土を踏む事ができた。問題はその後である。北朝鮮と日本との「約束」では「一時帰国」という事であったが、拉致家族をまとめ、これまで救出運動を担ってきた右翼勢力の影響によって、一時帰国の延長が家族側から要求され、日本政府はこれを受けて引き延ばしを決定した。こうして拉致被害者たちは全く本人の意思とは無関係に次のステージへと立たされたのである。
伝え聞くところでは曽我ひとみさんは米軍脱走兵士の夫が北朝鮮で待っており、夫が日本に来れば直ちに逮捕し軍法会議にかけるというアメリカ政府の声明から考えて、曽我さんが日本に永住帰国することが彼女の家庭生活の破壊をもたらすのは明らかである。また他の帰国者たちもはっきりとは自分の要求を述べていないが北朝鮮へ戻る事を希望しているとの観測もある。
日本政府は、しかしこうした帰国者たち本人の要望を無視して一時帰国を引き延ばし、「永住帰国」へむかって「職場あっせん」などの「支援事業」を始めようとしている。これは明らかな国家による個人の問題の政治利用であり、人権侵害である。また、これまで積極的に拉致家族を支援してきた右翼・保守勢力の政治的意図がここへきて明らかになってきている。拉致被害者たちはきっかけはどうであれ、すでに二四年間にわたって北朝鮮に住み、そこに自らの生活拠点を作ってきた。そこには家庭生活もあった。彼らが、その生活にもどるのか、それとも日本に帰国して新しい生活を始めるのかは、全く本人の自由意志に任せるべきである。「拉致家族の意志を尊重」して永住帰国を強行しようとする日本政府、「約束」をたてに連れ戻そうとする北朝鮮政府、双方ともが拉致被害者本人の意思を踏みにじり、人権をないがしろにたうえで、国家的思惑によって彼らを利用している。
日本政府はこれ以上「逆拉致」を続けるのをやめよ! 本人の自由意志を尊重するべきである。戻るも止まるも本人の意思に任せるべきである。また拉致問題を政治的取引の道具にするべきではない。「北朝鮮は信用ならない国である」「今度もどったら永久に会えないかもしれない」との懸念があるなら、国家として最善の方法をとるべきである。かつてロシア革命政府のとった方法は、ひとつの模範となる。つまり、拉致被害者全員に日本の旅券を持たせたうえで臨時の日本政府職員とし、政府に対すると同じ待遇を要求する旨を告げるのである。拉致被害者を国家的取引の道具に使うのはただちにやめるべきである。左翼は、そのように要求する運動をおこなうべきではないか?
●拉致されているのは日本人だけではない
日本ではあまり問題になっていないが、同じような方法で拉致された韓国人が多数いるという。また、北朝鮮の金正日支配体制のもとで自由を奪われ、困窮に苦しむ二千二百万の民衆も見方によれば「拉致されている状態」といえるかもしれない。この北朝鮮民衆のことは無視していいのだろうか? 現在日本をはじめ世界各国からアフガニスタンへ、食糧援助を含めてさまざまな援助活動がおこなわれているが、北朝鮮にはそのような支援をしなくていいというのだろうか? もちろんそこには北朝鮮政府の問題がおおきく立ちはだかっている。しかし、日本人拉致被害者の事だけを問題とし、それを政治的取引の道具として食料・物資の援助の条件に使うのは、北朝鮮人民を「人質」に援助を要請しようとする金正日指導部と同じ水準の非人道的な態度である。日本政府に即時無条件の援助を北朝鮮人民のためにおこなうように要求するべきである。
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何ものにも束縛されない自由な魂(1) 投稿者:まっぴょん 投稿日:11月 2日(土)18時40分04秒
最近考えていたことを「かけはし」に投稿しようと思って書いてみたんですが、三次会のほうに投稿します。
●左翼が迫られている「痛烈な反省・総括」とは
拉致問題の本質をどのように考えてゆくべきなのか? さまざまな立場からの議論がいま展開されている。「かけはし」滝山論文は、トロツキストの論客の中でも「反北朝鮮」最左派であると思うが、彼は拉致問題のヘゲモニーが家族も含めて完全に右翼・保守派の側に握られていることを嘆いて次のようにいう。
