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(回答先: 三菱とミドリ十字 投稿者 ウッチャー 日時 2002 年 10 月 23 日 17:57:39)
アメリカは、台湾などで世界で初めて無差別空爆を行ったということに象徴されるような日本の侵略戦争をやめさせる為に、二度の原爆を使ったと言っているが、それなら何故日本のA級戦犯などとその後アメリカは自国の利益の為に取り引きしたのか。
この取り引きは、政治レベルでその後の日本の再建に大きな力となって作用を及ぼしたしコントロールにも使われてきた。ナチスの暴虐にも匹敵する事を行った細菌部隊との取り引きでは、無罪放免となった細菌部隊の幹部達の多くは、その後自らの所業を自省することもなく、その生体実験などで得た技術などをもとに日本の医薬界などに君臨するようになった。そしてその彼らの一番の罪業は”患者を「材料」と見る思想の伝承である”と言われている。
それにしても、彼ら細菌部隊の幹部だった者たちの出世には異常なものがある。
製薬会社、病院、大学、研究所と、その要職に就いた錚々たる列を見れば、日本の医薬界を支配した感すらある。
このアメリカが生体実験のデータと引き換えに秘密裡に免責した、重大な戦犯であった細菌部隊出身の医師らは、戦後日本の医薬界で君臨し、様々な負の軌跡を残していった。「薬害エイズ」も単にその一つに過ぎないものであった。
今、C型肝炎の問題で表に出ているが、三菱が引き取った「ミドリ十字」という会社はその細菌部隊幹部が作った会社だったのは有名な話だ。
また有名なところでは、名古屋で昭和二七年に、元細菌部隊の小川透らが乳幼児を使って、O-111やO-26などの人体実験をやって殺している。
実は1995年の「O-157」騒動の際、アメリカは『生物兵器テロの可能性がある』と公表し、CDC━上記のアメリカが「免罪取引」で手に入れた細菌部隊の生体実験の資料は、このアトランタのCDC「フォート・デトリック(軍の細菌兵器研究所)」に蓄えられた。さらに言えば、それはそのすぐ後に起きた朝鮮戦争の時に使われた、というのがおおかたのの見かたである━から調査団を日本に派遣した。そして、調査後、日本の細菌部隊関係者のアメリカへの入国を禁止する措置をとった。がしかし、「その入国禁止措置の理由は?」には、日本のマスコミは一切口をつぐんだ。
(松本サリン事件が起きた日、松本市内のデパートでは全国縦断の、本格的で学術的な七三一細菌部隊の展示会が行われていた。というような事実もある)
”私はこれらの報道を断定する証拠を持っていない。しかし、直接朝鮮戦争に参加したか否かは別として北野政次が文献的にGHQのサムス等に直接的な技術指導を行っていたという証拠は持っている。そして現実的に朝鮮や中国においては、七三一部隊が行ったものとそっくりな細菌戦が行われたことは明らかなのである。”「にっぽんのアウシュウィッツを追って・高杉晋吾」
この北野の事務所は三菱ビルにあったと言われている。
第二次大戦後アメリカが朝鮮半島を抑えた理由の一半は、日本の財閥が朝鮮から戦時の報復をされるのを恐れたため、とも言われている。
”この名簿をみても、兵士と幹部の間の戦後の足どりは画然と分かれている。そして幹部たちがいかに戦後の医学の世界で影響力の大きい地位を得ているかが判るだろう。副知事、大学学長、大学教授、病院長、研究所長、研究所教授等がズラリと並んでいる。ナチスの強制収容所における人体実験者がアルゼンチンのジャングル等に追いこまれ、現在もなお追及を受けつづけているのとくらべて何という違いだろうか?私は「日本の医学界は七三一部隊天国なのだ」と思った。
これらの研究者たちが戦後の医療・医学の世界で何をしたのか。私はさらにこれらの人々が生きる現代医療の構造の中で、彼らの思想が、変革されるべきモメントを失ったまま行動する時、どのように医療の荒廃を発生させるものであるのかを、特に現在問題になっている新薬開発の中で発生した諸事件を、一人の人物を通じて描いてみよう。”「にっぽんのアウシュウィッツを追って・高杉晋吾」
”日本の現代医療は、七三一部隊と変わりのない人と物を見る思想状況と、患者をマルタとして扱って、最後には殺してしまっても平然としていられる技術と環境状況が広く存在している。その原点に七三一部隊が存在しているのである。
私たちは現在、医療や製薬メーカーの凄まじい荒廃を嘆いている。むしろ医療によって、薬によってわが子の命を奪われ、わが健康を奪われるという恐るべき状況に追いこまれている現実と、七三一部隊のマルタの現実を結びつけるイメージ力を、誰が持っていなくても不思議ではないのだが、しかし歴史的、状況的現実はゆくりなくもそのことをハッキリ示しているのである。つまり日本の医療も医学も、患者を見る基本的視線は七三一部隊の目なのである。
ところで、日本医療の価値観の逆転の機会を失った最大のモメントは米占領軍と元七三一部隊との「免罪取引」にあったといわれている。
私は、この「免罪取引」の経過をまとめながら、米軍は単に「七三一部隊員」の生存基盤を作っただけではない。米軍の責任の最大のものは、日本医療の腐敗の思想的根拠地を日本に作った事だ、と痛感している。それは前述の、「思想的影響力」による医療汚染と荒廃の恐ろしさを痛感するからだ。
七三一部隊にとって本当の悲劇は、戦犯になって捕らえられることなのではない。むしろその姿を秘して日本に帰り、日本の暗部にひそんで、その思想を増殖したことにある。彼らには、その思想を変えるべきモメント=契機が存在しなかった。そこにこそ彼らの悲劇があり、日本医療の悲劇があった。その思想的変革を阻んだ元凶は米軍であった。米軍が、七三一部隊と「犯罪協定」を結んで、七三一部隊の免罪と糧道の確保と拠点作りを保証したのである。”[同]
”「他民族を抑圧する民族は、自らが自由ではありえない」ということばを私はしばしば繰り返した。他民族を侵略し、抑圧し、そのことに真の反省を加えない民族は、自分自身の首をしめる愚かさから永遠に解放されないだろうと私も思う。
かつて異民族をマルタとして扱った七三一部隊の腐蝕した「医」の思想は、戦後は、差別され抑圧される民衆に向けられ、囚人や不幸な乳児がそのいけにえにされる。それは戦時にあっては異民族へ、植民地を失った段階では同胞へ、と果てしなく続く。
それを実行する者はそれを実行する「特権」を誰から与えられたのであろうか。”[同]
この「にっぽんのアウシュウィッツを追って」は1984年の出版である。
そしてこの本には、元細菌部隊の幹部が設立した「ミドリ十字」も薬害エイズとはまた違う問題で出ていた。これが出版された当時、世の中が”タブー”とせず真摯に対応していれば、その後に起きることになる薬害エイズ被害も避けることができたかもしれない。