「進歩的知識人や左翼がいかに北朝鮮問題を真正面から取り上げてこなかったか。いかに北朝鮮擁護に堕落してきたか。その結果、右翼・保守派言論人たちに、道をゆずりわたしてしまっているのである。拉致問題という国家犯罪を暴き、被害者家族を支える運動をなぜ、市民派・左翼はできなかったのか。もちろんわれわれ自身も含めて、痛烈な反省・総括がせまられている。」
では具体的にどのような「痛烈な反省・総括」を左翼はしなければならないのか? 何が左翼・市民勢力に欠けていたのか? 思うに朝鮮半島の問題を左翼があまりにも「高度な政治的判断」によって処理してきたために、拉致被害者自身に対して目が向いていなかった事が問題の本質なのではないだろうか。多くの左翼及び進歩的知識人にとって、戦前の日本帝国主義による朝鮮半島の支配・略奪は自明のことであり、この犯罪的事実の認識を平和運動の出発点として位置づけている。朝鮮・韓国に二分された現在の朝鮮半島についても我々日本の過去の歴史に責任があると考える。そして、そこからどちらかといえば北朝鮮に対する好意的な目を持って運動論を展開してきた。そして、その「政治的判断」は北朝鮮の犯罪行為を追及する事を躊躇する傾向を示してきたように思う。なぜなら、北朝鮮への批判が、右翼・保守派の論調を後押しする事をおそれたからである。
実際の拉致被害者は百名近いとの情報もある。われわれはそれらの人々の立場に立って考える事をせず、「北朝鮮を追いつめるやっかいな問題」という意識を持ってしまった。もちろん右翼・保守派がこの問題に真剣に取り組んできたのは、彼らにとって有利な展望を切り開くからである。拉致問題については、左翼は不利になるから近づかず、右翼は有利になるから二四年間も北朝鮮を追及してきた。その違いが現在の状況を作り出したのである。結局、左右両勢力の政治的思惑の狭間で、拉致被害者は誰からもほんとうの支援を得てこなかったのである。
●左翼運動の原点に帰ろう
戦前の日本帝国主義の犯罪行為への認識と反省を平和運動の出発点として位置づけることは正しいと思う。また「北朝鮮の犯罪事実への追及が右派勢力を力づける結果をもたらしてはならない」という配慮は理解できるし、左翼として当然であると考える。しかし、それが一部の政党に見られたように「拉致の事実などない」とまで言い切ってしまう事になったのは悪しき「政治主義」と言わねばならない。左翼は何よりも「事実」から出発しなくてはならない。それがどんなに「左翼にとって不利な事実」であっても、「政治的判断」を「事実」よりも優先させる事があってはならない。この原則を踏み外した時、「民衆の政党」から「民衆に君臨する政党」へと堕するのではないか。
左翼が痛烈におこなわなければならない「反省・総括」とは、まずなによりも、「左翼思想の原点」をもう一度確認することではないのだろうか? 「君はなぜ左翼をやってるの?」と聞かれたら自称「左翼」の諸君はどう答えるだろうか? 「社会主義的未来のため」「万人が平等で豊かな社会をめざして」と、そんな風に答えるのではないだろうか。人が人を支配しない社会、理不尽な暴力によって人が傷つけられない社会を左翼は目指している。そこには限りない「人間の尊厳への尊重」がある。私が左翼を選択するのはそれがあるからだ。人が人らしく生きていける社会をわれわれはめざしてきた。左翼政党とは、その思いを実現するために政治理論をまとめ、戦略的に考え、戦術的に行動する集団のことである。しかし、そうした戦略戦術的な思考に慣れたあまりに、そこに苦しむ個人の問題から目をそむけてしまったのではないのだろうか? 今回一時帰国した五人を含めた一三人の拉致被害者本人たちの「いたみ」を我々はどれだけ「自分たちの問題」として共有してきただろうか? この問題を意識から遠ざけてきた事のツケが今、まわってきたのではないだろうか。
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日本革命的共産主義者同盟(JRCL)中央委員会(旧第四インター日本支部)
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